出産を頑張ったご褒美に、自分に豪華ノートカバーを買い与えました。(添付写真)
このカバー、中2っぽいでしょ。
A5サイズです。
ノートに手書きでもいいから何か書きたいなって思って買ったんですが、今はまだ新生児の相手が大変で、ノートに手書きする暇すらもないです。
育児日記つけちゃうぞルンルンとかいって、ほぼ日手帳オリジナルを一冊用意していたんですが、実際にはほとんど書く余裕がないっす。世の中のママンたちは、一体どうやってカラフル写真入り育児日記なんか書いてるんだい( ;´Д`)?
私は病院からもらった授乳&お世話記録に○とか×とか書くので精一杯ですわ。
そんな今の私にも唯一、ものを書く手段がありまして、授乳後に赤ん坊が寝落ちした時に、抱っこしたまま片手でiPhone入力する方法です。今まさに、この記事をそうやって書いてます。
育児日記も結局、iPhoneでEvernoteに書いてます。親バカ写真もタップするだけで添付できるんで便利です。シール用紙に印刷してノートに貼るとか無理だったね。
じゃ、ほぼ日手帳いらなかったね……。
ノートカバーも要らないかもしれないね。Evernoteでいいよね。うん。
でも欲しかったので買いましたorz
いつかこのノートカバーつけたノートにバリバリ書くんだ!(死亡フラグっぽいけど違うんだから!)
出産前に、上の子の時の育児記録を読み返していたんですが、「いつかやりたいこと」として、「着物の着付けを習う」って書いてありました。それを書いたことは完全に忘れていたのに、書いた三年後には実際に着物暮らししてたんだから、自分が案外、執念深い人なんだなって、驚きました。何でもすぐ忘れるほうなのでね。
それとも、「紙に書き出したことは達成率があがる」というアレなんでしょうか。
ほんまかいな? 不思議ですねえ。
その着物ですが、出産後に着ているかというと、着ていません。授乳しているからというのが表向きの理由ですが、着物でも授乳はできるはずなので、それが理由ではありません。
実は、同居しております実母に、「赤ちゃんいるのに着物なんか着てたら変態よ」みたいなことを言われまして、その向かい風に逆らうパワーが今はまだ無いっつーのが、真の理由です……。
うん。まあ、なんだかんだで、着物っつーのは、今やほとんどの人にとって、普通ではない服ですね、現実的には。残念ながら。
でも、たぶんそのうちまた着ます。だって着たいんだもん。
執筆のほうは、先述のように、書く余裕がねえ!! っていう不眠不休の修羅場にいるため、今しばらくは無理そうですが、育児というのは、経験上、日一日と余裕が増すものです。
上の子は、今思うと、ものすごく良く寝る子で、昼間に二時間半きっちり昼寝して、夜も夜泣きせず朝までグッスリ寝てました。だから私も育児中にもかかわらず執筆時間が作れたわけで、子供のおかげです。
次女がどういう感じかは分かりませんが、生後一ヶ月ですでに昼夜の生活リズムがついていて、夜は一回しか起きません。夜じゅう泣きじゃくる赤ちゃんに苦労しているお母さんも世の中には大勢おられるわけで、それを思うと、あり難いようなイージーモードの育児です。昼間もだいたい決まった時間に寝るので、家事もできるしね。
たぶんまた何か書き始めるんだろうなって思います。
出産後に入院していた時に、同時期に出産して入院しているお母さんたちが大勢いました。いろんな人がいます。若い人、私より年上の人、初産の人、五人目の出産だっていう人、帝王切開した人、難産だった人、安産だった人、早産して赤ちゃんが集中治療室にいる人、母乳が出る人、出ない人、いろいろです。
いずれにしろ、分娩で心身共にヘットヘトになったところに、休む間もなく不眠不休の新生児の育児が始まるので、軽い極限状態になり、誰も彼もすごく人間味が出ます。
赤ちゃんが泣きやまないといって、夜中に廊下で泣いてる初産のママさんがいたり。新生児集中治療室のドアの前にずっと立ってる人がいたり。
私はその人と朝ごはんの時に隣の席になり、「赤ちゃん抱っこさせてもらってもいいですか」って笑顔で頼まれたので、どうぞって言いました。
でも何か緊張しました。
その人は私の娘を抱っこして、しみじみと、「赤ちゃんて、可愛いんだなあ」って、独り言のように言いました。
初産が早産だったので、自分のお子さんをまだ抱っこしたことがないお母さんだったんです。
幸い、さほど難しい状況ではなく、赤ちゃんも生後一ヶ月ごろには退院できるという話でした。しかし初産の母親にとっては長い一ヶ月です。
その人が、夜中にぼーっと集中治療室の前に立っているのが心配というか、印象深くて、心に残りました。
頑張ってって思うけど、そう簡単に頑張れって言えない相手もいるよね。
うちの娘の生後一ヶ月の検診に行った時、私はたまたま、その人に再会しました。
向こうから、椎堂さんこんにちは! って声をかけてくれたんですが、一瞬誰かわかんないくらい別人みたいでした。
お子さんが無事に退院されるということで、赤ちゃんを抱っこしてました。夜中にぼーっと立ってた時には影が薄くて亡霊みたいな人でしたが、一ヶ月検診の時には、はじけるように快活な女性でした。
なんか人間て凄いんだなって思いました。
変われるね。
状況が人間を作るのだと思います。
夜中に廊下で泣いてたほうの人にも、病院でまた会ったんですよ。その人はね、相変わらず泣き言ばっか言ってました。
そういうキャラなんだね!
でも、育児に関しては、誰かに泣き言言える人の方が、返って心配いらないんだと思います。泣くほど辛ければ、泣けばいいし。それで状況が何か変わる訳じゃないけど、泣くの我慢するパワーが無駄だから。泣きながらだってオムツ替えられるよね。
私はもうほんと腰が痛いです。(泣き言)
あと、うちの赤ちゃんは、目元の筋肉がまだゆるいせいか、寝入り端に白眼をむくことがあってですね、その顔が猛烈に面白いんです。それで思わずブーッって吹いてもうて、自分で起こしちゃって損したなっていう時があるのが辛いです。
つまり、まあ、お陰様で順調にやれてます。体調の方も、ぼちぼちですが回復してます。(体型の方は回復がピンチ)
退院してきて家で授乳しているときに、急に、カルテットのアルミナの話がやっと書けそうだなって思って、嬉しくなったんですが、一種の産後ハイでしょうか。
たぶん、出産する女の人ばかりのところに一週間も閉じ込められていたせいで、物語と相通ずる状況があったんだと思います。
産婦人科病棟は、至れり尽くせりで、良いところだったんですが、なぜか外に出たくてたまらんかったです。毎日、窓から外を眺めていました。
そこから一生出られない人たちの気分て、どんなもんでしょうね。
架空の物語の世界が、その時はちょっと現実味を持って、ごく身近に肉薄してきたような心地がしました。
そういう意味でも、いい経験したなと思います。
小説って、自分の人生のことを、そのまんまストレートにじゃなく、変化球で描くものかな。改めて、そういう気がしました。
あと、Bloggerアプリのバグは直ってました。よかった。
これで今年最後の記事かもしれません。皆さん、良いお年を。
2012年12月29日土曜日
2012年12月7日金曜日
生きてるんだぜ
11月13日に無事に出産していました。
頻回授乳でいっぱいいっぱいになっていて、しばらくはネット的におとなしいです。が、元気にやっておりますので、そのうちまた戻ってきます。
ちょっと使わない間に、Bloggerのアプリがアップデートされていて、さらに使えなくなっててびっくりしたっす。バグまみれだ!
頻回授乳でいっぱいいっぱいになっていて、しばらくはネット的におとなしいです。が、元気にやっておりますので、そのうちまた戻ってきます。
ちょっと使わない間に、Bloggerのアプリがアップデートされていて、さらに使えなくなっててびっくりしたっす。バグまみれだ!
2012年10月26日金曜日
ほぼ日手帳カズンの前半分
ほぼ日手帳カズンを日記として使用してますが、スケジュール帳は別にあるため、ずっと前半分が使えていませんでした。マンスリーとウィークリーの部分です。
その前半分の使い道を最近決めました。
マンスリーページには、家族の傷病記録を書いています。風邪とか、ちょっとした体調不良のメモ書きです。
大人はともかく、子供ってしょっちゅう風邪をひいたり体調を崩すんですが、その前兆のような不調(未病ってやつ?)が出ていることがありまして、そのへんを簡潔にマンスリーに記録しておくと、体調の波が読めて便利でした。お医者さんに説明する時にも便利だし。
その記録をみると、うちの家族が10月に入ってから体調へろへろだということが分かります。急に肌寒くなって、体調が崩れやすいんでしょうね。
私だけは元気ですが!
気温のせいだけでなく、臨月になった私が、知らず知らず自分のことで精一杯になりがちで、家族の健康管理が行き届かないのかもしれません。
そういう感じのこともメモれば見えてきちゃって気まずいです。
そして、ウィークリープランナーの部分には、シールプリントした写真や、思い出系のスクラップを貼ったりしています。
ほぼ日手帳の場合、一日一ページのデイリーページにこれをやる人が多いっぽいんですが、私は紙面の広いカズンでも、びっちり真っ黒に記入しますんで、デイリーページにはあんまり隙間がないです。はみ出た分をウィークリーに「今週のダイジェスト」的に、ざっくり貼ったり書いたりしています。後で眺めるとアルバムっぽくて楽しいです。ていうかアルバムです普通に。なんでアルバムに貼らないんだろう私はΣ(・□・;)アルバムは相変わらず放置しています。日記の方が気楽なんだ!
ほぼ日手帳とは関係ないですが、発作買いしたモレスキンのスマートノートブックですが、まだ使えていません。どう使うかイメージ湧かなくて手が付けられない日々だったんです。
ノートなんだからテキトーに使えばいいんですが。全ページをスマホで撮影してエバーノートにアップロードするの? とか、細かい部分が気になってしまい、どうしたらいいの(あわあわ)!! って軽く慌てます。そして一文字も書き込めないんですよ。
そんな妙な人は私だけかもしれないんですが。
でも、先日きゅうに、使い方についてサトリをひらいたので、そろそろ使い始められそうです。
アナログのノートって、スケジュール帳でもそうですが、新旧のノートの境い目っていうのが必ずありますよね。
旧いほうのノートページが尽きて、新しいほうに切り替える時期が。
その時に、使い慣れた旧いほうのノートが手元にないのが、心許ない場合ってあります。
そういう時に、旧いほうのノートの見返したい情報が書いてあるページの写しがエバーノートにあれば、スマホで確認できるので便利だし心強いです。
だからスマートノートブックは普通のノートとして普通に何でもかんでもメモっておくのに使って、ノートを切り替えるときに、手元にないと困りそうなページだけをスマホで撮ってエバーノートに置いておけばいいんですよね。
だったら最初から全部をエバーノートに書けばいいじゃん、ていう考え方もできますが。
アナログ人間だからさ。
紙にペンでないと上手くアウトプットできない場合が多々あるんで。
まずノートに書いて、それをコピーするっていうのは、私には案外効率がいいかもしれないです。
何もかもごちゃ混ぜでノートに書いても、エバーノートにサルベージする時点でタグ付したりして分類できるんですもんね。後で見返す時に分かりやすいでしょうね。
スマートノートブックでないとダメな理由はないかもだけど。どんなノートでもページの写真やスキャンデータがあれば同じかもしれないけど。
スマートノートブックはエバーノートと公式にコラボしてるわけだから、それなりの使いやすさや相性の良さがあるんじゃないかな。
あと問題は、ノートとして好きかっていう点ですが。うーん。そこが微妙です。
その前半分の使い道を最近決めました。
マンスリーページには、家族の傷病記録を書いています。風邪とか、ちょっとした体調不良のメモ書きです。
大人はともかく、子供ってしょっちゅう風邪をひいたり体調を崩すんですが、その前兆のような不調(未病ってやつ?)が出ていることがありまして、そのへんを簡潔にマンスリーに記録しておくと、体調の波が読めて便利でした。お医者さんに説明する時にも便利だし。
その記録をみると、うちの家族が10月に入ってから体調へろへろだということが分かります。急に肌寒くなって、体調が崩れやすいんでしょうね。
私だけは元気ですが!
気温のせいだけでなく、臨月になった私が、知らず知らず自分のことで精一杯になりがちで、家族の健康管理が行き届かないのかもしれません。
そういう感じのこともメモれば見えてきちゃって気まずいです。
そして、ウィークリープランナーの部分には、シールプリントした写真や、思い出系のスクラップを貼ったりしています。
ほぼ日手帳の場合、一日一ページのデイリーページにこれをやる人が多いっぽいんですが、私は紙面の広いカズンでも、びっちり真っ黒に記入しますんで、デイリーページにはあんまり隙間がないです。はみ出た分をウィークリーに「今週のダイジェスト」的に、ざっくり貼ったり書いたりしています。後で眺めるとアルバムっぽくて楽しいです。ていうかアルバムです普通に。なんでアルバムに貼らないんだろう私はΣ(・□・;)アルバムは相変わらず放置しています。日記の方が気楽なんだ!
ほぼ日手帳とは関係ないですが、発作買いしたモレスキンのスマートノートブックですが、まだ使えていません。どう使うかイメージ湧かなくて手が付けられない日々だったんです。
ノートなんだからテキトーに使えばいいんですが。全ページをスマホで撮影してエバーノートにアップロードするの? とか、細かい部分が気になってしまい、どうしたらいいの(あわあわ)!! って軽く慌てます。そして一文字も書き込めないんですよ。
そんな妙な人は私だけかもしれないんですが。
でも、先日きゅうに、使い方についてサトリをひらいたので、そろそろ使い始められそうです。
アナログのノートって、スケジュール帳でもそうですが、新旧のノートの境い目っていうのが必ずありますよね。
旧いほうのノートページが尽きて、新しいほうに切り替える時期が。
その時に、使い慣れた旧いほうのノートが手元にないのが、心許ない場合ってあります。
そういう時に、旧いほうのノートの見返したい情報が書いてあるページの写しがエバーノートにあれば、スマホで確認できるので便利だし心強いです。
だからスマートノートブックは普通のノートとして普通に何でもかんでもメモっておくのに使って、ノートを切り替えるときに、手元にないと困りそうなページだけをスマホで撮ってエバーノートに置いておけばいいんですよね。
だったら最初から全部をエバーノートに書けばいいじゃん、ていう考え方もできますが。
アナログ人間だからさ。
紙にペンでないと上手くアウトプットできない場合が多々あるんで。
まずノートに書いて、それをコピーするっていうのは、私には案外効率がいいかもしれないです。
何もかもごちゃ混ぜでノートに書いても、エバーノートにサルベージする時点でタグ付したりして分類できるんですもんね。後で見返す時に分かりやすいでしょうね。
スマートノートブックでないとダメな理由はないかもだけど。どんなノートでもページの写真やスキャンデータがあれば同じかもしれないけど。
スマートノートブックはエバーノートと公式にコラボしてるわけだから、それなりの使いやすさや相性の良さがあるんじゃないかな。
あと問題は、ノートとして好きかっていう点ですが。うーん。そこが微妙です。
2012年10月7日日曜日
椅子取りゲーム
出産が近づいたので、分娩についての説明会が病院でありました。
「アクティブチェアーという、陣痛が楽になって、お産が早く進む椅子がありますので、希望者は当日言っていただいたら、使ってもらえます」とのことで。
こんな椅子だそうです。
http://www.atomed.co.jp/product/cat_obstetrics/detail/15
「ただし、当院には一脚しかありませんので、早い者勝ちです」とのこと。
なんで一脚しかないんだろ?
陣痛に喘ぐ産婦たちが一脚の椅子を取り合うという、究極の椅子取りゲームですよね。面白いな。
椎堂さん、どんなもんか座ってみたいんですが、椅子取りゲームに勝てるかな?
Web拍手やメッセージありがとうございます。
お返事遅くてすみません。
いつの記事だったか、スマホからだと検索できなくてリンク無しですが、以前書いてた、イルスが娘とビーチで遊んでるところに、スィグル・レイラスおじさんがやってくる話を書きたいという記事へのコメントですよね。
イルスって、年齢上がればお父さんキャラも違和感なくいけるように思うんですが、どうでしょうね。
学院編ではまだまだ少年ですが。
彼はお父さんになるまでは生きているのです。
猊下には、子供は作るなとか、余計なお世話なことを言われてましたが。余計なお世話だよね。
そういうことを思っていて、今回初めて考えた気がするんですが、イルスがお父さんになるってことは、その父であるヘンリックは、おじいちゃんになるんだよね。
見当もつかねえ……。
なんだか甘いものを書きたいなという気分は引き続き残っていて、手前味噌でなんですが、以前書いてたギリス祭りの、
「俺のこと好き? どれくらい?」
「骨まで食いたいぐらい」
っていうの、なんか良かったなあ、って、急に思い出しました。
なんでそんなの思い出すんだろうなあ。どこの右脳スイッチ押したんだ。
書く時は、どんなものでも、自分では「これはいい感じ」と思って書くんですが、書き上げると、何をいい感じと思っていたのか、自分でも良く分からなくなることが多いです。それで、これはもう今は書けないなっていうものも、けっこうあるんですが、完全に忘れてる訳ではないようで、しばらくして突然なにかが脳内で蘇ってくることがあります。以前、いい感じと思ったものを、また理解できるようになる。
今回のはたぶん、「若い恋愛っていいもんだな」というスイッチが入ったっぽいですが。
アクティブチェアーに座らなきゃいけないときに、なんで若い恋愛なのか。ストレートに出産とか親子ネタで書けばリアルじゃんて思うんですが、こういうのって一種の現実逃避なんですかね? 今の自分と何の関係もないものって、気楽だし。
どろどろ甘いもんがいいな。
でも、一作書くほどのネタが湧いてきません。
鉄分とって、もっと脳みそに血を流さなきゃ。
あ。スイッチ入ったのって、納豆モリモリ食べて、貧血がちょっと改善したからとか?
私、納豆に夢見すぎですかね。きっとそうだね。
「アクティブチェアーという、陣痛が楽になって、お産が早く進む椅子がありますので、希望者は当日言っていただいたら、使ってもらえます」とのことで。
こんな椅子だそうです。
http://www.atomed.co.jp/product/cat_obstetrics/detail/15
「ただし、当院には一脚しかありませんので、早い者勝ちです」とのこと。
なんで一脚しかないんだろ?
陣痛に喘ぐ産婦たちが一脚の椅子を取り合うという、究極の椅子取りゲームですよね。面白いな。
椎堂さん、どんなもんか座ってみたいんですが、椅子取りゲームに勝てるかな?
Web拍手やメッセージありがとうございます。
お返事遅くてすみません。
09/26 23:03 いつか読みたいです。おじさん呼ばわりに地味に衝撃を受けるスィグル、じゃなかった、サーフィンを楽しむ親子のお話・・・(^^)
いつの記事だったか、スマホからだと検索できなくてリンク無しですが、以前書いてた、イルスが娘とビーチで遊んでるところに、スィグル・レイラスおじさんがやってくる話を書きたいという記事へのコメントですよね。
イルスって、年齢上がればお父さんキャラも違和感なくいけるように思うんですが、どうでしょうね。
学院編ではまだまだ少年ですが。
彼はお父さんになるまでは生きているのです。
猊下には、子供は作るなとか、余計なお世話なことを言われてましたが。余計なお世話だよね。
そういうことを思っていて、今回初めて考えた気がするんですが、イルスがお父さんになるってことは、その父であるヘンリックは、おじいちゃんになるんだよね。
見当もつかねえ……。
なんだか甘いものを書きたいなという気分は引き続き残っていて、手前味噌でなんですが、以前書いてたギリス祭りの、
「俺のこと好き? どれくらい?」
「骨まで食いたいぐらい」
っていうの、なんか良かったなあ、って、急に思い出しました。
なんでそんなの思い出すんだろうなあ。どこの右脳スイッチ押したんだ。
書く時は、どんなものでも、自分では「これはいい感じ」と思って書くんですが、書き上げると、何をいい感じと思っていたのか、自分でも良く分からなくなることが多いです。それで、これはもう今は書けないなっていうものも、けっこうあるんですが、完全に忘れてる訳ではないようで、しばらくして突然なにかが脳内で蘇ってくることがあります。以前、いい感じと思ったものを、また理解できるようになる。
今回のはたぶん、「若い恋愛っていいもんだな」というスイッチが入ったっぽいですが。
アクティブチェアーに座らなきゃいけないときに、なんで若い恋愛なのか。ストレートに出産とか親子ネタで書けばリアルじゃんて思うんですが、こういうのって一種の現実逃避なんですかね? 今の自分と何の関係もないものって、気楽だし。
どろどろ甘いもんがいいな。
でも、一作書くほどのネタが湧いてきません。
鉄分とって、もっと脳みそに血を流さなきゃ。
あ。スイッチ入ったのって、納豆モリモリ食べて、貧血がちょっと改善したからとか?
