2012年5月25日金曜日

はじめの一歩が

体調は上がったり下がったりしつつ回復してきました。元気になってきて嬉しいです。
そろそろ何か書きたいなという気持ちも回復してきたので、書こうかと思うんですが、久しぶりだと、最初の一行を書き出すのが怖いなーと思います。

思うように書けなかったらどうしようという怖さですが。
でも、ブランク明けって、ほぼ100%の確率で、思うようには書けないので、いちいちビビることないと思うんですけどね。書いてるうちに段々とカンが戻ってくるものなんだし。

十年ぶりで自転車に乗るときに「怖いな」って思う種類の怖さと思います。
まあ、まずは無難な直線道路から試し乗りしてみるのがいいですよね。


いつぞやオススメしていただいた、北斎の娘、お栄さんの出てくる漫画を読みました。

百日紅 (上) (ちくま文庫) 百日紅 (下) (ちくま文庫)

江戸の情緒があって、面白かったです。
私は都市で生まれて都市で育ったタイプなので、時代は違っても、都市の人間の精神性や暮らしぶりのほうが、なんとなく共感が持てます。
生まれ育った大阪の街の人たちの、他人に無関心な早足や、早口や、若いころを過ごした神戸の街の人たちの、いつもお洒落で、ちょっと澄ましたようなところが好きです。それには悪いところもあるけれど、たぶん、自由だから好きなのだと思います。
江戸の都市人も、気分的には、好き勝手に生きてたんですかねえ?
お栄さんが、火事場見物が好きという話が、なんだか興味深くて。
自分でも意味はわからないけど、なぜか好きなものって、ありますよね。

私は工事現場を見るのが好きです。工事の規模が大きければ大きいほど好きです。何か巨大なものがコツコツ作られていく様子が面白いのだと思います。その類型で、「工場萌え」もあるし。たぶんその萌えと同じ脳みその回路を使って、京都の新京極通にあるロンドン焼き屋さんの、ロンドン焼き製造マシーンが動くのをじっと見るのも好きです。モノが作られていく様子を見るのが好きなんですよね、たぶん。

好きこそものの上手とか言いますが、上手かどうかはともかくとしても、何が好きかが自分の個性と思うので、好きなモノを追求するのは、良いことのように思います。
特に、ものを書く人にとっては。
好きなものが、作品にも滲みでてきて、それがひとつの個性ではないかと。

昔から、「私はなんでこんなショーモナイ微々たることを小説でいちいち描写するのだろう」と悩んだこともあったんですが、最近は、「それが俺様の個性」と居直ってきました。小説も、好き勝手書けばいいのだと思います。自分の愛しているもののことを、書きたいように書けばいいんだろうなあ。

私は美形書きなんですが、なんでだろうと長年思っていました。最近理由がわかってきました。
美形が好きだからでした。顔や姿の綺麗な人を見るのが好きです。
自分が、「これは綺麗だ」と思うものの基準て、世間一般より広いみたいですが、(しわしわの爺さんが綺麗に見えたりする時もある)美しいと思うものをガン見するのが好きなようです。
たぶん、美術館で好きな絵をじっと見たり、お店で欲しいバッグをじっと見たりするのと同じ種類の快感と思います。見るとね、楽しいんですよ。ただそれだけの事でね。
現実に目の前にいる人をじろじろ見ると失礼なので、あんまりできませんが、自分の脳裏にいる架空の人物であれば、じろじろ見ようが私の自由だし。
ひとりで見るより、皆で見たほうが楽しいのかなと思って、皆でじろじろ見るために小説書いてるんだと思います。絵のほうがいいけど、絵は描けないんだもん。
だから、もしかすると、私は絵的なものを解説するために小説っぽいものを書いているだけで、ストーリーはどうでもいいと思っているのかもしれない。(危険思想)じろじろ見られれば、それでいいのかもしれない(汗)

理性では、そういうのだと、お話にならないじゃないと思うので、物語の体裁は一応とりますが、そういうものだと思って、一緒にじろじろ見てくれる読者さんを募ったほうが懸命かもしれません。

若いころは、これでも案外まじめだったので、「小説かくあるべし」みたいな話を、ふむふむと聞いて、修行するのだ! と思っていたような気がしますが(これでも一応)、それも大事とはいえ、それだけじゃつまんないじゃないと、最近は思います。
やっぱオバサンにメタモルフォーゼしたからかな?

人生が自由だね。
そういう割に、書きだすのが怖いとか、青いこと言ってるので、まだまだ何かが足りません。

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