私、納豆に夢見すぎですかね。きっとそうだね。
2012年10月6日土曜日
お母さんって、いいにおい。
ムスメが今朝、いつものように「ママぁ〜( ´ ▽ ` )」って抱きついてきて、「ママって、いいにおいがするね!」と言いました。
「あら、そう? どんなにおいかな〜( ´ ▽ ` )?」
ってママモードで聞いたら、ムスメが、
「ハッピーターンのにおい( ´ ▽ ` )」
って。
けっこうショック受けたので書きました。ハピタン臭ってどういうことだよ! そんなのもう一年は食べてないはずだよ。私のオリジナル臭がハピタンなのか?
きっと妊娠してるせいだって、全てを胎盤のせいにして耐えました。
椎堂さん、ローズオイルとか飲むべきなの?
でも今は飲めない( ;´Д`)
あっ、そう言えば、前の記事で、貧血対策には納豆や豆腐を食べるのもいいんだよって教えていただいたので、納豆モリモリ食べたんですが、まさかそれが……? 関係ない? ないですよねorz
「あら、そう? どんなにおいかな〜( ´ ▽ ` )?」
ってママモードで聞いたら、ムスメが、
「ハッピーターンのにおい( ´ ▽ ` )」
って。
けっこうショック受けたので書きました。ハピタン臭ってどういうことだよ! そんなのもう一年は食べてないはずだよ。私のオリジナル臭がハピタンなのか?
きっと妊娠してるせいだって、全てを胎盤のせいにして耐えました。
椎堂さん、ローズオイルとか飲むべきなの?
でも今は飲めない( ;´Д`)
あっ、そう言えば、前の記事で、貧血対策には納豆や豆腐を食べるのもいいんだよって教えていただいたので、納豆モリモリ食べたんですが、まさかそれが……? 関係ない? ないですよねorz
2012年10月3日水曜日
スマートノートブック
発作で注文していた、モレスキンのスマートノートブックっていうのが届きました。
evernoteとのコラボ商品で、evernoteのiPhoneアプリに搭載されている、ページカメラっつー機能で撮影すると、写真の角度を自動補正して、スキャナで読み込んだような画像に変換してくれます。
要するにスキャナのアプリです。スマートノートブックでないとダメなのかっていうと、ちょっと目が泳ぎます。
別に他のスキャナアプリで読み込んだやつをevernoteにアップロードすりゃいいじゃんという気がしなくもないです。
いや、なんというか。
「でも、スマートノートブックだと嬉しいだろう?」
という商品かもしれません。
オリジナル版のモレスキン(方眼)よりも罫線の目立たないドット方眼ということで、薄い方眼好きの私は期待したんですが、期待したよりは、存在感のある方眼罫でした。ちょっとガッカリ。
何に使うか、まだ全然決めてません。
このままでは死蔵のコースな気がして、じわっと焦っています。
一方で、evernoteのほうは、投稿用のアプリposteverの便利さのおかげで、頻繁に使っていて、「evernoteのある生活」に馴染んでしまいました。スマホとセットだと便利ですね。
evernoteに直に入力すればいいので、あえてモレスキンに書いて、それをさらにスキャナアプリで読み込んで、って段階を踏む理由も、よくわかりません。「モレスキンに書く」という儀式が日常に定着している人には、いいのかもしれないけどね。あとは、メモを第三者と共有する用途のある人とか?
私でも、作品の構想メモやアイデア帳だと、いったん手書きのアナログデータとしてアウトプットしたいほうなので、それを書いたノートを写真に撮ってevernoteに保存・整理するというのは、実践すれば、とても便利なのかもしれません。
しかし今は創作脳が枯れ果てています。
妊娠して体調もよくないせいかと自分では思いますが、実際どうかは、よくわかりません。産んでみないとね。
前の妊娠中は、妊娠してても細々は書いていたような記憶があります。今回は前回より体調がよくないせいもあり、前よりは暇でないせいもあるかもしれませんが、割と息してるだけで精一杯みたいな気分の時が多いです。
なんか悔しいなと思いますが、焦ってどうなるもんでもないので、とりあえず産みますか。
出産の前後、放置サイトがますます放置になると思いますが、落ち着いたらまたゴソゴソ何かし始めると思います。
書くには至らないけど、なにか甘いものを書きたい気が、時々するんです。ホルモンバランスとか、そういうののせいでしょうかね?
貧血を何とかしなさいってお医者さんが言うので、ほうれん草を食べています。頭に血が回ってきません。大自然の摂理的には、私の脳みそよりも、胎盤に血をまわすほうが、有益という判断らしいです。
それは、そうだろうけどな!
いろんな任務が無事に終わって、また私の中二病が悪化していい日が楽しみです。
evernoteとのコラボ商品で、evernoteのiPhoneアプリに搭載されている、ページカメラっつー機能で撮影すると、写真の角度を自動補正して、スキャナで読み込んだような画像に変換してくれます。
要するにスキャナのアプリです。スマートノートブックでないとダメなのかっていうと、ちょっと目が泳ぎます。
別に他のスキャナアプリで読み込んだやつをevernoteにアップロードすりゃいいじゃんという気がしなくもないです。
いや、なんというか。
「でも、スマートノートブックだと嬉しいだろう?」
という商品かもしれません。
オリジナル版のモレスキン(方眼)よりも罫線の目立たないドット方眼ということで、薄い方眼好きの私は期待したんですが、期待したよりは、存在感のある方眼罫でした。ちょっとガッカリ。
何に使うか、まだ全然決めてません。
このままでは死蔵のコースな気がして、じわっと焦っています。
一方で、evernoteのほうは、投稿用のアプリposteverの便利さのおかげで、頻繁に使っていて、「evernoteのある生活」に馴染んでしまいました。スマホとセットだと便利ですね。
evernoteに直に入力すればいいので、あえてモレスキンに書いて、それをさらにスキャナアプリで読み込んで、って段階を踏む理由も、よくわかりません。「モレスキンに書く」という儀式が日常に定着している人には、いいのかもしれないけどね。あとは、メモを第三者と共有する用途のある人とか?
私でも、作品の構想メモやアイデア帳だと、いったん手書きのアナログデータとしてアウトプットしたいほうなので、それを書いたノートを写真に撮ってevernoteに保存・整理するというのは、実践すれば、とても便利なのかもしれません。
しかし今は創作脳が枯れ果てています。
妊娠して体調もよくないせいかと自分では思いますが、実際どうかは、よくわかりません。産んでみないとね。
前の妊娠中は、妊娠してても細々は書いていたような記憶があります。今回は前回より体調がよくないせいもあり、前よりは暇でないせいもあるかもしれませんが、割と息してるだけで精一杯みたいな気分の時が多いです。
なんか悔しいなと思いますが、焦ってどうなるもんでもないので、とりあえず産みますか。
出産の前後、放置サイトがますます放置になると思いますが、落ち着いたらまたゴソゴソ何かし始めると思います。
書くには至らないけど、なにか甘いものを書きたい気が、時々するんです。ホルモンバランスとか、そういうののせいでしょうかね?
貧血を何とかしなさいってお医者さんが言うので、ほうれん草を食べています。頭に血が回ってきません。大自然の摂理的には、私の脳みそよりも、胎盤に血をまわすほうが、有益という判断らしいです。
それは、そうだろうけどな!
いろんな任務が無事に終わって、また私の中二病が悪化していい日が楽しみです。
2012年9月11日火曜日
妊娠後期と、笑うとき手を叩く人々
妊娠後期です。妊娠は病気ではありませんが、たいへん苦しいです。なにしろお腹の中に小さいとはいえ人間が一人入っていて、勝手に動いたりしますもんで。胃腸にも心肺にも負担がかかります。
しかし、かといって、耐えられないほどの苦しさではないです。時として堪え難いが、結局は耐えられる範囲の苦しさです。
うまくできてるなと思います。
こういうところから人間は忍耐強さを学ぶのかもしれませんが、学べるかは自分次第です。
カルテットのアルミナの章に、グロリアという妊娠後期の女性が出てきますが、なんだかヒステリックなオバちゃんです。元々ちょっとそういう性格の人なのかもしれませんが、彼女はたぶん、腹が重くて苦しいんです。それでイライラしているんです。アルミナにイライラしてる訳ではないんだと思います。
そういう気持ちが分かる妊娠後期の作者です。
後々、グロリアが出産するエピソードが出てくる予定です。十年前の私が書きあぐねたものも、今の私には多少の自信を持って書けるでしょう。
妊娠や出産は十人十色で、みんな違います。私の経験とグロリアの話は全然違うものですが、経産婦の気概というのは何となく相通ずるものがあるのではないかと思います。
少女時代にこの話を考えた頃、神聖神殿の女性たちの、子供を産むためだけに存在するような、あの境遇を、私は一種の「ドン底」として設定したのだと思うんですが、今はまた、もう少し違うものとして見ています。
アルミナはまだ少女なので、少女の頃の私のように考えるかもしれません。でも、グロリアとか、アイネとか、彼女を取り巻く経産婦たちの考えている事が、以前の私には実感をもっては想像しづらく、書いても何となく心配になりました。
あの部屋の窓辺に座っているおばあさんの気持ちは、想像はできても、突き詰めると今もわかりません。
私の父方の祖母は、五人の子供を産み、六度目の出産の時に亡くなりました。双子を妊娠していて、今でいうハイリスク出産だったわけで、その当時の分娩状況では、祖母はリスクに勝てなかったのです。
祖母はどういう人物だったのか、私は知りません。
でも、今は特に、六度も分娩にトライした女というだけで尊敬できます。当時的には当たり前の偉業だったかもしれませんが、いざ自分でやってみれば、その大変さが実感をもって分かるってもんです。とても大変です。
祖母は気の毒だと子供の頃は思っていましたが、ただ単に気の毒なだけの人とは、今は思いません。うまく言えないけど、小説ではうまく言えるように頑張りたいものです。
小説を書くのに、実感が必要かっていうと、必ずしもそうとは言えない微妙なところなんですが、実感があるならあるなりの何かはあるんじゃないかと思います。
たぶん自己満足の部類ですけどね。
話は変わりますが、Web拍手にコメントいただきました。ありがとうございます。
「関西の方は、マクドナルドを、マックでなくて、マクドという、と聞いたことがありましたが、ケンタッキーもケンタなのですねぇ。」
……ケンタッキー・フライドチキンはケンタですよね!?
そんな基本的なところで動揺しました。
日々、深く考えず当たり前に言っていたので、急に深く考えて分からなくなり、アワアワアワってなりました。
思わずググりました。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0807/11/news068.html
関西では略さないって書いてあるよ((((;゚Д゚)))))))!
えっ、そんなことないよ!
私の友達はみんなケンタって呼んでるよ。呼んで……る、と思うんですが、自信を失いました。
関西人のみなさん。どうなんですか!
マクドナルドはマクドです。
そのマクドですが。
この前、同窓生の友人たちとスタバとマクドをハシゴして喋りまくった日がありました。よう喋るオバちゃんたちです。
マクドで隣合わせたのは、大学生くらいの男女7、8人くらいのグループさんでした。
楽しそうに談笑しておられます。
盛り上がっていて声がデカいです。それはいいんです。元気でいいんだけど。
何故か、笑う時に全員が手を叩くんです。関西人に多いタイプかもですが、笑う時に拍手する癖のある人っていますよね。そのグループの全員がそうなんです。
SNSで「笑う時に拍手しちゃう人コミュ」とかがあって、そのオフ会なのかと思うくらい、一糸乱れぬ拍手っぷりです。
コントみたいでした。
そのことを、同席していた友人たちに教えたら、隣のグループが笑うたびに、こっちの席では笑いを堪えて皆がポーカーフェイスでピクピクするので、教えなきゃよかったです。
「お前がいらんこと言うから自分らの話題に全然集中できなくなったやんか」と、椎堂さん皆に怒られました。
だって言いたかったんだもん。
私は笑う時に拍手する癖も、隣の人を叩く癖もないんですが、叩く人はなぜ叩くんでしょうか。いつから、どういうキッカケで叩くんでしょうか。
知りたいです。
そういう癖のある人が7、8人同席する確率も知りたいです。
しかし、かといって、耐えられないほどの苦しさではないです。時として堪え難いが、結局は耐えられる範囲の苦しさです。
うまくできてるなと思います。
こういうところから人間は忍耐強さを学ぶのかもしれませんが、学べるかは自分次第です。
カルテットのアルミナの章に、グロリアという妊娠後期の女性が出てきますが、なんだかヒステリックなオバちゃんです。元々ちょっとそういう性格の人なのかもしれませんが、彼女はたぶん、腹が重くて苦しいんです。それでイライラしているんです。アルミナにイライラしてる訳ではないんだと思います。
そういう気持ちが分かる妊娠後期の作者です。
後々、グロリアが出産するエピソードが出てくる予定です。十年前の私が書きあぐねたものも、今の私には多少の自信を持って書けるでしょう。
妊娠や出産は十人十色で、みんな違います。私の経験とグロリアの話は全然違うものですが、経産婦の気概というのは何となく相通ずるものがあるのではないかと思います。
少女時代にこの話を考えた頃、神聖神殿の女性たちの、子供を産むためだけに存在するような、あの境遇を、私は一種の「ドン底」として設定したのだと思うんですが、今はまた、もう少し違うものとして見ています。
アルミナはまだ少女なので、少女の頃の私のように考えるかもしれません。でも、グロリアとか、アイネとか、彼女を取り巻く経産婦たちの考えている事が、以前の私には実感をもっては想像しづらく、書いても何となく心配になりました。
あの部屋の窓辺に座っているおばあさんの気持ちは、想像はできても、突き詰めると今もわかりません。
私の父方の祖母は、五人の子供を産み、六度目の出産の時に亡くなりました。双子を妊娠していて、今でいうハイリスク出産だったわけで、その当時の分娩状況では、祖母はリスクに勝てなかったのです。
祖母はどういう人物だったのか、私は知りません。
でも、今は特に、六度も分娩にトライした女というだけで尊敬できます。当時的には当たり前の偉業だったかもしれませんが、いざ自分でやってみれば、その大変さが実感をもって分かるってもんです。とても大変です。
祖母は気の毒だと子供の頃は思っていましたが、ただ単に気の毒なだけの人とは、今は思いません。うまく言えないけど、小説ではうまく言えるように頑張りたいものです。
小説を書くのに、実感が必要かっていうと、必ずしもそうとは言えない微妙なところなんですが、実感があるならあるなりの何かはあるんじゃないかと思います。
たぶん自己満足の部類ですけどね。
話は変わりますが、Web拍手にコメントいただきました。ありがとうございます。
「関西の方は、マクドナルドを、マックでなくて、マクドという、と聞いたことがありましたが、ケンタッキーもケンタなのですねぇ。」
……ケンタッキー・フライドチキンはケンタですよね!?
そんな基本的なところで動揺しました。
日々、深く考えず当たり前に言っていたので、急に深く考えて分からなくなり、アワアワアワってなりました。
思わずググりました。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0807/11/news068.html
関西では略さないって書いてあるよ((((;゚Д゚)))))))!
えっ、そんなことないよ!
私の友達はみんなケンタって呼んでるよ。呼んで……る、と思うんですが、自信を失いました。
関西人のみなさん。どうなんですか!
マクドナルドはマクドです。
そのマクドですが。
この前、同窓生の友人たちとスタバとマクドをハシゴして喋りまくった日がありました。よう喋るオバちゃんたちです。
マクドで隣合わせたのは、大学生くらいの男女7、8人くらいのグループさんでした。
楽しそうに談笑しておられます。
盛り上がっていて声がデカいです。それはいいんです。元気でいいんだけど。
何故か、笑う時に全員が手を叩くんです。関西人に多いタイプかもですが、笑う時に拍手する癖のある人っていますよね。そのグループの全員がそうなんです。
SNSで「笑う時に拍手しちゃう人コミュ」とかがあって、そのオフ会なのかと思うくらい、一糸乱れぬ拍手っぷりです。
コントみたいでした。
そのことを、同席していた友人たちに教えたら、隣のグループが笑うたびに、こっちの席では笑いを堪えて皆がポーカーフェイスでピクピクするので、教えなきゃよかったです。
「お前がいらんこと言うから自分らの話題に全然集中できなくなったやんか」と、椎堂さん皆に怒られました。
だって言いたかったんだもん。
私は笑う時に拍手する癖も、隣の人を叩く癖もないんですが、叩く人はなぜ叩くんでしょうか。いつから、どういうキッカケで叩くんでしょうか。
知りたいです。
そういう癖のある人が7、8人同席する確率も知りたいです。
2012年9月7日金曜日
お姉ちゃんという存在
秋に出産なんで、臨月になったら美容院いかれへんわということで、髪を切ってもらってきました。
ちょっとばかし早産の兆候があるらしいので、万が一の時に美容院に迷惑かけられないし、早めにね。
親父ギャグを愛するムスメ様にも、「そうなったら美容師さんに、びょういんじゃなくて、びよういんで生まれちゃった、えへへっ、って言わなきゃいけなくなるね( ´ ▽ ` )!」と言われ、そんなん言うとる場合ちゃうやろって内心ヘナヘナってなりましたが、その通りです。実際そうなった時に、そのネタを平気で言えたら私も凄いと思うけど、みんなドン引きと思います。いろいろな点で。
第二子は妹のようです。
姉妹ということになります。
私自身は一人っ子なので、姉妹というのは良くわかんないのですが、私の幼馴染に妹のいる子がいて、子供の頃、公園とかに妹がどこまでもついてくるので、非常に疎ましがっていました。
時々、「ついて来んといて!!」と妹をドツいたりしていたもんで、何の罪もない妹に暴力を振るうとは、お姉ちゃんてなんて怖い生き物なんだと思ったものでした。そして一番不思議だったのは、その妹さんが、ドツかれても文句も言わず、泣きながらでもずっとお姉ちゃんについて行くのをやめないことでした。
その話を美容師さんにしたら、「私も妹なんですけど、小学生くらいまでは、お姉ちゃんについて歩いてましたね。そしてウザがられてました」と言うので、長年不思議だった、妹がなぜ姉について回るのかについて尋ねました。
そしたらね、美容師さんが言うには、「なんかしらんけど、お姉ちゃんと一緒にいたいんですよね」とのことで。
「お姉さんが好きなんですね」と何気に言うと、「いやいや、そうやないんです。ケンカばっかりしてたし、嫌いなんです。でも一緒にいたいんです。仲良くなったのは、大人になってからで、今は仲いいんですけどね」と、絶対誤解しないでみたいに訂正されました。
嫌いなん? お姉ちゃん?
またある時、けっこう昔の話になりますが、私がケンタッキーフライドチキンで鶏を食っておりますと、隣の席に気だるそうな高校生女子2人組がいて、いかにもダルいというふうに話しておりました。
「もーほんま妹ウザいわー」と一人が言います。それから十分十五分くらい、いかに自分の妹がウザいかという話が延々と続き、「うち、お兄ちゃんが欲しかったんやわ。それが無理なら弟でもええわ。とにかく妹はいらんわ。一番いらん。妹ウザいわー、消えてくれへんかな!」と女子高生はダルそうにポテトを食いながらボヤき、ずずーっと音を立ててオレンジジュースを飲み干し、ぽつりと言いました。
「でも自分以外が妹の悪口言うとムカつくし、許せへん。言わんといてほしい。お母さんとか。なんでやろ?」
聞いていた友達が、「好きなんちゃうん、妹が」と、さも当たり前のように答えましたが、女子高生は、「それはない。絶対ない」と即答していました。
どういうことなの?
姉妹ってなんなの?
お姉ちゃんはなんでケンタでそんな、ちょっといい話みたいなのを友達にするの?
友達もなんか思わせぶりな、ふふふ、という笑い方をしただけで、それ以上何も言わずにいてあげていましたが、良い友達だったのかもしれません。
兄弟関係というのは私にとっては永遠の神秘です。いつも興味深いです。
姉妹のオカンになれば、その謎めいた神秘のヴェールが一枚くらい剥がれるかもしれません。
ますます謎が深まるだけかもしれないけど。
ちょっとばかし早産の兆候があるらしいので、万が一の時に美容院に迷惑かけられないし、早めにね。
親父ギャグを愛するムスメ様にも、「そうなったら美容師さんに、びょういんじゃなくて、びよういんで生まれちゃった、えへへっ、って言わなきゃいけなくなるね( ´ ▽ ` )!」と言われ、そんなん言うとる場合ちゃうやろって内心ヘナヘナってなりましたが、その通りです。実際そうなった時に、そのネタを平気で言えたら私も凄いと思うけど、みんなドン引きと思います。いろいろな点で。
第二子は妹のようです。
姉妹ということになります。
私自身は一人っ子なので、姉妹というのは良くわかんないのですが、私の幼馴染に妹のいる子がいて、子供の頃、公園とかに妹がどこまでもついてくるので、非常に疎ましがっていました。
時々、「ついて来んといて!!」と妹をドツいたりしていたもんで、何の罪もない妹に暴力を振るうとは、お姉ちゃんてなんて怖い生き物なんだと思ったものでした。そして一番不思議だったのは、その妹さんが、ドツかれても文句も言わず、泣きながらでもずっとお姉ちゃんについて行くのをやめないことでした。
その話を美容師さんにしたら、「私も妹なんですけど、小学生くらいまでは、お姉ちゃんについて歩いてましたね。そしてウザがられてました」と言うので、長年不思議だった、妹がなぜ姉について回るのかについて尋ねました。
そしたらね、美容師さんが言うには、「なんかしらんけど、お姉ちゃんと一緒にいたいんですよね」とのことで。
「お姉さんが好きなんですね」と何気に言うと、「いやいや、そうやないんです。ケンカばっかりしてたし、嫌いなんです。でも一緒にいたいんです。仲良くなったのは、大人になってからで、今は仲いいんですけどね」と、絶対誤解しないでみたいに訂正されました。
嫌いなん? お姉ちゃん?
またある時、けっこう昔の話になりますが、私がケンタッキーフライドチキンで鶏を食っておりますと、隣の席に気だるそうな高校生女子2人組がいて、いかにもダルいというふうに話しておりました。
「もーほんま妹ウザいわー」と一人が言います。それから十分十五分くらい、いかに自分の妹がウザいかという話が延々と続き、「うち、お兄ちゃんが欲しかったんやわ。それが無理なら弟でもええわ。とにかく妹はいらんわ。一番いらん。妹ウザいわー、消えてくれへんかな!」と女子高生はダルそうにポテトを食いながらボヤき、ずずーっと音を立ててオレンジジュースを飲み干し、ぽつりと言いました。
「でも自分以外が妹の悪口言うとムカつくし、許せへん。言わんといてほしい。お母さんとか。なんでやろ?」
聞いていた友達が、「好きなんちゃうん、妹が」と、さも当たり前のように答えましたが、女子高生は、「それはない。絶対ない」と即答していました。
どういうことなの?
姉妹ってなんなの?
お姉ちゃんはなんでケンタでそんな、ちょっといい話みたいなのを友達にするの?
友達もなんか思わせぶりな、ふふふ、という笑い方をしただけで、それ以上何も言わずにいてあげていましたが、良い友達だったのかもしれません。
兄弟関係というのは私にとっては永遠の神秘です。いつも興味深いです。
姉妹のオカンになれば、その謎めいた神秘のヴェールが一枚くらい剥がれるかもしれません。
ますます謎が深まるだけかもしれないけど。
2012年9月6日木曜日
赤いインク
アナログの雑記を書く時に使うペンに、神戸のpen and messageというお店のオリジナルインク「朱漆」を入れて使っている。暗い色調の赤いインクだ。
赤いインクというのは何となく、校正や添削に使うものという固定イメージが自分の中にあって、一般の筆記用にはどうだろうと、衝動買いしたものの、使いどころがなかった。
ところが夏の間、母が見ていたテレビを一緒に何気なく眺めると、稲川淳二さんが紹介されていた。怪談とかやる、あの人だ。有名な方なので説明はいらないと思うが、その稲川淳二さんの公演用の覚え書きなのか、何かは分からなかったが、A4サイズぐらいの白無地の紙に、赤いインクでびっしり整然と、活字のように整った独特の書体で筆記されたノートの映像が、ワンカットだけ映った。
いわゆる達筆というのとは違うかもしれないが、とても綺麗な字を書く人だと、びっくりした。手書きでああいう原稿が書ける人は非凡なように思う。
それにしても、どうして赤いペンで書いてあるんだろう?
やっぱ怪談の人だし?
何かちょっと血染めみたいな?
いわくは分かりませんが。
とにかく、それを見て、赤いインクでも別にフツーに書くのに使えばいいんだという納得感があって、いつまでも死蔵せずに使うことにした。書いてみると落ち着いた赤で、文字にインクの濃淡が割と顕著に出るのが、万年筆で書いたわという満足感のあるインクだと思う。
大勢に名を知られているような人物というのは、どこかしら非凡だったり突飛だったりするものなんだろうか。
以前、戦場カメラマンの渡辺陽一さんという人のノートをネットでたまたま見た時もそう思った。
あの、ゆっくり喋るおじさんだ。
そのノートには過去に職業上体験された出来事や、出会った人々のこと、写真、いろんな国の紙幣とか、ざっくりいえば「思い出」が記録されているらしいのだが、大事だからという理由で、レンガで装丁されている。
レンガでノートを装丁しようって思って、実際にやってる人がいるなんて。しかもそれを持ち歩いてたなんて。
世の中にはいろんな人がいる。
わけの分からない世の中だ。ノートぐらい好きにすりゃいいんだなと思う。
インクが赤だろうが黒だろうが些細なことだ。
関係ないのだが、うちの子供が毎朝見ている「シャキーン」というEテレの子供番組に、「ジャストタイム」というコーナーがあって、「16秒後にジャストタイムと叫べ!」とかいうミッションを与えられるのだが、それと同時に何とも言えず気の散る映像が流される。
夏場、その映像のひとつが、稲川淳二さんが怪談を語っている緊迫のシーンで、映像が気になって16秒数えるのが無理すぎた。しかも16秒の時点で映像がブツっとカットされて終わってしまうので、続きが気になってしょうがない。
Eテレの人はよくもあんな、もやっとするもんを作ってくれたな。
とりとめもないですが、無事に生きてるよってことで書きました。
妊娠性の貧血やら、だらだら残っているツワリやらで、しんどいんですが、新しく人間ひとり作ろうってなると、それはまあそれなりに、なかなか大変ですよね。
特に大変な瞬間は夜中で、寝相の悪いムスメと一緒に寝ていると、回転蹴りとか普通にあるわけですが、それと同時に胎動でも蹴られまくったりすると、内外からフルボッコされているという稀有な状態だなと、しみじみ眠れません。二人がかりで殴る蹴るの暴行です。それでも何ともなく生きてるんだから、人間てけっこう大雑把な作りなんですね。でなきゃ生きてられないか。
寝苦しい夜も、もうじき終わりが見えてくる季節かと思います。皆さんもお元気で。
赤いインクというのは何となく、校正や添削に使うものという固定イメージが自分の中にあって、一般の筆記用にはどうだろうと、衝動買いしたものの、使いどころがなかった。
ところが夏の間、母が見ていたテレビを一緒に何気なく眺めると、稲川淳二さんが紹介されていた。怪談とかやる、あの人だ。有名な方なので説明はいらないと思うが、その稲川淳二さんの公演用の覚え書きなのか、何かは分からなかったが、A4サイズぐらいの白無地の紙に、赤いインクでびっしり整然と、活字のように整った独特の書体で筆記されたノートの映像が、ワンカットだけ映った。
いわゆる達筆というのとは違うかもしれないが、とても綺麗な字を書く人だと、びっくりした。手書きでああいう原稿が書ける人は非凡なように思う。
それにしても、どうして赤いペンで書いてあるんだろう?
やっぱ怪談の人だし?
何かちょっと血染めみたいな?
いわくは分かりませんが。
とにかく、それを見て、赤いインクでも別にフツーに書くのに使えばいいんだという納得感があって、いつまでも死蔵せずに使うことにした。書いてみると落ち着いた赤で、文字にインクの濃淡が割と顕著に出るのが、万年筆で書いたわという満足感のあるインクだと思う。
大勢に名を知られているような人物というのは、どこかしら非凡だったり突飛だったりするものなんだろうか。
以前、戦場カメラマンの渡辺陽一さんという人のノートをネットでたまたま見た時もそう思った。
あの、ゆっくり喋るおじさんだ。
そのノートには過去に職業上体験された出来事や、出会った人々のこと、写真、いろんな国の紙幣とか、ざっくりいえば「思い出」が記録されているらしいのだが、大事だからという理由で、レンガで装丁されている。
レンガでノートを装丁しようって思って、実際にやってる人がいるなんて。しかもそれを持ち歩いてたなんて。
世の中にはいろんな人がいる。
わけの分からない世の中だ。ノートぐらい好きにすりゃいいんだなと思う。
インクが赤だろうが黒だろうが些細なことだ。
関係ないのだが、うちの子供が毎朝見ている「シャキーン」というEテレの子供番組に、「ジャストタイム」というコーナーがあって、「16秒後にジャストタイムと叫べ!」とかいうミッションを与えられるのだが、それと同時に何とも言えず気の散る映像が流される。
夏場、その映像のひとつが、稲川淳二さんが怪談を語っている緊迫のシーンで、映像が気になって16秒数えるのが無理すぎた。しかも16秒の時点で映像がブツっとカットされて終わってしまうので、続きが気になってしょうがない。
Eテレの人はよくもあんな、もやっとするもんを作ってくれたな。
とりとめもないですが、無事に生きてるよってことで書きました。
妊娠性の貧血やら、だらだら残っているツワリやらで、しんどいんですが、新しく人間ひとり作ろうってなると、それはまあそれなりに、なかなか大変ですよね。
特に大変な瞬間は夜中で、寝相の悪いムスメと一緒に寝ていると、回転蹴りとか普通にあるわけですが、それと同時に胎動でも蹴られまくったりすると、内外からフルボッコされているという稀有な状態だなと、しみじみ眠れません。二人がかりで殴る蹴るの暴行です。それでも何ともなく生きてるんだから、人間てけっこう大雑把な作りなんですね。でなきゃ生きてられないか。
寝苦しい夜も、もうじき終わりが見えてくる季節かと思います。皆さんもお元気で。
2012年8月28日火曜日
ほぼ日手帳に写真を貼る
ほぼ日手帳に骨を埋める覚悟を決めました。そして、ほぼ日手帳への信仰を深めるため、2013年のガイドブックを買ってみた!(添付写真)
内容は、写真が綺麗で面白かったですが、私はもっとマニアックな「ほぼ日手帳ハック」みたいなのを内心求めていたらしく、もっと! もっと何か出して! ってなりました。
紹介されていた使い方は、どれも面白かったですが、中でも特に、外国のお嬢さんの、「愚痴を書いたあとに濃い色のマステを貼って内容を隠す」っていうのが、すごく面白いなって思いました。
日記に愚痴を書くと、スカッとするけど、あとでうっかり読み返しちゃうと、自分の愚痴でも痛かったりがあるので、マステで自己検閲は面白いかもしれない。「書いて、封印」みたいな作業ですね。
何となく、地面に穴掘って愚痴って埋めるみたいな(^^;;
それはともかく、私の日記は半分くらいは親ばか日記です。
子供の写真をシールプリントしたのや、「ママだいすき」とか書いてくれたメモ書きなどを貼ります。
将来、ムスメが思春期に入り、親など見向きもしなくなった頃に、深夜に眺めてサメザメと泣くためのツールです。
外部に漏れたら世間様に顔向けできないような恥ずかしいことを書いています。見られたら、見た者に即座にアサッシンを放たねばなりません。
世の中には中二病と同じくらい、恥ずかしい危険物があるということですね。でも親ばか病のほうは痛くても中二病ほど世間であれこれ言われないのは、やっぱ単純に、大人がやってることで、多数派だからでしょうか?
親ばかに卒業はありません。
さて、話は写真のシールプリントのことなんです。
手帳やノートにシールプリントしたものを貼る作業に関しては、何も親ばか系に限らず、彼氏彼女の写真を貼ったり、友達と撮ったプリクラを貼ったり、旅行の写真や、美味しかった料理の写真を貼ったり、手芸の作品、可愛いペットの写真、自分や好きな絵師さんが描いたイラストや、フィギュア、コスプレの記録、道に落ちていた片方だけの手袋の写真を集めている人だって、リア充からマニアまで幅広く、「やれば楽しいこと」だろうと思います。
だが貼るのが面倒臭い。
いや、貼るのは楽しいんですが、貼る前の印刷とかが面倒臭いです。
なんとか簡単にならんもんなんでしょうか。
ググったら、いくつかお役立ちな記事は拾えたんですが。
iPhotoのインデックスプリント機能を使う方法
http://hacks.beck1240.com/?p=1408
セブンイレブンの分割プリントを使う方法
http://www.1101.com/techo_club/archives/757/
カラリオ・ミーで分割プリント機能を使う方法
http://www.1101.com/techo_club/archives/307/
ダイソーの写真シール用紙などに専用ソフトで印刷する方法
http://kosstyle.blog16.fc2.com/blog-entry-937.html
あと、最後に紹介したURLの記事でも言及されていますが、ポラロイドTWOのようなシールプリント機能付きのデジカメを使う方法もあります。
が、TWOもxiaoも、確かもう製造されてないからね。新たに手に入れるっていうのがちょっと難ありです。
私が今やっている方法は、iPhoneのレイアウトアプリで写真をインデックスプリントのようにズラッと並べた画像を作り、それを版下として、フリーカット仕様のL版シール用紙に、家庭用のインクジェットプリンターで印刷する方法です。
版下は暇な時にiPhoneでちまちま作っておけるので、電車の中とか、子供のお稽古待ちとか、カレーを煮てる時でもやれるし。
子供と一緒にやっても、思い出が反芻できて楽しいです( ´ ▽ ` )←親ばか汁分泌中
ただ、そのシールを高確率で子供にとられますんで、同じものを2枚印刷しないといけなかったりという、思わぬランニングコストがかかる場合も……。
印刷のコマンドも、Wi-Fi対応のプリンターなら、iPhoneのアプリから送れるので、パソコンを起動する手間もかかりません。ものすごくラクです。
シールプリント用の設定をパソコンでやる面倒もありません。
レイアウト用のアプリはいろいろありますが、私はPicFrameというのを使っています。
このアプリで、3:4の縦横比で、3×3枚レイアウトで作ったのをL版シール用紙にプリントすると、カズンの「今日のお言葉」欄を上書きするのに、まあまあちょうどいいサイズの写真シールができるんですよ……? 横に3枚くらい並べて貼れば、全文隠せるというか。
そこまでして「お言葉」を抹消しなくてもいいんだろうけど。
レイアウトの種類は、アプリによって、一枚に大小織り交ぜたものや、いろいろあるので、必要に応じて使います。
フリーカット用紙だから、シール印刷してから、ハサミで切って貼らないといけないんだけど、それはなぜか私には面倒臭い気がしないので平気です。
それも面倒臭いわって人にも、良い方法があるといいんだけどね。
スマホのレイアウトアプリを使う方法は、私には画期的に便利でしたが、ほぼ日公式でも、写真貼ってデコったりする方法を何年も前からフィーチャーしてるんなら、ほぼ日手帳のマス目にピッタリの写真シールがレイアウトできる、ほぼ日手帳シールアプリを開発してくれたらいいのにな。
カズンのマンスリーの枠にピッタリサイズの写真シールをびっしり貼って、親ばかに浸りたいじゃん。
枠と同寸である必要はないのかもしれないけど、同寸だと美しいじゃないですか。
そういうレイアウトアプリ、たぶん開発は簡単な部類って気がするので、別に公式じゃなくてもいいから、アプリ開発者の方々、誰か作って! 誰か! 誰でもいい! お願い作って!(ネットのうら寂れた片隅から微弱な念波を送ってみました。虚しいです)
写真シールの良いところは、薄いことだと思います。
プリントした普通の写真を糊や両面テープで貼ることもできるけど、厚みがあるので、ノートページがボコボコして書きにくくなるし。
シールだとマシです。
ほぼ日手帳カズンの、ウィークリープランナー部分が使えてなくてイラッとしていたんですが、いろいろな用途を考えた挙句、「写真を貼ればいいや」って結論に達しました。何のヒネリもないけど。その週のイベントの写真があればシールプリントして貼るようにしています。
しょぼいアルバムみたいになってる。
日記は私の個人的なものなので、アルバムはアルバムで作らないといけないんだけども。なぜかアルバム作りは億劫です。日記と何が違うのか自分でもよくわからない。
思い出の写真をレイアウトして貼ったり、デコったり、思い出を書き添えたりという回想作業は、フォトセラピーとか言って、心が癒されるらしいです。
皆さんも心が折れそうな時には、一案としてお試しください。
思い出じゃなくても、自分の好きなものの写真でいいみたいです。ラーメンでも。アイドルでも。雑誌の切り抜きでも。
それってたぶん、自分の好きなものだけの箱庭で遊ぶってことなんだろうね。そういうのって一種の現実逃避だけど、でも必要ですよね。
そうやって癒される好きなものがあるっていうのは、幸せです。
内容は、写真が綺麗で面白かったですが、私はもっとマニアックな「ほぼ日手帳ハック」みたいなのを内心求めていたらしく、もっと! もっと何か出して! ってなりました。
紹介されていた使い方は、どれも面白かったですが、中でも特に、外国のお嬢さんの、「愚痴を書いたあとに濃い色のマステを貼って内容を隠す」っていうのが、すごく面白いなって思いました。
日記に愚痴を書くと、スカッとするけど、あとでうっかり読み返しちゃうと、自分の愚痴でも痛かったりがあるので、マステで自己検閲は面白いかもしれない。「書いて、封印」みたいな作業ですね。
何となく、地面に穴掘って愚痴って埋めるみたいな(^^;;
それはともかく、私の日記は半分くらいは親ばか日記です。
子供の写真をシールプリントしたのや、「ママだいすき」とか書いてくれたメモ書きなどを貼ります。
将来、ムスメが思春期に入り、親など見向きもしなくなった頃に、深夜に眺めてサメザメと泣くためのツールです。
外部に漏れたら世間様に顔向けできないような恥ずかしいことを書いています。見られたら、見た者に即座にアサッシンを放たねばなりません。
世の中には中二病と同じくらい、恥ずかしい危険物があるということですね。でも親ばか病のほうは痛くても中二病ほど世間であれこれ言われないのは、やっぱ単純に、大人がやってることで、多数派だからでしょうか?
親ばかに卒業はありません。
さて、話は写真のシールプリントのことなんです。
手帳やノートにシールプリントしたものを貼る作業に関しては、何も親ばか系に限らず、彼氏彼女の写真を貼ったり、友達と撮ったプリクラを貼ったり、旅行の写真や、美味しかった料理の写真を貼ったり、手芸の作品、可愛いペットの写真、自分や好きな絵師さんが描いたイラストや、フィギュア、コスプレの記録、道に落ちていた片方だけの手袋の写真を集めている人だって、リア充からマニアまで幅広く、「やれば楽しいこと」だろうと思います。
だが貼るのが面倒臭い。
いや、貼るのは楽しいんですが、貼る前の印刷とかが面倒臭いです。
なんとか簡単にならんもんなんでしょうか。
ググったら、いくつかお役立ちな記事は拾えたんですが。
iPhotoのインデックスプリント機能を使う方法
http://hacks.beck1240.com/?p=1408
セブンイレブンの分割プリントを使う方法
http://www.1101.com/techo_club/archives/757/
カラリオ・ミーで分割プリント機能を使う方法
http://www.1101.com/techo_club/archives/307/
ダイソーの写真シール用紙などに専用ソフトで印刷する方法
http://kosstyle.blog16.fc2.com/blog-entry-937.html
あと、最後に紹介したURLの記事でも言及されていますが、ポラロイドTWOのようなシールプリント機能付きのデジカメを使う方法もあります。
が、TWOもxiaoも、確かもう製造されてないからね。新たに手に入れるっていうのがちょっと難ありです。
私が今やっている方法は、iPhoneのレイアウトアプリで写真をインデックスプリントのようにズラッと並べた画像を作り、それを版下として、フリーカット仕様のL版シール用紙に、家庭用のインクジェットプリンターで印刷する方法です。
版下は暇な時にiPhoneでちまちま作っておけるので、電車の中とか、子供のお稽古待ちとか、カレーを煮てる時でもやれるし。
子供と一緒にやっても、思い出が反芻できて楽しいです( ´ ▽ ` )←親ばか汁分泌中
ただ、そのシールを高確率で子供にとられますんで、同じものを2枚印刷しないといけなかったりという、思わぬランニングコストがかかる場合も……。
印刷のコマンドも、Wi-Fi対応のプリンターなら、iPhoneのアプリから送れるので、パソコンを起動する手間もかかりません。ものすごくラクです。
シールプリント用の設定をパソコンでやる面倒もありません。
レイアウト用のアプリはいろいろありますが、私はPicFrameというのを使っています。
このアプリで、3:4の縦横比で、3×3枚レイアウトで作ったのをL版シール用紙にプリントすると、カズンの「今日のお言葉」欄を上書きするのに、まあまあちょうどいいサイズの写真シールができるんですよ……? 横に3枚くらい並べて貼れば、全文隠せるというか。
そこまでして「お言葉」を抹消しなくてもいいんだろうけど。
レイアウトの種類は、アプリによって、一枚に大小織り交ぜたものや、いろいろあるので、必要に応じて使います。
フリーカット用紙だから、シール印刷してから、ハサミで切って貼らないといけないんだけど、それはなぜか私には面倒臭い気がしないので平気です。
それも面倒臭いわって人にも、良い方法があるといいんだけどね。
スマホのレイアウトアプリを使う方法は、私には画期的に便利でしたが、ほぼ日公式でも、写真貼ってデコったりする方法を何年も前からフィーチャーしてるんなら、ほぼ日手帳のマス目にピッタリの写真シールがレイアウトできる、ほぼ日手帳シールアプリを開発してくれたらいいのにな。
カズンのマンスリーの枠にピッタリサイズの写真シールをびっしり貼って、親ばかに浸りたいじゃん。
枠と同寸である必要はないのかもしれないけど、同寸だと美しいじゃないですか。
そういうレイアウトアプリ、たぶん開発は簡単な部類って気がするので、別に公式じゃなくてもいいから、アプリ開発者の方々、誰か作って! 誰か! 誰でもいい! お願い作って!(ネットのうら寂れた片隅から微弱な念波を送ってみました。虚しいです)
写真シールの良いところは、薄いことだと思います。
プリントした普通の写真を糊や両面テープで貼ることもできるけど、厚みがあるので、ノートページがボコボコして書きにくくなるし。
シールだとマシです。
ほぼ日手帳カズンの、ウィークリープランナー部分が使えてなくてイラッとしていたんですが、いろいろな用途を考えた挙句、「写真を貼ればいいや」って結論に達しました。何のヒネリもないけど。その週のイベントの写真があればシールプリントして貼るようにしています。
しょぼいアルバムみたいになってる。
日記は私の個人的なものなので、アルバムはアルバムで作らないといけないんだけども。なぜかアルバム作りは億劫です。日記と何が違うのか自分でもよくわからない。
思い出の写真をレイアウトして貼ったり、デコったり、思い出を書き添えたりという回想作業は、フォトセラピーとか言って、心が癒されるらしいです。
皆さんも心が折れそうな時には、一案としてお試しください。
思い出じゃなくても、自分の好きなものの写真でいいみたいです。ラーメンでも。アイドルでも。雑誌の切り抜きでも。
それってたぶん、自分の好きなものだけの箱庭で遊ぶってことなんだろうね。そういうのって一種の現実逃避だけど、でも必要ですよね。
そうやって癒される好きなものがあるっていうのは、幸せです。
2012年8月25日土曜日
棚ボタkoboデビュー
電子文芸誌「でんしょでしょ」が、kobo対応になりました。
楽天koboで検索すると出てきます。
(表示されない場合は、跳び先画面の検索窓の「go」をクリックするといいそうです。)
でんしょ公式での告知記事はこちらです。
私は創刊号に「月下世界紀行vol.1 河を渡る」を載せていただいておりましたので、結果的に楽天koboで作品配信している人になってしまいました。
なんだかソワソワします。
でも現在、楽天koboの作品サーチ機能が、なんというか、かなりアレだそうなので、露出度は限りなくゼロに近いといいますか、知っている人しか知らない電子本として配信中みたいになっていると思います。ソワソワしても無駄かもしれません。
koboをお持ちの方は、よかったらダウンロードして読んでみてください。「でんしょ」さんは、パブーでの配信と同様、無料です。
ゆうりさんとこのブログの「でんしょ」→koboインストール実録記事も参考になります。デフォルトの文字、小さッ(汗)
前にも書いておりますとおり、私もkobo買ってあるんですが、いまだに未開封です。いつやるんだ、初期設定。koboが箱のなかで腐る前にやりたいと思います。
そして、koboとは何の関係もないですが、G+の記事にも書いてしまったように、わたくし、evernoteスマートブック by Moleskineというのを発作的に買いました。予約注文です。宅配は10月1日より開始だそうです。
個人的には、ドット方眼というのが、オリジナル版のモレスキンより好みです。というか、オリジナルのモレスキンの罫線や方眼は濃すぎて苦手です。evernoteのプレミアムアカウントがバンドルされていない、ただのドット方眼のモレスキンを売ってほしいです。
でもきっと売ってくれないんだろうな。
あと、サイト作りがあまりにも立ち行かないので、ちまちま書いてきた新しい原稿は、パブーさんにupしようかなという気がしてきました。
koboとタイアップできる機能というのも魅力といえばそうですが、いろいろ試した投稿系のサイトさんの中では、いちばん自分に合っているかなという印象だったです。
ななかすごい「ゆる〜い」みたいな空気も好きです。
バリバリはもう働けないのです(;´Д`)
「カルテット」とか「三都幻妖夜話」のような長編は、コピペが面倒臭かったり、内容的にアレだったり色々で、移植する予定はいまのところ無いですが、細かいのを移そうかと思います。カルテットは私の気力があれば、パブーさんに置かせてもらっても差し支えはないと思うのですが。まずは小品から。
気づけばサイトのどこからもリンクしていませんでしたが、パブーさんでの私の作者アカウントは、ここにあります。
当面は、旧作を移植するのが精々なので、ブクマしていただく程ではないです。もし、何か新しいのをupできたら、ブログで告知したいと思います。
楽天koboで検索すると出てきます。
(表示されない場合は、跳び先画面の検索窓の「go」をクリックするといいそうです。)
でんしょ公式での告知記事はこちらです。
私は創刊号に「月下世界紀行vol.1 河を渡る」を載せていただいておりましたので、結果的に楽天koboで作品配信している人になってしまいました。
なんだかソワソワします。
でも現在、楽天koboの作品サーチ機能が、なんというか、かなりアレだそうなので、露出度は限りなくゼロに近いといいますか、知っている人しか知らない電子本として配信中みたいになっていると思います。ソワソワしても無駄かもしれません。
koboをお持ちの方は、よかったらダウンロードして読んでみてください。「でんしょ」さんは、パブーでの配信と同様、無料です。
ゆうりさんとこのブログの「でんしょ」→koboインストール実録記事も参考になります。デフォルトの文字、小さッ(汗)
前にも書いておりますとおり、私もkobo買ってあるんですが、いまだに未開封です。いつやるんだ、初期設定。koboが箱のなかで腐る前にやりたいと思います。
そして、koboとは何の関係もないですが、G+の記事にも書いてしまったように、わたくし、evernoteスマートブック by Moleskineというのを発作的に買いました。予約注文です。宅配は10月1日より開始だそうです。
個人的には、ドット方眼というのが、オリジナル版のモレスキンより好みです。というか、オリジナルのモレスキンの罫線や方眼は濃すぎて苦手です。evernoteのプレミアムアカウントがバンドルされていない、ただのドット方眼のモレスキンを売ってほしいです。
でもきっと売ってくれないんだろうな。
あと、サイト作りがあまりにも立ち行かないので、ちまちま書いてきた新しい原稿は、パブーさんにupしようかなという気がしてきました。
koboとタイアップできる機能というのも魅力といえばそうですが、いろいろ試した投稿系のサイトさんの中では、いちばん自分に合っているかなという印象だったです。
ななかすごい「ゆる〜い」みたいな空気も好きです。
バリバリはもう働けないのです(;´Д`)
「カルテット」とか「三都幻妖夜話」のような長編は、コピペが面倒臭かったり、内容的にアレだったり色々で、移植する予定はいまのところ無いですが、細かいのを移そうかと思います。カルテットは私の気力があれば、パブーさんに置かせてもらっても差し支えはないと思うのですが。まずは小品から。
気づけばサイトのどこからもリンクしていませんでしたが、パブーさんでの私の作者アカウントは、ここにあります。
当面は、旧作を移植するのが精々なので、ブクマしていただく程ではないです。もし、何か新しいのをupできたら、ブログで告知したいと思います。
2012年8月17日金曜日
年を取る
大文字が終わりました。
今年は、遠くからチョコっと見える「大」の字を眺めて満足しました。
地元・京都の人は、五山の送り火を眺める穴場を知っていたりするようです。意外なところから見えたりする場合もあります。
近くから眺める送り火が、やはり迫力があると思いますが、思わぬところからチラッと見える送り火も、それはそれでオツなもんです。
今日は中学以来の友人と会ってきました。皆、就職や結婚などで各地に散っているので、たまたま予定が合う人しかお互い会えません。
今回も久しぶりに会いました。
私は参加できなかった同窓会の話を聞かせてもらいました。
その中で、「年をとったのがショックだという話をしていた人がいたよ」という話題が出ました。
年を取るのって、ショックな事なんでしょうか。
私はすでに半ボケなのか、自分が何歳なのか時々わからなくなります。
具体的な数字での年齢って、あんまり関係ない気がして、公的な文書に年齢を書かないといけない時くらいしか思い出しません。
年を取るのを無視してるわけではなくて、ひしひしと寄る年波は感じるんですが、それが嫌だって、あまり思わないです。
なんでだろうな。
やはり、ひとつには、小説を書くせいな気がします。
その年齢にならないと書けないものっていうのが、どうもあるようで、年々上達するというのとは違いますが、新しい発見があって、年を取る楽しみがあります。
年齢とは違うけど、最初に出産したときに、「これで出産シーンも安心して書けるな」と思いました。それは14歳の時の私には書けないものでした。それと引き換えに、何かを失っているんだろうけど、それまで書きあぐねていた関門の扉が開くこともあるかもしれません。
ものを書く人間の気楽さです。
あと、年を取る楽しみがあるのは、着物を着る人にも独特のものかもしれないです。
洋服だって同じかもしれないですが、私はそっちは鈍いので。
私の好む着物の柄は、地味というか、渋いものが多いです。ある程度、年齢を重ねて老けないと、似合わないっていうのが多くて、憧れの柄行きを着こなすには、早くお婆さんにならなくちゃ、せめて50代くらいにはならないと、というのがあって、だからといって早く年老いるのは無理ですが、老けたら老けたなりの楽しみがあるわけです。
以前、浴衣を仕立ててもらおうと、着物屋さんに行って、担当の店員さんに、松煙染めの反物を、あれがいいと試着を頼んだら、「あれはあきません」とリジェクトされました。白抜きで模様が染めてある、グレーの反物です。
な、なんでだよう!
びっくりして聞いたら、「これは20代の人が若さで着こなすか、60、70代の人がお似合いになるものです。椎堂さんぐらいの中途半端なお年の人には、お勧めできません」と、そんなハッキリ言うなっていうぐらいハッキリ言われ、それでも顔映りを見てみるぐらいええやん、減るもんやなし! と、試してみたら、びっくりするぐらい似合いませんでした。
「あきませんね」と、担当のお兄ちゃんがキッパリ言うので、そんな正直な接客で怒られたりせえへんのかと心配になるほどでした。
その時は、お兄ちゃんが勧める別のを買いましたが、これが年相応というのを着ると、不思議とよく似合うもんです。
「お婆さんみたいなのは、お婆さんになってから買いにきはったらええやないですか」と、お兄ちゃんがしれっと悪びれもせず言うので、確かにそうやなと納得しています。
そのほうが、生きる楽しみや張り合いがあるよね。
年老いるのが怖いというのは、死が怖いということなのかな。
死は怖いかもしれません。
死んだらもう、何もできない気がするし。
死んだら一行だって書けない。
友達とも会えない。
着物だって着られないし。
しかし、率直がモットーの店員のお兄ちゃんによれば、お店のお客さんで、「あの世で着るから」と言って、自分の死装束として、着物や帯を沢山買っていった老婦人がいたそうです。
その方は亡くなりました。一番気に入った大島紬を着て棺に入り、他の死装束はもう一つ別の棺にいれて、同時に荼毘に付してもらったそうです。
大変、贅沢な話ですけど、いかにも着倒れの死に様って感じで、格好いいですね。
「今頃、あの世で着て楽しんではるんやないですか」と、お兄ちゃんは真面目な顔して話していました。
どこのどなたかは存じませんけど、そうだといいなと思います。
ことによれば、死んだ後にしか着こなせないものっていうのも、あるのかもしれないですね。
なんだか変なファンタジーだけど。
今年は、遠くからチョコっと見える「大」の字を眺めて満足しました。
地元・京都の人は、五山の送り火を眺める穴場を知っていたりするようです。意外なところから見えたりする場合もあります。
近くから眺める送り火が、やはり迫力があると思いますが、思わぬところからチラッと見える送り火も、それはそれでオツなもんです。
今日は中学以来の友人と会ってきました。皆、就職や結婚などで各地に散っているので、たまたま予定が合う人しかお互い会えません。
今回も久しぶりに会いました。
私は参加できなかった同窓会の話を聞かせてもらいました。
その中で、「年をとったのがショックだという話をしていた人がいたよ」という話題が出ました。
年を取るのって、ショックな事なんでしょうか。
私はすでに半ボケなのか、自分が何歳なのか時々わからなくなります。
具体的な数字での年齢って、あんまり関係ない気がして、公的な文書に年齢を書かないといけない時くらいしか思い出しません。
年を取るのを無視してるわけではなくて、ひしひしと寄る年波は感じるんですが、それが嫌だって、あまり思わないです。
なんでだろうな。
やはり、ひとつには、小説を書くせいな気がします。
その年齢にならないと書けないものっていうのが、どうもあるようで、年々上達するというのとは違いますが、新しい発見があって、年を取る楽しみがあります。
年齢とは違うけど、最初に出産したときに、「これで出産シーンも安心して書けるな」と思いました。それは14歳の時の私には書けないものでした。それと引き換えに、何かを失っているんだろうけど、それまで書きあぐねていた関門の扉が開くこともあるかもしれません。
ものを書く人間の気楽さです。
あと、年を取る楽しみがあるのは、着物を着る人にも独特のものかもしれないです。
洋服だって同じかもしれないですが、私はそっちは鈍いので。
私の好む着物の柄は、地味というか、渋いものが多いです。ある程度、年齢を重ねて老けないと、似合わないっていうのが多くて、憧れの柄行きを着こなすには、早くお婆さんにならなくちゃ、せめて50代くらいにはならないと、というのがあって、だからといって早く年老いるのは無理ですが、老けたら老けたなりの楽しみがあるわけです。
以前、浴衣を仕立ててもらおうと、着物屋さんに行って、担当の店員さんに、松煙染めの反物を、あれがいいと試着を頼んだら、「あれはあきません」とリジェクトされました。白抜きで模様が染めてある、グレーの反物です。
な、なんでだよう!
びっくりして聞いたら、「これは20代の人が若さで着こなすか、60、70代の人がお似合いになるものです。椎堂さんぐらいの中途半端なお年の人には、お勧めできません」と、そんなハッキリ言うなっていうぐらいハッキリ言われ、それでも顔映りを見てみるぐらいええやん、減るもんやなし! と、試してみたら、びっくりするぐらい似合いませんでした。
「あきませんね」と、担当のお兄ちゃんがキッパリ言うので、そんな正直な接客で怒られたりせえへんのかと心配になるほどでした。
その時は、お兄ちゃんが勧める別のを買いましたが、これが年相応というのを着ると、不思議とよく似合うもんです。
「お婆さんみたいなのは、お婆さんになってから買いにきはったらええやないですか」と、お兄ちゃんがしれっと悪びれもせず言うので、確かにそうやなと納得しています。
そのほうが、生きる楽しみや張り合いがあるよね。
年老いるのが怖いというのは、死が怖いということなのかな。
死は怖いかもしれません。
死んだらもう、何もできない気がするし。
死んだら一行だって書けない。
友達とも会えない。
着物だって着られないし。
しかし、率直がモットーの店員のお兄ちゃんによれば、お店のお客さんで、「あの世で着るから」と言って、自分の死装束として、着物や帯を沢山買っていった老婦人がいたそうです。
その方は亡くなりました。一番気に入った大島紬を着て棺に入り、他の死装束はもう一つ別の棺にいれて、同時に荼毘に付してもらったそうです。
大変、贅沢な話ですけど、いかにも着倒れの死に様って感じで、格好いいですね。
「今頃、あの世で着て楽しんではるんやないですか」と、お兄ちゃんは真面目な顔して話していました。
どこのどなたかは存じませんけど、そうだといいなと思います。
ことによれば、死んだ後にしか着こなせないものっていうのも、あるのかもしれないですね。
なんだか変なファンタジーだけど。
2012年8月15日水曜日
デスクに牛皮を敷いてみた
革張りのデスクって凄くいいなと思うんですが、とっても豪勢です。
代わりに、デスクにレザーマットを敷くという手もありますが、そのマット自体も、主婦感覚では、「ちょっとアレだな」と思う感じです。そこまでしなくても字は書けるな、みたいなね。
カバン買うくらいの値段ですが、だったらカバン買うかな、とか( ´ ▽ ` )←袋物には目がなくて
いつかは欲しいな~、でも今日買うのは思い切りがつかないな~(そして数年)、みたいなアイテムです、私にとっては。
とりあえず、家にあった皮の端切れを敷いてみました。東急ハンズで売ってた、レザークラフト用の端皮の詰め合わせに入ってた大きいやつ。値段的には、これ一枚で千円いかない程度かな。
傷もあって、クオリティのいい皮ではないですが、「あーらボールペンで書いちゃった」とか、万年筆のインクこぼしちゃった、とか、「ママー、チョコレートついちゃったー( ´ ▽ ` )」とかなっても、あらまあ大失敗ウフフ、とかで気楽に済ませられるので平和です。
私には当座こんなもんで十分だわ。
良い皮で作られているデスクマットとは比べものにならないでしょうが、手触りもよくて、書き心地もよいです。デスクの汚れ防止にはなる。
それにしても、久々に触ったキーボードが埃だらけで汚くなっていてギョッとしました。写真だとあまり分からないといいな。綺麗じゃなくてすみません。
代わりに、デスクにレザーマットを敷くという手もありますが、そのマット自体も、主婦感覚では、「ちょっとアレだな」と思う感じです。そこまでしなくても字は書けるな、みたいなね。
カバン買うくらいの値段ですが、だったらカバン買うかな、とか( ´ ▽ ` )←袋物には目がなくて
いつかは欲しいな~、でも今日買うのは思い切りがつかないな~(そして数年)、みたいなアイテムです、私にとっては。
とりあえず、家にあった皮の端切れを敷いてみました。東急ハンズで売ってた、レザークラフト用の端皮の詰め合わせに入ってた大きいやつ。値段的には、これ一枚で千円いかない程度かな。
傷もあって、クオリティのいい皮ではないですが、「あーらボールペンで書いちゃった」とか、万年筆のインクこぼしちゃった、とか、「ママー、チョコレートついちゃったー( ´ ▽ ` )」とかなっても、あらまあ大失敗ウフフ、とかで気楽に済ませられるので平和です。
私には当座こんなもんで十分だわ。
良い皮で作られているデスクマットとは比べものにならないでしょうが、手触りもよくて、書き心地もよいです。デスクの汚れ防止にはなる。
それにしても、久々に触ったキーボードが埃だらけで汚くなっていてギョッとしました。写真だとあまり分からないといいな。綺麗じゃなくてすみません。
2012年8月13日月曜日
読了本
BBCのドラマ「シャーロック」を観たので、原作はどんなだっけと思って、コナン・ドイル作の「緋色の研究」を読みました。面白いね。娯楽だ!
訳は駒月雅子さんです。
せっかくなので、ひとりシャーロック・ホームズ祭りと行こうと思うんですが、次は何を読めばいいんだっけ、ってなりました。
一作目が「緋色の研究」だってことは知っていたんだけども。
とりあえずググるかと思って検索したら、シャーロック・ホームズシリーズ全作の邦訳を無料で公開しているというサイトに行き当たりました。
http://www.221b.jp/
コナン・ドイルの死後、50年が過ぎたのだということですね。
シャーロック・ホームズシリーズの第一作「緋色の研究」をコナン・ドイルが出版社に持って行った時、何度も断られて、結局、著作権買い上げで出版されたと、そのサイトで解説されていました。
今も大人気の名作で、そういう経過を持っている作品て、結構ありますよね。フィクションの人気って、実は案外、「出してみるまで分からない」ものなのかもしれないです。
先日まで個人的に、人生何度目かの「赤毛のアン祭り」だったんですが、この作品の一作目である「グリーン・ゲイブルスのアン」も、作者のモンゴメリが出版社に原稿を送った時には、編集者のウケが悪くて、いったんお蔵入りしたり、二束三文の原稿料で買い上げで出版されたりしたそうです。
どうして編集者の人には面白くなかったんだろうね?
まだ世に出てない作品の面白さって、なんかちょっと難しいのかな。不思議です。
あ、そういえば、久しぶりに「赤毛のアン」を読み返していて、アンの友人に「ルビー・ギリス」という人物が出て来るので、そういえばそうだった、ギリスちゃんの名前の元ネタこれかもな! って自分でびっくりしました。
意図して引用したわけではないので、キャラクター的には似ても似つかないですが、音だけ憶えてたのだろうね。
カナダに普通にある姓かもしれず、世間には実在のギリスさんがいっぱいいるのかも。
面白い作品といえば、最近うちのムスメが、ちょっとしたご縁で、競技カルタのクラブに入りたいと言い出しまして、日々、呪文のように百人一首をブツブツ丸暗記しはじめ、しかもなぜか柿本人麻呂の「あしひきの~」という句の無限ループです。私はそれを毎日ずっと聞かされて、気が変になりそうです。
競技カルタってどういうものなの? と思って、それを題材にしていて、面白いと評判だった漫画「ちはやふる」の事を思い出し、最新17巻まで大人買いしてみました。
ぼちぼちと読んでいますが、面白いです。面白いですが、競技カルタ大変そうじゃないか( ;´Д`) すっごい体育会系じゃないか!
うちのムスメ様、野生児で真っ黒に日焼けしてて傷だらけなので、ちょっとは女の子らしい淑やかさもプラスしたらどうや? という陰謀もあり、百人一首か、イイネとか安易に思ってたんですが。親しいオカン友も、「百人一首ええやん、将来、受験とかで役に立つかも( ´ ▽ ` )」とか平和なコメントをしていて、そーやねと私も平和に考えていたんだけども。
さー、どーかな。怪しいな。怪しいな。
ちゃんと続くかも、かなり怪しいですけどね。まだ子供ですんで。
でも一刻も早く、柿本人麻呂無限ループから脱してほしいです。私がキレる前に。
旦那は親バカ過ぎて「iTMSで百人一首の読み上げデータ買っちゃった(((o(*゚▽゚*)o)))」とか言うので、そんなもんあるんやってビックリしています。
その読み上げの音が大音量で家じゅうに鳴り響いている時もあってね。
なんだか不気味な家になってきました。
訳は駒月雅子さんです。
せっかくなので、ひとりシャーロック・ホームズ祭りと行こうと思うんですが、次は何を読めばいいんだっけ、ってなりました。
一作目が「緋色の研究」だってことは知っていたんだけども。
とりあえずググるかと思って検索したら、シャーロック・ホームズシリーズ全作の邦訳を無料で公開しているというサイトに行き当たりました。
http://www.221b.jp/
コナン・ドイルの死後、50年が過ぎたのだということですね。
シャーロック・ホームズシリーズの第一作「緋色の研究」をコナン・ドイルが出版社に持って行った時、何度も断られて、結局、著作権買い上げで出版されたと、そのサイトで解説されていました。
今も大人気の名作で、そういう経過を持っている作品て、結構ありますよね。フィクションの人気って、実は案外、「出してみるまで分からない」ものなのかもしれないです。
先日まで個人的に、人生何度目かの「赤毛のアン祭り」だったんですが、この作品の一作目である「グリーン・ゲイブルスのアン」も、作者のモンゴメリが出版社に原稿を送った時には、編集者のウケが悪くて、いったんお蔵入りしたり、二束三文の原稿料で買い上げで出版されたりしたそうです。
どうして編集者の人には面白くなかったんだろうね?
まだ世に出てない作品の面白さって、なんかちょっと難しいのかな。不思議です。
あ、そういえば、久しぶりに「赤毛のアン」を読み返していて、アンの友人に「ルビー・ギリス」という人物が出て来るので、そういえばそうだった、ギリスちゃんの名前の元ネタこれかもな! って自分でびっくりしました。
意図して引用したわけではないので、キャラクター的には似ても似つかないですが、音だけ憶えてたのだろうね。
カナダに普通にある姓かもしれず、世間には実在のギリスさんがいっぱいいるのかも。
面白い作品といえば、最近うちのムスメが、ちょっとしたご縁で、競技カルタのクラブに入りたいと言い出しまして、日々、呪文のように百人一首をブツブツ丸暗記しはじめ、しかもなぜか柿本人麻呂の「あしひきの~」という句の無限ループです。私はそれを毎日ずっと聞かされて、気が変になりそうです。
競技カルタってどういうものなの? と思って、それを題材にしていて、面白いと評判だった漫画「ちはやふる」の事を思い出し、最新17巻まで大人買いしてみました。
ぼちぼちと読んでいますが、面白いです。面白いですが、競技カルタ大変そうじゃないか( ;´Д`) すっごい体育会系じゃないか!
うちのムスメ様、野生児で真っ黒に日焼けしてて傷だらけなので、ちょっとは女の子らしい淑やかさもプラスしたらどうや? という陰謀もあり、百人一首か、イイネとか安易に思ってたんですが。親しいオカン友も、「百人一首ええやん、将来、受験とかで役に立つかも( ´ ▽ ` )」とか平和なコメントをしていて、そーやねと私も平和に考えていたんだけども。
さー、どーかな。怪しいな。怪しいな。
ちゃんと続くかも、かなり怪しいですけどね。まだ子供ですんで。
でも一刻も早く、柿本人麻呂無限ループから脱してほしいです。私がキレる前に。
旦那は親バカ過ぎて「iTMSで百人一首の読み上げデータ買っちゃった(((o(*゚▽゚*)o)))」とか言うので、そんなもんあるんやってビックリしています。
その読み上げの音が大音量で家じゅうに鳴り響いている時もあってね。
なんだか不気味な家になってきました。
2012年8月11日土曜日
秋の声
立秋を過ぎ、まだ暑いのに暦のうえでは秋なのかと思っていたら、なんだか日陰で感じる風が、こころなしか涼風のような。
夏が終わろうとしているんだなあ、って、ホッとするような、ちょっと寂しいようなです。
子供の頃、夏休みも後半になってくると、なんだか切ないような気がしていましたが、単に休みが終わるからっていうだけじゃなく、こういう体感的な季節の変化をなんとなく感じていたのかも?
アイスが前ほど美味しくない的な。
京都では昔から、夏は祇園祭の山鉾巡行に始まり、大文字の送り火で終わると言われてるんだそうです。ほんまかいなと思うけど、不思議と毎年、山鉾巡行に合わせて梅雨が明け、大文字を過ぎると、もう浴衣でもない、と思う。まだまだ残暑は続くんだけど、お盆とともに夏が去るような感じがあります。
若い頃は、そういうの、「あっそ」という程度にしか感じていなかったですが、近年は年食って、時の過ぎ行くのを実感を持って感じるせいか、朝顔の種が熟すのを見ても、「夏が過ぎ行く!!」とシミジミ感じ入っています。時は有限なほうが、美しいっちゅうこともあるんでしょうね。
ところで、いい感じの着物マンガあるよって教えてもらいました。
「チマちゃんの和箪笥」
http://cocohana.shueisha.co.jp/story/sano/chimachan/index.html
雑誌連載ちゅうで、まだコミックスにはなってないんですね。雑誌は見ないのでノーチェックでした。
画風も丁寧で可愛いし、着物の着方が、なんつうか、「キモノもえ~」みたいなのじゃなく、普段着てる人の着方っぽいですね。もえ~も好きなんだけど、こういうのもいいな。
教えてくださった方、ありがとうございます。雑誌見てみよう!
最近、私が着物を着ているかですが、着ていません。実は妊娠ちゅうでして、いま7ヶ月で、ハラが邪魔です。
妊婦でも着物は着られるんですが、私は体質的にツワリが酷いほうでして、トイレで五体投地みたいな日が長かったのでね、その時期に着物封印になっちゃいました。
体を締めるものが全般だめで、妊婦パンツのゴムすらヤバイ的な。洗濯も一時期、オカン様任せだったので、洗うのにコツがいる長襦袢やら何やらを洗わせるのは恐縮だったんです。
まあ、着物生活は私の場合、健康あってのことですわ。
興味は相変わらずなので、産んだらまた着ると思います。産んだら、それはそれで「そんな余裕ねえ!!」って時期が半年は続くかもしれないんだけども。
でも産後の女って、なんか得体のしれない脳内麻薬が出てるっぽいし。前の育児期にも、呆れるほど書いてましたしね。たぶんオカン汁効果で100万字以上書いたよね。
またドーピングできるといいね。
家事して育児して、それでも寝ないで書けるっていうのは、女体の持つ底力って凄いというか怖いですよね。
子供連れてる母熊が最強生物みたいなものかな?
いまはまだツワリもあって最弱生物になってますけど(カサカサ…)
年寄りなので、死なない程度に頑張ります。
いやでも本音を言うと着物着たいね!
街で行き会う浴衣や夏着物の人たちを物欲しげにガン見しています。
目からレーザー出てるよ!
夏が終わろうとしているんだなあ、って、ホッとするような、ちょっと寂しいようなです。
子供の頃、夏休みも後半になってくると、なんだか切ないような気がしていましたが、単に休みが終わるからっていうだけじゃなく、こういう体感的な季節の変化をなんとなく感じていたのかも?
アイスが前ほど美味しくない的な。
京都では昔から、夏は祇園祭の山鉾巡行に始まり、大文字の送り火で終わると言われてるんだそうです。ほんまかいなと思うけど、不思議と毎年、山鉾巡行に合わせて梅雨が明け、大文字を過ぎると、もう浴衣でもない、と思う。まだまだ残暑は続くんだけど、お盆とともに夏が去るような感じがあります。
若い頃は、そういうの、「あっそ」という程度にしか感じていなかったですが、近年は年食って、時の過ぎ行くのを実感を持って感じるせいか、朝顔の種が熟すのを見ても、「夏が過ぎ行く!!」とシミジミ感じ入っています。時は有限なほうが、美しいっちゅうこともあるんでしょうね。
ところで、いい感じの着物マンガあるよって教えてもらいました。
「チマちゃんの和箪笥」
http://cocohana.shueisha.co.jp/story/sano/chimachan/index.html
雑誌連載ちゅうで、まだコミックスにはなってないんですね。雑誌は見ないのでノーチェックでした。
画風も丁寧で可愛いし、着物の着方が、なんつうか、「キモノもえ~」みたいなのじゃなく、普段着てる人の着方っぽいですね。もえ~も好きなんだけど、こういうのもいいな。
教えてくださった方、ありがとうございます。雑誌見てみよう!
最近、私が着物を着ているかですが、着ていません。実は妊娠ちゅうでして、いま7ヶ月で、ハラが邪魔です。
妊婦でも着物は着られるんですが、私は体質的にツワリが酷いほうでして、トイレで五体投地みたいな日が長かったのでね、その時期に着物封印になっちゃいました。
体を締めるものが全般だめで、妊婦パンツのゴムすらヤバイ的な。洗濯も一時期、オカン様任せだったので、洗うのにコツがいる長襦袢やら何やらを洗わせるのは恐縮だったんです。
まあ、着物生活は私の場合、健康あってのことですわ。
興味は相変わらずなので、産んだらまた着ると思います。産んだら、それはそれで「そんな余裕ねえ!!」って時期が半年は続くかもしれないんだけども。
でも産後の女って、なんか得体のしれない脳内麻薬が出てるっぽいし。前の育児期にも、呆れるほど書いてましたしね。たぶんオカン汁効果で100万字以上書いたよね。
またドーピングできるといいね。
家事して育児して、それでも寝ないで書けるっていうのは、女体の持つ底力って凄いというか怖いですよね。
子供連れてる母熊が最強生物みたいなものかな?
いまはまだツワリもあって最弱生物になってますけど(カサカサ…)
年寄りなので、死なない程度に頑張ります。
いやでも本音を言うと着物着たいね!
街で行き会う浴衣や夏着物の人たちを物欲しげにガン見しています。
目からレーザー出てるよ!
2012年8月9日木曜日
パブーがkoboイーブックストアと連携
タイトルまんまですが、パブーがkoboイーブックストアと外部連携するんだって。
↓パブー公式のお知らせ
http://p.booklog.jp/book/385/page/1192058/
パブーで有料販売の作品だけでなく、無料の作品も連携可能のような記述なので、オンノベをパブーで公開して、イーブックストア連携機能をオンにすれば、手軽にkoboにインストールできるのかもですね。
そういう私はまだkoboのパッケージも開封してません。
いやいや、時間つうかパワーがなくて( ;´Д`)
作品をイーブックストアに手軽に置けるっていうのは凄いよね。
そっちを利用できる機会は私のパワー的に当面なさそうですが、パブーをベースに頒布されている電子同人誌「でんしょでしょ」に寄稿したことがあるので、そちらで棚ぼた的にイーブックストア進出してるかもね!
(でんしょがイーブックストア対応になるか知らないので勝手に言ってるだけですが)
ほんとに近頃のインターネットって、やる気さえあれば何でもできる世界だよね。素晴らしい。
そういう素晴らしいプラットホームがいくらでもあるご時世に、個人サイトで書くっていうのは、ある意味すごいというか、ほとんど意味わからないんだが、でも自分が楽しいしいいか。
個人サイトベースのオンライン作家って絶滅危惧種じゃないかという懸念を時々ふっと感じますが、いつまでたっても生きた化石として生き続けてる自分がいそうです。(ただの化石のときもありますが。生きてないというか)
パブーさん、グッジョブだな!
↓パブー公式のお知らせ
http://p.booklog.jp/book/385/page/1192058/
パブーで有料販売の作品だけでなく、無料の作品も連携可能のような記述なので、オンノベをパブーで公開して、イーブックストア連携機能をオンにすれば、手軽にkoboにインストールできるのかもですね。
そういう私はまだkoboのパッケージも開封してません。
いやいや、時間つうかパワーがなくて( ;´Д`)
作品をイーブックストアに手軽に置けるっていうのは凄いよね。
そっちを利用できる機会は私のパワー的に当面なさそうですが、パブーをベースに頒布されている電子同人誌「でんしょでしょ」に寄稿したことがあるので、そちらで棚ぼた的にイーブックストア進出してるかもね!
(でんしょがイーブックストア対応になるか知らないので勝手に言ってるだけですが)
ほんとに近頃のインターネットって、やる気さえあれば何でもできる世界だよね。素晴らしい。
そういう素晴らしいプラットホームがいくらでもあるご時世に、個人サイトで書くっていうのは、ある意味すごいというか、ほとんど意味わからないんだが、でも自分が楽しいしいいか。
個人サイトベースのオンライン作家って絶滅危惧種じゃないかという懸念を時々ふっと感じますが、いつまでたっても生きた化石として生き続けてる自分がいそうです。(ただの化石のときもありますが。生きてないというか)
パブーさん、グッジョブだな!
2012年8月7日火曜日
Polaroid TWOとabrAsusと
evernoteは写真の添付ができるから、日記や取材記に便利だよね、と思うが、アナログ(紙)のノートでも、それは可能なのです。ただ手間暇やコストがかかるというだけのことで。写真をプリントして貼ればいいんですよね。
Polaroid TWOという、写真ステッカーを印刷する機能のあるデジカメが、うちにあるんですが、こいつのランニングコストが地味に結構かかります。フォトペーパーが一枚あたり40円なので。それでも親ばかツールとしては許せなくもない範囲で、子供の写真などをプリントして、嬉しげに日記に貼ったりするのに使っています。
それでも、デジタルの手軽さ、ローコストさに比べると、面倒なわけで、実体があるということが、どの程度重要なのか、微妙な問題ですね。
evernoteにUPしたのを、iPadで見るなどすれば、見返す時の使用感も、アナログのアルバムやノートとさして変わんない。バーチャルかリアルかっていう差でしかない。
その差が、「すごく大きい」のか、「そう変わらない」のかは、感じ方や価値観の個人差ですよね。
私には最近、よく分からんようになってきました。アナログのノートも三度の飯より好きですが、もともとバーチャルなものに抵抗感の薄い人間なので、iPadのようなデバイスがあると、アナログとデジタルの境界線が曖昧になってきます。
そこがiPadを初めとする、タッチ操作のタブレット端末の画期的なところなのかもしれないですけどね。
紙の本か、電子書籍かっちゅう話にも、相通ずる何かがありそう。
アナログとデジタルの境界線上に位置するデバイスとして、abrAsusを導入してみることにしました。
A4用紙を3回折りたたんで使うメモ帳のメソッドです。折りたたんだ紙を挟んで、台紙の役割をする革製のホルダーが販売されているので、買ってみました。
evernoteのプレミアムコードを買おうと思っていたタイミングだったので、それがバンドルされている、緑色のホルダー(ゾウさんのロゴマーク入り)にしました。
恐ろしく鮮やかな緑色です。まさしくエバーノート色です。
買っていきなりアレですが、使いにくいな、これ。紙のホールドが弱くて。
「このホルダー、いるの?」ってなっちゃう。紙を折りたたんで使うメソッドがいけてるだけで、ホルダーは食玩についてるラムネ的な何かではないかと、買ってみてから脂汗出てきました。
立ってメモるような人には、ジョッターとして有効と思うけど、微妙。
私の愛読する、きたきつねさんの文具ブログで紹介されていた、
http://northfox.cocolog-nifty.com/stationery/2012/08/post-b137.html
OHTOのジョッター機能付きカードホルダーが、強く主張はしないまでも、同じ機能だったり? こっちのほうがホールド力あって便利だったり?
abrAsusのメソッドが自分に合っているか試すために、折りたたんだA4用紙を沢山作って、厚紙と一緒にクリアホルダーに入れ、それを台紙にして書いたりしていたんですが、それのほうが便利だったな。A4両面、あっという間に書いてしまうんですよ。すぐにレフィルが要るのよ。要る時に手元にないと困るのだしね。「どこにでもあるA4用紙」とはいえ、その時に手元にあるとは限らないですよね。それ用に折りたたんだのを持ち歩いてないと。
私は、ホルダーには開発の余地があるのではと思うけど、本来的には長文ではなく、出先で思いつきや電話番号などを咄嗟にメモる目的で使うのでしょうから、別にこれでいいのかもですね。
abrAsusのコンセプトが最も際立つのは、折りたたんで筆記したメモを、再びA4サイズまで開いてもどし、スキャナでデジタル化して保存することを提案しているところです。原本はシュレッダーして廃棄し、スキャンデータはevernoteなどのクラウドに保存。スマホなどから、いつでも閲覧できちゃうぞという寸法です。
私は、abrAsusのメソッドで、縦書き2段組で小説原稿の草案を書き、evernoteに下書き原稿としてストックする方法がいいんじゃないかなーと思っているんですが、どんなもんですかねえ。
一番、筆が乗るのは私の場合、デスクでPCに向かってキーボードを叩く方法ですが、最近それが難しいので。
スマホで入力するよりは、紙に手書きのほうが、まだしも筆が乗るんですが、後で入力し直さないといけませんしね。
それなら多少書きづらくても、iTextのような、スマホ用のテキストエディタで書いて、クラウドに保存するほうが、全体的に見た時の手間は少ないです。
でも、書き心地って重要ですしね。
などと、堂々巡りしているところです。目下。
abrAsus方式のA4用紙をスキャンするには、iScamilという、iPadと直結できるポータブルスキャナが便利そうですが。
http://www.kingjim.co.jp/sp/iscamil/
スキャンの精度はどうなんだろう。
子供が描いてくれた絵や、evernoteにUPして捨てたい書類やハガキのスキャンにも便利そう。
そうやってバリバリとデジタル化していくと、家が散らかりにくいのも、いいところなんです。
が、いざアレもコレも電子化ってやりはじめると、懐古趣味なのか、天邪鬼なのか、「紙っていいよね……」って発作が起きてね。
ノートに写真とかチラシとか、ペタペタ貼ると癒されるんですよね。手作業でね。
Polaroid TWOについて先述しましたが、写真ステッカー印刷っていうと、9月に発売予定のCanonのSELPHY CP900
http://cweb.canon.jp/cpp/lineup/cp900/
も良さそうです。
Wi-Fi経由で、iPhoneから写真データをプリントできるっていうのが魅力的。
しかし、写真ステッカーのランニングコストはポラロイド超え。
親ばか道もらくじゃないな。
でも、iPhoneで撮った写真データを簡単にプリントできるのって便利ですよね。
プリントする必要ないじゃん、iPhoneで見ればいいじゃんという説も自分の中で有力なんですが。
この堂々巡りに結論はあるのか?
こうして比較検討すると、「アナログは贅沢」っていう側面はあるのかも。
必要性を度外視した趣味性が濃厚ですよね。
子供にとって、自分にとって、あるいはプレゼンしたり友達づきあいする相手にとって、バーチャルではなく、手にとって触れる現物があるというのは、有意義なこと、心揺さぶられること、デジタルにはない力のあるものでしょうか。それは、旧時代へのノスタルジーではなく、本当に?
恋人と、Skypeで二時間話すより、会って黙って10分抱き合うほうが、情報的に優れているという考え方は、確かにあるんだけど。
それは、扱うモノが「経験」だからで。
もともとが脳内の情報である「思い出」とか「アイデア」を保存したり、回想したりするよすがになるものは、それと全く同じ次元じゃないかもしれないし。
悩んじゃうな。
うちの娘の年下の友人に、手書きの字はまだ書けないけど、スマホのメールは打てるという、4歳の女の子がいます。彼女は、読めるけど書けません。ケータイ入力でないと。
面白い時代やなと思います。
遠い将来、世の中はどういうふうになっていくんでしょうね。本質は変わらないと私は思っていますが、本質でないものは、案外急激に変化するんだろうな。
Polaroid TWOという、写真ステッカーを印刷する機能のあるデジカメが、うちにあるんですが、こいつのランニングコストが地味に結構かかります。フォトペーパーが一枚あたり40円なので。それでも親ばかツールとしては許せなくもない範囲で、子供の写真などをプリントして、嬉しげに日記に貼ったりするのに使っています。
それでも、デジタルの手軽さ、ローコストさに比べると、面倒なわけで、実体があるということが、どの程度重要なのか、微妙な問題ですね。
evernoteにUPしたのを、iPadで見るなどすれば、見返す時の使用感も、アナログのアルバムやノートとさして変わんない。バーチャルかリアルかっていう差でしかない。
その差が、「すごく大きい」のか、「そう変わらない」のかは、感じ方や価値観の個人差ですよね。
私には最近、よく分からんようになってきました。アナログのノートも三度の飯より好きですが、もともとバーチャルなものに抵抗感の薄い人間なので、iPadのようなデバイスがあると、アナログとデジタルの境界線が曖昧になってきます。
そこがiPadを初めとする、タッチ操作のタブレット端末の画期的なところなのかもしれないですけどね。
紙の本か、電子書籍かっちゅう話にも、相通ずる何かがありそう。
アナログとデジタルの境界線上に位置するデバイスとして、abrAsusを導入してみることにしました。
A4用紙を3回折りたたんで使うメモ帳のメソッドです。折りたたんだ紙を挟んで、台紙の役割をする革製のホルダーが販売されているので、買ってみました。
evernoteのプレミアムコードを買おうと思っていたタイミングだったので、それがバンドルされている、緑色のホルダー(ゾウさんのロゴマーク入り)にしました。
恐ろしく鮮やかな緑色です。まさしくエバーノート色です。
買っていきなりアレですが、使いにくいな、これ。紙のホールドが弱くて。
「このホルダー、いるの?」ってなっちゃう。紙を折りたたんで使うメソッドがいけてるだけで、ホルダーは食玩についてるラムネ的な何かではないかと、買ってみてから脂汗出てきました。
立ってメモるような人には、ジョッターとして有効と思うけど、微妙。
私の愛読する、きたきつねさんの文具ブログで紹介されていた、
http://northfox.cocolog-nifty.com/stationery/2012/08/post-b137.html
OHTOのジョッター機能付きカードホルダーが、強く主張はしないまでも、同じ機能だったり? こっちのほうがホールド力あって便利だったり?
abrAsusのメソッドが自分に合っているか試すために、折りたたんだA4用紙を沢山作って、厚紙と一緒にクリアホルダーに入れ、それを台紙にして書いたりしていたんですが、それのほうが便利だったな。A4両面、あっという間に書いてしまうんですよ。すぐにレフィルが要るのよ。要る時に手元にないと困るのだしね。「どこにでもあるA4用紙」とはいえ、その時に手元にあるとは限らないですよね。それ用に折りたたんだのを持ち歩いてないと。
私は、ホルダーには開発の余地があるのではと思うけど、本来的には長文ではなく、出先で思いつきや電話番号などを咄嗟にメモる目的で使うのでしょうから、別にこれでいいのかもですね。
abrAsusのコンセプトが最も際立つのは、折りたたんで筆記したメモを、再びA4サイズまで開いてもどし、スキャナでデジタル化して保存することを提案しているところです。原本はシュレッダーして廃棄し、スキャンデータはevernoteなどのクラウドに保存。スマホなどから、いつでも閲覧できちゃうぞという寸法です。
私は、abrAsusのメソッドで、縦書き2段組で小説原稿の草案を書き、evernoteに下書き原稿としてストックする方法がいいんじゃないかなーと思っているんですが、どんなもんですかねえ。
一番、筆が乗るのは私の場合、デスクでPCに向かってキーボードを叩く方法ですが、最近それが難しいので。
スマホで入力するよりは、紙に手書きのほうが、まだしも筆が乗るんですが、後で入力し直さないといけませんしね。
それなら多少書きづらくても、iTextのような、スマホ用のテキストエディタで書いて、クラウドに保存するほうが、全体的に見た時の手間は少ないです。
でも、書き心地って重要ですしね。
などと、堂々巡りしているところです。目下。
abrAsus方式のA4用紙をスキャンするには、iScamilという、iPadと直結できるポータブルスキャナが便利そうですが。
http://www.kingjim.co.jp/sp/iscamil/
スキャンの精度はどうなんだろう。
子供が描いてくれた絵や、evernoteにUPして捨てたい書類やハガキのスキャンにも便利そう。
そうやってバリバリとデジタル化していくと、家が散らかりにくいのも、いいところなんです。
が、いざアレもコレも電子化ってやりはじめると、懐古趣味なのか、天邪鬼なのか、「紙っていいよね……」って発作が起きてね。
ノートに写真とかチラシとか、ペタペタ貼ると癒されるんですよね。手作業でね。
Polaroid TWOについて先述しましたが、写真ステッカー印刷っていうと、9月に発売予定のCanonのSELPHY CP900
http://cweb.canon.jp/cpp/lineup/cp900/
も良さそうです。
Wi-Fi経由で、iPhoneから写真データをプリントできるっていうのが魅力的。
しかし、写真ステッカーのランニングコストはポラロイド超え。
親ばか道もらくじゃないな。
でも、iPhoneで撮った写真データを簡単にプリントできるのって便利ですよね。
プリントする必要ないじゃん、iPhoneで見ればいいじゃんという説も自分の中で有力なんですが。
この堂々巡りに結論はあるのか?
こうして比較検討すると、「アナログは贅沢」っていう側面はあるのかも。
必要性を度外視した趣味性が濃厚ですよね。
子供にとって、自分にとって、あるいはプレゼンしたり友達づきあいする相手にとって、バーチャルではなく、手にとって触れる現物があるというのは、有意義なこと、心揺さぶられること、デジタルにはない力のあるものでしょうか。それは、旧時代へのノスタルジーではなく、本当に?
恋人と、Skypeで二時間話すより、会って黙って10分抱き合うほうが、情報的に優れているという考え方は、確かにあるんだけど。
それは、扱うモノが「経験」だからで。
もともとが脳内の情報である「思い出」とか「アイデア」を保存したり、回想したりするよすがになるものは、それと全く同じ次元じゃないかもしれないし。
悩んじゃうな。
うちの娘の年下の友人に、手書きの字はまだ書けないけど、スマホのメールは打てるという、4歳の女の子がいます。彼女は、読めるけど書けません。ケータイ入力でないと。
面白い時代やなと思います。
遠い将来、世の中はどういうふうになっていくんでしょうね。本質は変わらないと私は思っていますが、本質でないものは、案外急激に変化するんだろうな。
2012年8月6日月曜日
せんとくん
高島屋京都店に行った時に、こんなイベントも開催されていました。
LaQ(ラキュー)っていう幾何学パズルっぽいブロック(?)のオモチャの体験イベント。
四角と三角のピースと、そのジョイントパーツを組み合わせて、平面や立体の作品を作るっていうモノですが、せんとくんスゲえ。(※添付写真)
参考作品が奈良縛りなのは、メーカーさんが奈良の会社だからだそうです。
商品パッケージのモデル女児が欧米人なので輸入かと思ったら、「吉野の会社です」とのことで。コテコテにジャパンじゃないですか。いいね!
娘がいま猛烈にハマっています。(買わされた)
でも、旦那も地味にハマっております。
小学生女児の遊びっちゅうと、リカちゃんとか、アイロンビーズとか、ピンクと水色と紫色のファンシーな世界すぎて、お父さんには胃痙攣が起きそうになる感じになり、出番が無かったりが目立つようになるんですが、幾何学パズルっていうと、パパも娘と一緒に遊べて、ちょっと複雑なモデルを作ったりすると、「パパすごーい( ´ ▽ ` )」とか「パパ大好き♪」とか言われてデヘデヘだったりです。(ただしパズルのピースの色は女児向けパステルカラー)
私も香山家のホームドラマの連続シナリオ考案からしばし開放されてウマウマです。毎日やるってなるとリカちゃんもネタ切れで困ります。だんだん無茶な話になって、宇宙に行ってワームホールに飛び込んだり、宇宙生物に香山ピエールが食われたりするようになってきます。子持ちの身でアレですが、私は子守が苦手なんです。
LaQ買ってよかった。
娘は七夕さまにお願いした「エステティシャンになりたい」という将来の夢をキャンセルして、大人になったらLaQの会社に就職したいそうなので、関係者の皆様、どうぞよろしくお願いします。京都から通勤てどうなんだろう。交通費出ますか。でも漫画家にもなりたいらしいので、副業OKの社則かどうかが心配なところです。
奈良はいいところですよね。鹿もいるし。鹿も。せんとくんも。大仏も……。すいませんステレオなイメージしか出てこない。娘がLaQ本社に巡礼に行きたいらしいので、近いうちに行けたらいいなと思います。
ふらっと行くようなところなのかは謎ですが(汗)
でも吉野もいいところですよね。
吉野って何が美味しいんだろうな( ´ ▽ ` ) オカンは食うことにしか興味がありません。
LaQ(ラキュー)っていう幾何学パズルっぽいブロック(?)のオモチャの体験イベント。
四角と三角のピースと、そのジョイントパーツを組み合わせて、平面や立体の作品を作るっていうモノですが、せんとくんスゲえ。(※添付写真)
参考作品が奈良縛りなのは、メーカーさんが奈良の会社だからだそうです。
商品パッケージのモデル女児が欧米人なので輸入かと思ったら、「吉野の会社です」とのことで。コテコテにジャパンじゃないですか。いいね!
娘がいま猛烈にハマっています。(買わされた)
でも、旦那も地味にハマっております。
小学生女児の遊びっちゅうと、リカちゃんとか、アイロンビーズとか、ピンクと水色と紫色のファンシーな世界すぎて、お父さんには胃痙攣が起きそうになる感じになり、出番が無かったりが目立つようになるんですが、幾何学パズルっていうと、パパも娘と一緒に遊べて、ちょっと複雑なモデルを作ったりすると、「パパすごーい( ´ ▽ ` )」とか「パパ大好き♪」とか言われてデヘデヘだったりです。(ただしパズルのピースの色は女児向けパステルカラー)
私も香山家のホームドラマの連続シナリオ考案からしばし開放されてウマウマです。毎日やるってなるとリカちゃんもネタ切れで困ります。だんだん無茶な話になって、宇宙に行ってワームホールに飛び込んだり、宇宙生物に香山ピエールが食われたりするようになってきます。子持ちの身でアレですが、私は子守が苦手なんです。
LaQ買ってよかった。
娘は七夕さまにお願いした「エステティシャンになりたい」という将来の夢をキャンセルして、大人になったらLaQの会社に就職したいそうなので、関係者の皆様、どうぞよろしくお願いします。京都から通勤てどうなんだろう。交通費出ますか。でも漫画家にもなりたいらしいので、副業OKの社則かどうかが心配なところです。
奈良はいいところですよね。鹿もいるし。鹿も。せんとくんも。大仏も……。すいませんステレオなイメージしか出てこない。娘がLaQ本社に巡礼に行きたいらしいので、近いうちに行けたらいいなと思います。
ふらっと行くようなところなのかは謎ですが(汗)
でも吉野もいいところですよね。
吉野って何が美味しいんだろうな( ´ ▽ ` ) オカンは食うことにしか興味がありません。
2012年8月4日土曜日
たぶん正夢になった
小ネタですが、買い物に行ったら、三角クジを引いていいと言われたので、引いたところ、ヒラパー&ザ・ブーンのペアチケットが当たった。
今朝方のイェズラム様の夢が、まさかの正夢になっちゃった。
クジが当たって嬉しいけど、でもまた子供をプールに連れていかないといけないんだと思うと、「うおおおおお( ;´Д`)!!」ってなる。
プールには今日行ったばかりなんだよ、ヒラパー兄さん! プールはヘトヘトになるんだよ、ヒラパー兄さん!
CMではどこにいるの、ヒラパー兄さん……!
夏休みのプールは何度行っても良いものですよね(棒)
クジ当たるんならアタシ、米とかが良かった。
でも、人からいただくもので、そんなこと言っちゃ、バチ当たりますよね。
ありがとうございます!!
いくぜー、枚方!
今朝方のイェズラム様の夢が、まさかの正夢になっちゃった。
クジが当たって嬉しいけど、でもまた子供をプールに連れていかないといけないんだと思うと、「うおおおおお( ;´Д`)!!」ってなる。
プールには今日行ったばかりなんだよ、ヒラパー兄さん! プールはヘトヘトになるんだよ、ヒラパー兄さん!
CMではどこにいるの、ヒラパー兄さん……!
夏休みのプールは何度行っても良いものですよね(棒)
クジ当たるんならアタシ、米とかが良かった。
でも、人からいただくもので、そんなこと言っちゃ、バチ当たりますよね。
ありがとうございます!!
いくぜー、枚方!
恥ずかしくても
中学ぐらいのとき、思春期だからか、私は今よりずっと恥ずかしがり屋さんで、自分が書いた小説の原稿を人に見せるなんて、恥ずかしくて無理と思っていたが、「人に読んでもらわないと上手くならないよ」と友達に言われ、上手くはなりたかったので、書いたら必ず誰かに頼んで読んでもらっていた。
当時は今みたいにインターネットで不特定多数の読者のお目にかけるなどという便利な方法はなかったので、身近な友人に頼むしかない。
中学生の友人なのだから、全員が中学生だったが、私には皆の意見や感想がとても参考になったと思う。
ある時、さほど親しくはないクラスメイトが、私の書いたものに興味を持って、読んでみたいというので読んでもらった。
その友人の感想は、「小説みたいじゃないの。こんなの書けるってすごいね。でも恥ずかしくないの?」というものだった。
恥ずかしいに決まっとるやろ!!
というのが私の感想だったが、あの時なんて返事したんだっけ? 忘れてしまった。でも、その時のことを今でも憶えているんだから、相当に恥ずかしかったんだろう。
当時の私の「読者」はそれについて「小説を書くような人間が、恥かしいなどと思っていてどうする。誰でも書くものじゃないし、人が書かないようなものを書かなきゃいけないのだから、むしろ恥かしいと思うようなものを堂々と書け、自分を追い込め!」と激励してくれたのだが、ほんまにそれは正解なのか、人として。
その人とは別の人物も、むしろ人に見せるのが恥かしいものを書けと言っていた。この人は大人になってから会った人物で、中学生ではない。
恥かしいものというのは、別にエロとかそういう事ではなく、萌えにしろ何にしろ、オノレをさらけ出せということだ。小説は自己表現でもある。個性で書くものだし、望むと望まざるとに関わらず、書いたものを見れば作者の人格がバレる。それを覚悟の上で人に見せるのだから、恥かしいのは当たり前で、オノレのバカとか萌えとか、全てセキララにバレると覚悟の上で書くものだ、むしろアホ丸出しくらいセキララでなければ、自己表現とは言えない。
恥ずかしくない程度のソツのないものを出してきても、面白くはない。嫌なら書くなっちゅう話だった。
確かにそういう面はあるかもしれない。普通の人間は慎ましいので、自己表現などしない。萌えも苦しみも悲しみも愛も、じっと自分の胸に秘めている。秘め事だ。
それを代弁してくれるから、物語は感動するのだし、感情移入してもらえるのだし、面白いのだ。
物語は読者の欲望を満たす。
素敵な恋がしたい。強いヒーローになりたい。大金持ちになって豪邸に住みたい。幼なじみの美少女と同棲したい。ここではない何処かに行きたい。大泥棒になってみたい。血も凍るような恐怖を体験してみたい。
現実には無理だから、あるいは現実だとちょっと困るから、無難な仮想現実で。
読者その人が望む面白さより、さらに先のセンセーションを含んだ内容であることが望ましい。期待通りの、そして期待を上回るものでないと、面白くはないのだから、その内容を考えて書いて人に見せる作業は、普通の神経の人には恥かしいものなのだ。
普通の人間は小説なんか書かない。
残念ながらそうだ。
書くということは、非・普通ということだ。恥かしい。
でも書きたいんだからしょうがないよね。恥ずかしくても。
それでなくても人生は、恥かしいことばかりだよ。
就職面接で自己PRとかするのだって恥ずかしいよ。営業で外回りするのも恥ずかしいよ。接客だって恥ずかしいよ。会議でプレゼンテーションするのも恥ずかしいよ。
生きるっちゅうのは、多かれ少なかれ恥ずかしいよ。怯んでは負けだ。恥ずかしくても頑張ってやるから、仕事になるのだし、金になるんだよ。頑張るというのなら、むしろ恥かしいことをしろ。
なんかそういうのが、何人かの人々からもらったアドバイスの総合で、なるほどと思い、人生の指標ともしてきたのだが、そうやって、普通の神経を擦り減らしてきて本当に良かったのか。
私はもうとっくに思春期は脱したはずだし、その頃に恥ずかしかったことの多くが恥ずかしくはない。初対面の人と話すとか、初対面の人に自分の書いたものを読まれるとかいうのも平気だ。平気というか、鈍い。たぶん今も恥ずかしいが、耐えられる。耐え方をマスターした。
だが、それも慣れなので、ひさかたぶりだと恥ずかしさがまた台頭する。
最近、「書いたものを人に見せるって、恥ずかしくない?」と、唐突に思う時がある。小説はもちろんだが、ブログとかも。
今さらなに言ってんの! と自分でも焦る。常識的感覚だとは思うが、そんなのいらんから。恥ずかしいことをしろ! と小声で自分に鋭くアドバイスしたいような気がする。
そういうのって、自分でも書く方々には、きっと分かってもらえるんでしょうね。恥ずかしいよね?
でも、我にかえっちゃお終いなんだよ。
そういうことを、丑三つ時に見た夢でびっくりして起きて思いました。
ものすごく久々に、夢に自分の小説のキャラクターが出てきたよ。
リューズとイェズラムだったよ。
別にストーリー性はなく、ただ出てきただけで、日常生活の話と混線していたよ。
子供をプールに連れて行く約束になっているんですが、その準備をしないとなーと思いながら寝たのがアレだったのか、ヒラパーのザ・ブーンみたいなプールで、イェズラム様に「スイミング・キャップを荷物に入れ忘れるな」と指摘されたよ。
そうだよ忘れてた! ありがとう教えてくれて!
でも、なんでデンデンがヒラパーに( ;´Д`)?
ヒラパーのプールに行くわけではないんですが、ヒラパー兄さんを探すCMが気になるせいでしょうか。あれはヒラパー兄さん本当に何処かにいるの?
リューズ様は、流れるプールで浮き輪に乗って流れてました。水着だったかどうかは夢だからわかんない。あの人、泳げるの? 泳げないんじゃないの? でもすごくご機嫌そうでした。
私は基本、自分の作品の夢って見ないのですが、稀には見ることがあります。普通は、右脳先生がノリノリの時なんだけど、今はノリノリじゃないのに不思議だね。恥かしい話だよ。
びっくりして目が覚めました。(そしてスイミング・キャップを荷物に入れたあと、眠れないので寝床でこれを書いている)
小説って、自分の空想や、見た夢を、他人と共有する手段という側面があると思うけど。
共有することに意味があんのかわからないけど。
書くと共有できることもあるから、楽しいね。フィクションて、楽しいなということは、思い出しました。今夜の夢で。
「イェズラム、焼きそば買ってこいよ!」って、浮き輪に乗って流れてる人が笑いながら言ってた。少し夢が壊れた。これも恥ずかしさへの挑戦なのだろうか、右脳先生。
方向性間違ってないか。
かっこ良いものでいいんですよ先生。
でもとにかく、脳みそに妄想する余力が戻ってきたのは嬉しいことです。
あとは背景セットをさ、ザ・ブーンじゃないのに変えようか。ね。
リハビリでヒラパーの箱庭時空書くかと思ったけど、恥ずかしくて無理なような。
弱い子になった、かおる!
そんなことでどうするの!!
とりあえず寝ます。これブログに書くのやめてよって思うけど、恥かしいので書きました。
でもそういう自分の追い込み方で本当に合ってるの?
まあいいか……( ;´Д`)
当時は今みたいにインターネットで不特定多数の読者のお目にかけるなどという便利な方法はなかったので、身近な友人に頼むしかない。
中学生の友人なのだから、全員が中学生だったが、私には皆の意見や感想がとても参考になったと思う。
ある時、さほど親しくはないクラスメイトが、私の書いたものに興味を持って、読んでみたいというので読んでもらった。
その友人の感想は、「小説みたいじゃないの。こんなの書けるってすごいね。でも恥ずかしくないの?」というものだった。
恥ずかしいに決まっとるやろ!!
というのが私の感想だったが、あの時なんて返事したんだっけ? 忘れてしまった。でも、その時のことを今でも憶えているんだから、相当に恥ずかしかったんだろう。
当時の私の「読者」はそれについて「小説を書くような人間が、恥かしいなどと思っていてどうする。誰でも書くものじゃないし、人が書かないようなものを書かなきゃいけないのだから、むしろ恥かしいと思うようなものを堂々と書け、自分を追い込め!」と激励してくれたのだが、ほんまにそれは正解なのか、人として。
その人とは別の人物も、むしろ人に見せるのが恥かしいものを書けと言っていた。この人は大人になってから会った人物で、中学生ではない。
恥かしいものというのは、別にエロとかそういう事ではなく、萌えにしろ何にしろ、オノレをさらけ出せということだ。小説は自己表現でもある。個性で書くものだし、望むと望まざるとに関わらず、書いたものを見れば作者の人格がバレる。それを覚悟の上で人に見せるのだから、恥かしいのは当たり前で、オノレのバカとか萌えとか、全てセキララにバレると覚悟の上で書くものだ、むしろアホ丸出しくらいセキララでなければ、自己表現とは言えない。
恥ずかしくない程度のソツのないものを出してきても、面白くはない。嫌なら書くなっちゅう話だった。
確かにそういう面はあるかもしれない。普通の人間は慎ましいので、自己表現などしない。萌えも苦しみも悲しみも愛も、じっと自分の胸に秘めている。秘め事だ。
それを代弁してくれるから、物語は感動するのだし、感情移入してもらえるのだし、面白いのだ。
物語は読者の欲望を満たす。
素敵な恋がしたい。強いヒーローになりたい。大金持ちになって豪邸に住みたい。幼なじみの美少女と同棲したい。ここではない何処かに行きたい。大泥棒になってみたい。血も凍るような恐怖を体験してみたい。
現実には無理だから、あるいは現実だとちょっと困るから、無難な仮想現実で。
読者その人が望む面白さより、さらに先のセンセーションを含んだ内容であることが望ましい。期待通りの、そして期待を上回るものでないと、面白くはないのだから、その内容を考えて書いて人に見せる作業は、普通の神経の人には恥かしいものなのだ。
普通の人間は小説なんか書かない。
残念ながらそうだ。
書くということは、非・普通ということだ。恥かしい。
でも書きたいんだからしょうがないよね。恥ずかしくても。
それでなくても人生は、恥かしいことばかりだよ。
就職面接で自己PRとかするのだって恥ずかしいよ。営業で外回りするのも恥ずかしいよ。接客だって恥ずかしいよ。会議でプレゼンテーションするのも恥ずかしいよ。
生きるっちゅうのは、多かれ少なかれ恥ずかしいよ。怯んでは負けだ。恥ずかしくても頑張ってやるから、仕事になるのだし、金になるんだよ。頑張るというのなら、むしろ恥かしいことをしろ。
なんかそういうのが、何人かの人々からもらったアドバイスの総合で、なるほどと思い、人生の指標ともしてきたのだが、そうやって、普通の神経を擦り減らしてきて本当に良かったのか。
私はもうとっくに思春期は脱したはずだし、その頃に恥ずかしかったことの多くが恥ずかしくはない。初対面の人と話すとか、初対面の人に自分の書いたものを読まれるとかいうのも平気だ。平気というか、鈍い。たぶん今も恥ずかしいが、耐えられる。耐え方をマスターした。
だが、それも慣れなので、ひさかたぶりだと恥ずかしさがまた台頭する。
最近、「書いたものを人に見せるって、恥ずかしくない?」と、唐突に思う時がある。小説はもちろんだが、ブログとかも。
今さらなに言ってんの! と自分でも焦る。常識的感覚だとは思うが、そんなのいらんから。恥ずかしいことをしろ! と小声で自分に鋭くアドバイスしたいような気がする。
そういうのって、自分でも書く方々には、きっと分かってもらえるんでしょうね。恥ずかしいよね?
でも、我にかえっちゃお終いなんだよ。
そういうことを、丑三つ時に見た夢でびっくりして起きて思いました。
ものすごく久々に、夢に自分の小説のキャラクターが出てきたよ。
リューズとイェズラムだったよ。
別にストーリー性はなく、ただ出てきただけで、日常生活の話と混線していたよ。
子供をプールに連れて行く約束になっているんですが、その準備をしないとなーと思いながら寝たのがアレだったのか、ヒラパーのザ・ブーンみたいなプールで、イェズラム様に「スイミング・キャップを荷物に入れ忘れるな」と指摘されたよ。
そうだよ忘れてた! ありがとう教えてくれて!
でも、なんでデンデンがヒラパーに( ;´Д`)?
ヒラパーのプールに行くわけではないんですが、ヒラパー兄さんを探すCMが気になるせいでしょうか。あれはヒラパー兄さん本当に何処かにいるの?
リューズ様は、流れるプールで浮き輪に乗って流れてました。水着だったかどうかは夢だからわかんない。あの人、泳げるの? 泳げないんじゃないの? でもすごくご機嫌そうでした。
私は基本、自分の作品の夢って見ないのですが、稀には見ることがあります。普通は、右脳先生がノリノリの時なんだけど、今はノリノリじゃないのに不思議だね。恥かしい話だよ。
びっくりして目が覚めました。(そしてスイミング・キャップを荷物に入れたあと、眠れないので寝床でこれを書いている)
小説って、自分の空想や、見た夢を、他人と共有する手段という側面があると思うけど。
共有することに意味があんのかわからないけど。
書くと共有できることもあるから、楽しいね。フィクションて、楽しいなということは、思い出しました。今夜の夢で。
「イェズラム、焼きそば買ってこいよ!」って、浮き輪に乗って流れてる人が笑いながら言ってた。少し夢が壊れた。これも恥ずかしさへの挑戦なのだろうか、右脳先生。
方向性間違ってないか。
かっこ良いものでいいんですよ先生。
でもとにかく、脳みそに妄想する余力が戻ってきたのは嬉しいことです。
あとは背景セットをさ、ザ・ブーンじゃないのに変えようか。ね。
リハビリでヒラパーの箱庭時空書くかと思ったけど、恥ずかしくて無理なような。
弱い子になった、かおる!
そんなことでどうするの!!
とりあえず寝ます。これブログに書くのやめてよって思うけど、恥かしいので書きました。
でもそういう自分の追い込み方で本当に合ってるの?
まあいいか……( ;´Д`)
2012年8月2日木曜日
一個前の記事
前記事、送信したそばから、痛さに震えています。人前で悩むなよ( ;´Д`)
うちの壊れていたエアコンは修理が完了しました。隣室のもう一台のエアコンが稼働していたので、暑さには特に参らなかったんですが、暑さに怒るオカンの毒舌に参ったので、直って嬉しいです。
うちの毒舌キャラを培ったのは、間違いなく、うちのオカンと思います。リアルだと面白くはないです。
evernoteの課金を払ってみようかなあと思い始めています。posteverは、600円と、アプリにしては高い部類な割に、ライト版で使用感や便利さが実感できたので、憂いなく有料版を購入しました。
iPhoneでレシートを撮影してevernoteにUPして紙の方は捨てるっていうのをやってみたんですが、これは片付くのでいいなあ。
iTextというエディタのアプリが、evernoteとデータのやり取りができて、縦書き表示やルビの表示もできて原稿の確認には便利なので、書きかけの原稿をevernoteにUPしておこうと思います。
iPhoneで小説を書くのは私には難しいんだけど、練習しないとなあ。
小品からなら書けるんじゃないかと。
evernoteのデータをEPUBに自動変換するアプリがあるんですが、小説書くのに使っている人はいるのかな。文字化けしてしまうというレビューも載ってて、なんとなく様子見してしまっています。
便利そうだけどなあ。
うちの壊れていたエアコンは修理が完了しました。隣室のもう一台のエアコンが稼働していたので、暑さには特に参らなかったんですが、暑さに怒るオカンの毒舌に参ったので、直って嬉しいです。
うちの毒舌キャラを培ったのは、間違いなく、うちのオカンと思います。リアルだと面白くはないです。
evernoteの課金を払ってみようかなあと思い始めています。posteverは、600円と、アプリにしては高い部類な割に、ライト版で使用感や便利さが実感できたので、憂いなく有料版を購入しました。
iPhoneでレシートを撮影してevernoteにUPして紙の方は捨てるっていうのをやってみたんですが、これは片付くのでいいなあ。
iTextというエディタのアプリが、evernoteとデータのやり取りができて、縦書き表示やルビの表示もできて原稿の確認には便利なので、書きかけの原稿をevernoteにUPしておこうと思います。
iPhoneで小説を書くのは私には難しいんだけど、練習しないとなあ。
小品からなら書けるんじゃないかと。
evernoteのデータをEPUBに自動変換するアプリがあるんですが、小説書くのに使っている人はいるのかな。文字化けしてしまうというレビューも載ってて、なんとなく様子見してしまっています。
便利そうだけどなあ。
大学ノート
娘と用事で高島屋京都店に出かけていて、たまたま通りかかった催事スペースで、エコ100選というエコロジーのイベントが開催されていました。
そこで、使用済みペットボトルを加工して、プランターをつくる無料ワークショップがちょうど始まっていて、娘がやりたがったので、時間調整のためにも都合がよく、参加することに。
ペットボトルにシールを好きなだけ貼ってデコるという、女児にはパラダイスな内容だった上、ラベンダーの苗も貰えて、さらにアンケートに回答すると、KOKUYOのキャンパスノートと、スティック糊と、テディベアの縫いぐるみが貰えました。
なんか申し訳ない気がした……。スポンサー様すごいな。ありがとうございます。
そこのエコお化け屋敷ってコーナーで、比叡山お化け屋敷の妖怪も展示されてるとのことで、見たい気がしましたが、折悪しく、入る直前に幼児の泣き叫ぶ声が中から激しく聞こえ、人一倍臆病者の娘が「むりだね((((;゚Д゚)))))))!」と断言したので、無理ということに。
どんなだったのか、比叡山の妖怪。
そんなこんなで、我が子が生まれて初めて手に入れる事になった大学ノートが、KOKUYOのキャンパスノートです。
懐かしいなあ、これ。
懐かしいといっても、プリントを貼り付けやすいサイズとトンボ入りの新製品のやつで、とても新しいんですが、キャンパスノートって私が子供の頃からあるので、新しくても懐かしいです。
そういえば昔はこれに小説を書いてたんだよ。シャーペンでさ。漫画を描いてる子もいたよ。罫線なんて、ものともせずにだよ。書きたい盛りだったね……。
今思い出すと何だか恥ずかしいっちゅうか、「中2だった」感に目眩がします。
パソコンで書いてたって別に状況は同じなんですが。(そして今も心は中2なんだが)
今の中2の子も、ノートに小説を手書きなんてするのかな? しないのかなあ。
キャンパスノートって、いろいろ甘くほろ苦い、青春のノートです。私にとっては。
職場では、PC化が完全に浸透していて、ノートを仕事に使うって場面はなかったので、私にとってキャンパスノートは中学高校時代のイメージです。
大学の時は、先生の指定で、三穴タイプのルーズリーフかリーガルパッドという欧米文具しか使ってはいけないことになっていて、取り扱っている店まで買いにいかねばならず、手間もコストかかって迷惑だった……。なんだったんだろう、あれは一体。
でも、今でも、三穴ルーズリーフやリーガルパッドを見ると、学生時代を思い出して懐かしいです。それはそれで面白いことだよね。
三都・神戸編にリーガルパッドが出てくるシーンがありますが。(イエローパッドともいう。作中では黄色い紙だというのをイメージしてもらうために、リーガルパッドではなくイエローパッドと書いてた) あれも懐かしいから登場させただけで、深い意味はないんです。
カルテットに登場する紙は、羊皮紙ではなく、植物パルプの紙なんだけど、それについてもっと書き込んでもよかったよね。100人中99人には、どうでもいい無駄な描写だけど、私が書きたいのであれば。
紙は、あの世界では貴重品という設定で、輸入品でもあるので、実家が貿易で儲けているイルスが一番たくさん紙を持ってきているんです。
大昔、大学ノートに書いてた時代の原稿には、イルスの机に新品の紙がどさっと積んであるのを、スィグルがじーっと見ているシーンがあって、「お前の親父は商売がうまい云々」という話しをイルスにしていたんだけど、ネットで書くときに削ったんです。
スィグルは紙が高級品だということを知っているけど、イルスは知らないし、剣術がすごいと思っていた父親が、実は軍人というよりビジネスマンだという事実に、そのへんで初めて気づくわけ。イルスは親父が政敵の首を広間で撥ねるとか、もとは剣奴隷だったという部分だけを重く見ていて、強い男なんだというのに内心執着しているわけですが、現実にはヘンリックは経済政策の成功によって地位を保っている人物として描いていくキャラクターなのです。
初対面のスィグルに、お前の親父は商売が上手いよねという話をされると、イルスは自分が漠然と抱いてきた父親のイメージとのギャップに一瞬ポカンとするんだけど、無口だし何もコメントできず、ただじっと紙を見るだけという、ものすご地味すぎるシーンで。確かに面白くはないのかもしれないが、キャッチーでないという理由で昔の自分に削られてしまい少々悲しいです。
イルスは初対面のスィグルのことは、エキセントリックだけど頭は切れる奴、と思っているはず。年も一歳下だけど、自分より賢いんだと感じていて、実際そうなんだけど、イルスのほうが人間ができているし、日常生活の常識はあるんだよね。
イルスは自分が知らない世間のことを、スィグルから学ぶんだけど、スィグルもここで初めて知る当たり前のことをいろいろイルスの言動から学んで、カルチャーショックを受けてるはずです。
シュレーやシェルは文化が違うなりに、生活環境がアレなので、予想できる範囲だろうけど、イルスは六畳くらいの部屋で寝起きして、自炊してたような庶民だからね、スィグルには唖然とするようなことも本当はあっただろうと思うよ。学院編の序盤はイルスの視点から「スィグルが変だ」という話が語られるけど、スィグルも十分「イルスは変だ」と思ってたんじゃないかな。いきなりタメ口の本音トークとか、宮廷育ちのレイラス殿下にはドン引きだよね。でもその裏表の無さや、ストレートさが、新鮮で良かったというか、いい奴だなと思ったんでしょう。
シュレーやシェルがイルスを初対面から気に入っているのも、たぶんイルスが正直者でアホだからだと思うんだけど。性格のシンプルさとかに度肝を抜かれるし、癒されるんじゃないのかな。
特に猊下はあんな怪物だらけみたいなところから来てるんだし、イルスに会うと、こんな生き物がこの世にいるの!? ぐらいにカルチャーショックだったかもしれない。
「お前、いい奴だな」ということに皆が驚く学院編の序盤。イルスは実家から持たされたノートをアホほど持っているけど、筆まめなシュレーは実は貧乏なのでノートも買えないような境遇なんです。それでも嫁に手紙を描いてるんだから、彼もちょっと崖っぷちだよね。そういう人がいる横で、ノートをアホほど持っているイルス。
必要があれば、イルスは紙くらい、いくらでも分けてくれるでしょうが、そういうことには鈍いから気がつかないだろうし、彼はそもそも字を書かないんです。読み書きはできるけど、する習慣がないのね。授業中もイルスはノートをとらないんだよ。
シュレーはそういうのにビックリするんだけど、そのへんの他愛もない話が延々と続くカルテットでよかったのかもしれないなという気が最近ではします。むしろその方が良かったか。模擬戦闘も悪くはないけど。もうちょっと後でも良かったな。
若いといろいろ書き急ぐものです。
話のバランスが悪いとか、そういうのも気になったのだろうし。「上手く」書きたかったんだろうな。見栄とかで。
大学ノートに書いていたころには、友達がその眠い内容の話を根気よく読んでくれていて、この話は面白いよって言ってくれたんです。
登場人物が延々と飯食いながら雑談してるだけみたいなのでもさ。
私は一体なにを書きたかったんだろう。
胸踊る戦闘シーンも、ごはん食いながらシェルがチーズの話をするのも、自分の中では同じ比重だったかもしれません。人に読ませるんだと思わなければ、私はスィグルが「蛇が脱皮するときって、どういう気分なんだろう」って暖炉前でイルスと話してるシーンを延々何ページにもわたって書いたり平気でやるんですが、そういうのはやっぱダルイなと思って、決定稿には入れちゃいかんのだと思っているんです。
でも、そもそもそれが間違ってんのじゃないかと、カルテットについては思う。よくわからないですが。
また大学ノートと向き合ってみるほうがいいのかもなあ。ネットで手軽に人に読んでもらえるので、「読まれる」ことに特化しすぎて、自分はどう書きたいのかっていうのが、あまり掘り下げられてないような反省もあります。
迷走してるなあ。
人のために書いている、みたいになると、なんだかつまらないですよね。
無責任というか。
「あなたが読みたいものを書いているんです」とか作者に言われても、「じゃあ、あなたの書きたいものはどこにあるの?」って読者さんは思うんじゃないかな。それだと主体性がない作品だ。
聞いてくれる人がいるから語る、んではなく、語るから聞いてもらえる、というのが、ストーリーテリングの本当のところだよなあと思うので。
まず語るのが先にないと。
でも近年の私は、読んでくれる人がいるから書きたいと思っている気がします。それじゃだめなんじゃないかなあ。だから意欲が薄いのでは。
書きたいものがあって、書いてある作品は、拙くても、誰かが読んでくれるものですよね。昔、ノートに手書きしたのを読んでくれた友達がいたみたいに。
そういうものだと信じる勇気が必要な気がするね。書く人には。
ま、それで結果ダメだったとしても、仕方ないのだし。
いろいろ考えて頑張ります。
(いつもより多めに意味不明の記事でした。すんません)
そこで、使用済みペットボトルを加工して、プランターをつくる無料ワークショップがちょうど始まっていて、娘がやりたがったので、時間調整のためにも都合がよく、参加することに。
ペットボトルにシールを好きなだけ貼ってデコるという、女児にはパラダイスな内容だった上、ラベンダーの苗も貰えて、さらにアンケートに回答すると、KOKUYOのキャンパスノートと、スティック糊と、テディベアの縫いぐるみが貰えました。
なんか申し訳ない気がした……。スポンサー様すごいな。ありがとうございます。
そこのエコお化け屋敷ってコーナーで、比叡山お化け屋敷の妖怪も展示されてるとのことで、見たい気がしましたが、折悪しく、入る直前に幼児の泣き叫ぶ声が中から激しく聞こえ、人一倍臆病者の娘が「むりだね((((;゚Д゚)))))))!」と断言したので、無理ということに。
どんなだったのか、比叡山の妖怪。
そんなこんなで、我が子が生まれて初めて手に入れる事になった大学ノートが、KOKUYOのキャンパスノートです。
懐かしいなあ、これ。
懐かしいといっても、プリントを貼り付けやすいサイズとトンボ入りの新製品のやつで、とても新しいんですが、キャンパスノートって私が子供の頃からあるので、新しくても懐かしいです。
そういえば昔はこれに小説を書いてたんだよ。シャーペンでさ。漫画を描いてる子もいたよ。罫線なんて、ものともせずにだよ。書きたい盛りだったね……。
今思い出すと何だか恥ずかしいっちゅうか、「中2だった」感に目眩がします。
パソコンで書いてたって別に状況は同じなんですが。(そして今も心は中2なんだが)
今の中2の子も、ノートに小説を手書きなんてするのかな? しないのかなあ。
キャンパスノートって、いろいろ甘くほろ苦い、青春のノートです。私にとっては。
職場では、PC化が完全に浸透していて、ノートを仕事に使うって場面はなかったので、私にとってキャンパスノートは中学高校時代のイメージです。
大学の時は、先生の指定で、三穴タイプのルーズリーフかリーガルパッドという欧米文具しか使ってはいけないことになっていて、取り扱っている店まで買いにいかねばならず、手間もコストかかって迷惑だった……。なんだったんだろう、あれは一体。
でも、今でも、三穴ルーズリーフやリーガルパッドを見ると、学生時代を思い出して懐かしいです。それはそれで面白いことだよね。
三都・神戸編にリーガルパッドが出てくるシーンがありますが。(イエローパッドともいう。作中では黄色い紙だというのをイメージしてもらうために、リーガルパッドではなくイエローパッドと書いてた) あれも懐かしいから登場させただけで、深い意味はないんです。
カルテットに登場する紙は、羊皮紙ではなく、植物パルプの紙なんだけど、それについてもっと書き込んでもよかったよね。100人中99人には、どうでもいい無駄な描写だけど、私が書きたいのであれば。
紙は、あの世界では貴重品という設定で、輸入品でもあるので、実家が貿易で儲けているイルスが一番たくさん紙を持ってきているんです。
大昔、大学ノートに書いてた時代の原稿には、イルスの机に新品の紙がどさっと積んであるのを、スィグルがじーっと見ているシーンがあって、「お前の親父は商売がうまい云々」という話しをイルスにしていたんだけど、ネットで書くときに削ったんです。
スィグルは紙が高級品だということを知っているけど、イルスは知らないし、剣術がすごいと思っていた父親が、実は軍人というよりビジネスマンだという事実に、そのへんで初めて気づくわけ。イルスは親父が政敵の首を広間で撥ねるとか、もとは剣奴隷だったという部分だけを重く見ていて、強い男なんだというのに内心執着しているわけですが、現実にはヘンリックは経済政策の成功によって地位を保っている人物として描いていくキャラクターなのです。
初対面のスィグルに、お前の親父は商売が上手いよねという話をされると、イルスは自分が漠然と抱いてきた父親のイメージとのギャップに一瞬ポカンとするんだけど、無口だし何もコメントできず、ただじっと紙を見るだけという、ものすご地味すぎるシーンで。確かに面白くはないのかもしれないが、キャッチーでないという理由で昔の自分に削られてしまい少々悲しいです。
イルスは初対面のスィグルのことは、エキセントリックだけど頭は切れる奴、と思っているはず。年も一歳下だけど、自分より賢いんだと感じていて、実際そうなんだけど、イルスのほうが人間ができているし、日常生活の常識はあるんだよね。
イルスは自分が知らない世間のことを、スィグルから学ぶんだけど、スィグルもここで初めて知る当たり前のことをいろいろイルスの言動から学んで、カルチャーショックを受けてるはずです。
シュレーやシェルは文化が違うなりに、生活環境がアレなので、予想できる範囲だろうけど、イルスは六畳くらいの部屋で寝起きして、自炊してたような庶民だからね、スィグルには唖然とするようなことも本当はあっただろうと思うよ。学院編の序盤はイルスの視点から「スィグルが変だ」という話が語られるけど、スィグルも十分「イルスは変だ」と思ってたんじゃないかな。いきなりタメ口の本音トークとか、宮廷育ちのレイラス殿下にはドン引きだよね。でもその裏表の無さや、ストレートさが、新鮮で良かったというか、いい奴だなと思ったんでしょう。
シュレーやシェルがイルスを初対面から気に入っているのも、たぶんイルスが正直者でアホだからだと思うんだけど。性格のシンプルさとかに度肝を抜かれるし、癒されるんじゃないのかな。
特に猊下はあんな怪物だらけみたいなところから来てるんだし、イルスに会うと、こんな生き物がこの世にいるの!? ぐらいにカルチャーショックだったかもしれない。
「お前、いい奴だな」ということに皆が驚く学院編の序盤。イルスは実家から持たされたノートをアホほど持っているけど、筆まめなシュレーは実は貧乏なのでノートも買えないような境遇なんです。それでも嫁に手紙を描いてるんだから、彼もちょっと崖っぷちだよね。そういう人がいる横で、ノートをアホほど持っているイルス。
必要があれば、イルスは紙くらい、いくらでも分けてくれるでしょうが、そういうことには鈍いから気がつかないだろうし、彼はそもそも字を書かないんです。読み書きはできるけど、する習慣がないのね。授業中もイルスはノートをとらないんだよ。
シュレーはそういうのにビックリするんだけど、そのへんの他愛もない話が延々と続くカルテットでよかったのかもしれないなという気が最近ではします。むしろその方が良かったか。模擬戦闘も悪くはないけど。もうちょっと後でも良かったな。
若いといろいろ書き急ぐものです。
話のバランスが悪いとか、そういうのも気になったのだろうし。「上手く」書きたかったんだろうな。見栄とかで。
大学ノートに書いていたころには、友達がその眠い内容の話を根気よく読んでくれていて、この話は面白いよって言ってくれたんです。
登場人物が延々と飯食いながら雑談してるだけみたいなのでもさ。
私は一体なにを書きたかったんだろう。
胸踊る戦闘シーンも、ごはん食いながらシェルがチーズの話をするのも、自分の中では同じ比重だったかもしれません。人に読ませるんだと思わなければ、私はスィグルが「蛇が脱皮するときって、どういう気分なんだろう」って暖炉前でイルスと話してるシーンを延々何ページにもわたって書いたり平気でやるんですが、そういうのはやっぱダルイなと思って、決定稿には入れちゃいかんのだと思っているんです。
でも、そもそもそれが間違ってんのじゃないかと、カルテットについては思う。よくわからないですが。
また大学ノートと向き合ってみるほうがいいのかもなあ。ネットで手軽に人に読んでもらえるので、「読まれる」ことに特化しすぎて、自分はどう書きたいのかっていうのが、あまり掘り下げられてないような反省もあります。
迷走してるなあ。
人のために書いている、みたいになると、なんだかつまらないですよね。
無責任というか。
「あなたが読みたいものを書いているんです」とか作者に言われても、「じゃあ、あなたの書きたいものはどこにあるの?」って読者さんは思うんじゃないかな。それだと主体性がない作品だ。
聞いてくれる人がいるから語る、んではなく、語るから聞いてもらえる、というのが、ストーリーテリングの本当のところだよなあと思うので。
まず語るのが先にないと。
でも近年の私は、読んでくれる人がいるから書きたいと思っている気がします。それじゃだめなんじゃないかなあ。だから意欲が薄いのでは。
書きたいものがあって、書いてある作品は、拙くても、誰かが読んでくれるものですよね。昔、ノートに手書きしたのを読んでくれた友達がいたみたいに。
そういうものだと信じる勇気が必要な気がするね。書く人には。
ま、それで結果ダメだったとしても、仕方ないのだし。
いろいろ考えて頑張ります。
(いつもより多めに意味不明の記事でした。すんません)
2012年7月31日火曜日
evernoteにいろいろ入れる
私にはevernoteの活用方法がイマイチ分かってない。今、いろいろ試してみている。
気に入ったお店のショップカードをもらってくる癖がある。紙モノが好きなので、ショップカードそのものが欲しくて貰うわけだが、ものすごく溜まるし、整理もしないと、ただのゴミになってしまう。
(整理したところで、大抵の場合は実質ゴミだったりするのだが。)
SHOT NOTEにショップカードを乗せて、専用アプリで撮影したのを、evernoteにUPしてみた。
いい感じだ。
iPhoneのスキャナーアプリ(無料のやつ)で撮ってupするのも試してみた。
別にこれでもいいな。
ショップカードを捨てるための儀式みたいな感じだから、別にただ写真に撮るだけでもいいのかもしれない。その一段階を踏むことで、モノへの未練を断ち切れる。そういえば、儀式って元々そういうものだよね。
実際のお店の情報は、いまどき、公式のサイトやブログがあって、その都度ググって見るほうが、情報も最新だし間違いがない。
なのになんで私はショップカードを貰ってくるのか。妙な所有欲だと思うけど。でも、貰うと、その瞬間幸せなので、たぶん一生やめないんだろうな。
お店とか人への、賞賛のアピールなんだろうとは思うけど。
「この店が気に入りましたよ」「あなたの作品が好きですよ」という意思表示として、ショップカードや作家の名刺を貰ってくるんだと思うし、カードをもらっていいですかって聞くと、「どうぞ」というその瞬間、貰われるほうの人も嬉しそうなような気がする。
だから一種のコミュニケーションなんだろうね。
でも、それをずっと保管しておくには、今の世の中、モノも情報も溢れすぎてる。
昔々の恋人たちが、初めてデートしたバーのコースターを思い出に貰って帰って、一生とっておくというような情緒は素敵だが、それが物体として手元にあるべきかは、難しい。モノにもよるし、人にもよるし、時と場合にも、ライフスタイルにもよる。
うちの夫は昔々アップルストアでもらった林檎製品のパンフレットなども後生大事に保管しているが、それはバーチャルではダメなのか?
ムームー星人の縫いぐるみは本当に要るのか?
バーチャルボーイはもう捨てよう?
それがダメなら、せめてスペースバズーカを捨ててほしいのよ。
あの世にスペースバズーカを持っていくことはできないわ。
私たち、長生きしたって、あと3、40年で世を去る定めよ。人生の半分はもう使い終えたのよ。
自分が死んだ後、娘にスペースバズーカを処分する粗大ごみ費用400円を払わせるつもり?(京都市では粗大ごみは有料です)
自分で捨ててよ。
そう説得するのだけど、夫は永遠に生きるつもり。スペースバズーカとバーチャルボーイと、アップルの古いパッケージやチラシと共に。
と、人のことを言うのは簡単なんだけど、私も相当に無駄な廃棄物を後生大事に持ってるよ。私には宝物なんだけどさ。でも客観的にはゴミだよね。
その処分の手間を考えると、残していいのは思い出だけ。面倒な処分は本人がやっとけというのがあるなあ。
とはいえ、大好きな無駄なものに囲まれて生きる幸せって捨てがたいし、それだって人生の喜びなんだから、バーチャルでOKなものは、evernoteに突っ込んでおいて、満喫する方向が、手軽でいいよねえ。
もちろん、evernoteには実用的なメリットが沢山あるんでしょうが。非実用のメリットもあるな。
実用のメリットでは、手持ちの着物や帯や、気に入ったコーディネートを写真に撮って、evernoteに入れておいて、翌年の同じ季節に参考にしたりします。着る時にコーディネートに悩まないので時短できる。
活用しようと思えば、実に様々な用途があって、まさに外部脳なんだなって分かるけど、evernoteが消えたらどうなるんだろう?
クラウド時代、そんなことは愚問なのかな。ローカルにバックアップは不要なの?
もっとも、自分が管理してる自宅のハードディスクより、プロが管理してるデータセンターのほうが、何倍も安全ていうのは、あるかもしれない。
他人に情報管理を依存するリスクとかいう以前に。データをロストするリスクは、自宅のハードディスクのほうが高いのかもしれない。
そういう意識になったのは、私の場合、東日本大震災で、自宅もデータも失ってしまった人が、たまたまオンラインストレージに置いていた子供の写真だけは残ったというようなエピソードを聞いたからだけども。
自宅のバックアップが案外あてにならないっていうのは、あるなあ。
気に入ったお店のショップカードをもらってくる癖がある。紙モノが好きなので、ショップカードそのものが欲しくて貰うわけだが、ものすごく溜まるし、整理もしないと、ただのゴミになってしまう。
(整理したところで、大抵の場合は実質ゴミだったりするのだが。)
SHOT NOTEにショップカードを乗せて、専用アプリで撮影したのを、evernoteにUPしてみた。
いい感じだ。
iPhoneのスキャナーアプリ(無料のやつ)で撮ってupするのも試してみた。
別にこれでもいいな。
ショップカードを捨てるための儀式みたいな感じだから、別にただ写真に撮るだけでもいいのかもしれない。その一段階を踏むことで、モノへの未練を断ち切れる。そういえば、儀式って元々そういうものだよね。
実際のお店の情報は、いまどき、公式のサイトやブログがあって、その都度ググって見るほうが、情報も最新だし間違いがない。
なのになんで私はショップカードを貰ってくるのか。妙な所有欲だと思うけど。でも、貰うと、その瞬間幸せなので、たぶん一生やめないんだろうな。
お店とか人への、賞賛のアピールなんだろうとは思うけど。
「この店が気に入りましたよ」「あなたの作品が好きですよ」という意思表示として、ショップカードや作家の名刺を貰ってくるんだと思うし、カードをもらっていいですかって聞くと、「どうぞ」というその瞬間、貰われるほうの人も嬉しそうなような気がする。
だから一種のコミュニケーションなんだろうね。
でも、それをずっと保管しておくには、今の世の中、モノも情報も溢れすぎてる。
昔々の恋人たちが、初めてデートしたバーのコースターを思い出に貰って帰って、一生とっておくというような情緒は素敵だが、それが物体として手元にあるべきかは、難しい。モノにもよるし、人にもよるし、時と場合にも、ライフスタイルにもよる。
うちの夫は昔々アップルストアでもらった林檎製品のパンフレットなども後生大事に保管しているが、それはバーチャルではダメなのか?
ムームー星人の縫いぐるみは本当に要るのか?
バーチャルボーイはもう捨てよう?
それがダメなら、せめてスペースバズーカを捨ててほしいのよ。
あの世にスペースバズーカを持っていくことはできないわ。
私たち、長生きしたって、あと3、40年で世を去る定めよ。人生の半分はもう使い終えたのよ。
自分が死んだ後、娘にスペースバズーカを処分する粗大ごみ費用400円を払わせるつもり?(京都市では粗大ごみは有料です)
自分で捨ててよ。
そう説得するのだけど、夫は永遠に生きるつもり。スペースバズーカとバーチャルボーイと、アップルの古いパッケージやチラシと共に。
と、人のことを言うのは簡単なんだけど、私も相当に無駄な廃棄物を後生大事に持ってるよ。私には宝物なんだけどさ。でも客観的にはゴミだよね。
その処分の手間を考えると、残していいのは思い出だけ。面倒な処分は本人がやっとけというのがあるなあ。
とはいえ、大好きな無駄なものに囲まれて生きる幸せって捨てがたいし、それだって人生の喜びなんだから、バーチャルでOKなものは、evernoteに突っ込んでおいて、満喫する方向が、手軽でいいよねえ。
もちろん、evernoteには実用的なメリットが沢山あるんでしょうが。非実用のメリットもあるな。
実用のメリットでは、手持ちの着物や帯や、気に入ったコーディネートを写真に撮って、evernoteに入れておいて、翌年の同じ季節に参考にしたりします。着る時にコーディネートに悩まないので時短できる。
活用しようと思えば、実に様々な用途があって、まさに外部脳なんだなって分かるけど、evernoteが消えたらどうなるんだろう?
クラウド時代、そんなことは愚問なのかな。ローカルにバックアップは不要なの?
もっとも、自分が管理してる自宅のハードディスクより、プロが管理してるデータセンターのほうが、何倍も安全ていうのは、あるかもしれない。
他人に情報管理を依存するリスクとかいう以前に。データをロストするリスクは、自宅のハードディスクのほうが高いのかもしれない。
そういう意識になったのは、私の場合、東日本大震災で、自宅もデータも失ってしまった人が、たまたまオンラインストレージに置いていた子供の写真だけは残ったというようなエピソードを聞いたからだけども。
自宅のバックアップが案外あてにならないっていうのは、あるなあ。
2012年7月30日月曜日
ED!T(エディット)のことで、まだ悩んでいる
一個前の記事の続き。
MARK'sの手帳、ED!T(エディット)に乗り換えられないかと、試してみた。
紙がトモエリバーだし、大きさがちょうど好みだというので買ったのだが、使いこなせず。
行間が狭いので、小さい字で書けば良いんだわと、小さい字で試し書きしてみた。
頑張れば書けるが、やはり私が頑張らずに何気なく書く字のサイズよりも、若干小さくないと無理で、書くのにエネルギーがいる。
使用例をググってみたら、とりあえず公式で提供されてる記事しか見つからなかったが、皆さん、日記のような、すでに起きた出来事の記録というよりは、未来の予定を書き込んで使っているっぽい。
ぎっしり日記ではなく、ゆったりとスケジュール帳使用。時間刻みの詳しいスケジュールやチェックリストを、一日一ページ、ゆったりたっぷり書いて、場合によっては出先に携帯する使い方をする人向けかなあって印象があった。
「使い方はあなた次第」とは言え、やはりメーカー側で開発時に念頭に置いた用途ってあったのかなあ。
私には、そこまでたっぷりとしたスケジュール帳は必要ではないし、ED!Tを持ち歩くのは無理だ。
トモエリバーだっていうので思わず飛びついてしまったが、対象外ユーザーっぽい自分を感じるな。
レシートを貼り付けて家計簿使用という使用例も紹介されていて、その用途なら私にも使えるかなと思うが、自分の場合、そのためにわざわざED!Tを買おうというほどの相性は感じてないなー。
日記として、私にも使えないことはないが、同じ用途なら、ほぼ日手帳カズンのほうが記入時のストレスがないので、合ってるんだなという事を納得せざるをえない( ;´Д`)
でもデカすぎるのはどうすれば。
それを我慢すりゃいいのか!
ED!Tに日記っぽいものを書き込みしてて感じたけど、紙面の上下にけっこう広めの余白があって、ページも180度開くってほどでもないし、したがって左右もみっちり書くわけじゃない。
見た目よりも、書ける量が少ないような気がした。
それでも、ほぼ日手帳オリジナルよりは沢山書けるんだけど、罫線と相性良くない私としては、あともうちょっと書く内容を要約したり省いたりして、ほぼ日手帳オリジナルの方眼書くか、デカいカズンの紙面に思うさま無駄な事を走り書きするほうが、幸せなんじゃない? という悟りの時が近づいてきた実感があった。
カズンの使い道がなかったバーチカル・ウィークリーのページには、ED!T家計簿のネタをパクって、出納帳をつけてもいいな、と思った。
今は金銭関連は別のノートに書いてるが、カズンの余ってるウィークリーページに書きゃいいんだな。週ごとのお金の流れも見やすいし。今まで思いつかなかったが、それも一案だ。
で。
結局、ED!Tはどう使えばいいんだろう、私は。
「もうずっとカズンでいくんだ」って覚悟を決めるための踏み台みたいになった。ごめんよED!T……。
でも本音を言えば、ほぼ日手帳の方眼で、毎日のお言葉は無しで、B6ぐらいのサイズのトモエリバー紙の、一日一ページのノートを作ってくれれば、そのほうがいい。日付は日本語表記で。
年間計画とマンスリーぐらいは付いていると便利そう。
別冊で住所録とか追加ノートがあるといいな。地下鉄の路線図とかは要らないや。要る時は自分で印刷するし。スマホで随時、調べればいいし。
それでも、頻用するデータって人それぞれあるから、必要に応じて自分で追加した情報ページをとじられるように、クリアフォルダかスクラップブックのページまたは別冊オプションと、それを挟める、トラベラーズノートのゴムみたいなのがカバーについてるといいのに。
革のカバーかけたいので、ノート部分だけ毎年レフィルで出してくれるといいなあ。
要望多いな……。
いろんな手帳のいいとこどりみたいなの無いのかな。
特許とかあって無理なのかな。
使う人それぞれに、各人の詳しい要望はあるんだろうし、それの最大公約数を採ると、誰にとっても、痒いところを撫でさする程度の、「もうちょっと、こう……( ;´Д`)!」っていう、もどかしい何かになるんだろうなあ。
誰かのツボにジャストミートしてると、返って別の誰かには使いにくいってあるんだろうし。
それでも、私の好みにジャストミートしてほしい。それが皆の本音。
MARK'sの手帳、ED!T(エディット)に乗り換えられないかと、試してみた。
紙がトモエリバーだし、大きさがちょうど好みだというので買ったのだが、使いこなせず。
行間が狭いので、小さい字で書けば良いんだわと、小さい字で試し書きしてみた。
頑張れば書けるが、やはり私が頑張らずに何気なく書く字のサイズよりも、若干小さくないと無理で、書くのにエネルギーがいる。
使用例をググってみたら、とりあえず公式で提供されてる記事しか見つからなかったが、皆さん、日記のような、すでに起きた出来事の記録というよりは、未来の予定を書き込んで使っているっぽい。
ぎっしり日記ではなく、ゆったりとスケジュール帳使用。時間刻みの詳しいスケジュールやチェックリストを、一日一ページ、ゆったりたっぷり書いて、場合によっては出先に携帯する使い方をする人向けかなあって印象があった。
「使い方はあなた次第」とは言え、やはりメーカー側で開発時に念頭に置いた用途ってあったのかなあ。
私には、そこまでたっぷりとしたスケジュール帳は必要ではないし、ED!Tを持ち歩くのは無理だ。
トモエリバーだっていうので思わず飛びついてしまったが、対象外ユーザーっぽい自分を感じるな。
レシートを貼り付けて家計簿使用という使用例も紹介されていて、その用途なら私にも使えるかなと思うが、自分の場合、そのためにわざわざED!Tを買おうというほどの相性は感じてないなー。
日記として、私にも使えないことはないが、同じ用途なら、ほぼ日手帳カズンのほうが記入時のストレスがないので、合ってるんだなという事を納得せざるをえない( ;´Д`)
でもデカすぎるのはどうすれば。
それを我慢すりゃいいのか!
ED!Tに日記っぽいものを書き込みしてて感じたけど、紙面の上下にけっこう広めの余白があって、ページも180度開くってほどでもないし、したがって左右もみっちり書くわけじゃない。
見た目よりも、書ける量が少ないような気がした。
それでも、ほぼ日手帳オリジナルよりは沢山書けるんだけど、罫線と相性良くない私としては、あともうちょっと書く内容を要約したり省いたりして、ほぼ日手帳オリジナルの方眼書くか、デカいカズンの紙面に思うさま無駄な事を走り書きするほうが、幸せなんじゃない? という悟りの時が近づいてきた実感があった。
カズンの使い道がなかったバーチカル・ウィークリーのページには、ED!T家計簿のネタをパクって、出納帳をつけてもいいな、と思った。
今は金銭関連は別のノートに書いてるが、カズンの余ってるウィークリーページに書きゃいいんだな。週ごとのお金の流れも見やすいし。今まで思いつかなかったが、それも一案だ。
で。
結局、ED!Tはどう使えばいいんだろう、私は。
「もうずっとカズンでいくんだ」って覚悟を決めるための踏み台みたいになった。ごめんよED!T……。
でも本音を言えば、ほぼ日手帳の方眼で、毎日のお言葉は無しで、B6ぐらいのサイズのトモエリバー紙の、一日一ページのノートを作ってくれれば、そのほうがいい。日付は日本語表記で。
年間計画とマンスリーぐらいは付いていると便利そう。
別冊で住所録とか追加ノートがあるといいな。地下鉄の路線図とかは要らないや。要る時は自分で印刷するし。スマホで随時、調べればいいし。
それでも、頻用するデータって人それぞれあるから、必要に応じて自分で追加した情報ページをとじられるように、クリアフォルダかスクラップブックのページまたは別冊オプションと、それを挟める、トラベラーズノートのゴムみたいなのがカバーについてるといいのに。
革のカバーかけたいので、ノート部分だけ毎年レフィルで出してくれるといいなあ。
要望多いな……。
いろんな手帳のいいとこどりみたいなの無いのかな。
特許とかあって無理なのかな。
使う人それぞれに、各人の詳しい要望はあるんだろうし、それの最大公約数を採ると、誰にとっても、痒いところを撫でさする程度の、「もうちょっと、こう……( ;´Д`)!」っていう、もどかしい何かになるんだろうなあ。
誰かのツボにジャストミートしてると、返って別の誰かには使いにくいってあるんだろうし。
それでも、私の好みにジャストミートしてほしい。それが皆の本音。
ほぼ日手帳カズンを来年も買うかで悩んでいる
大抵の人にとっては、どうでもいいことだろうに、毎年、「手帳どうする?」という件で悩んでいる。まだ7月なのに、もう悩んでいる。
本人はツラいのだが、傍目にはたぶん、好きで悩んでいるようにしか見えない。そして、たぶん、実際にも、好きで悩んでいる。しかし、精神的にツラいのも事実なのだ。だからたぶん、マゾヒスティックな喜びの一種と思う。
私が書きたいから書くけど、誰も興味ないのは知っています!
さて、私は今年、ほぼ日手帳カズンを日記帳として、ほぼ日手帳WEEKSを持ち歩き用のスケジュール帳として使用している。
WEEKSには未来の予定を書く。レフト式のウィークリー仕様なので、ウィークリー部分には当然、週の予定を。左側のノートページには、その週のToDoと、必要事項のメモを書く。
礼状を送るなら相手先の住所、子供が遠足に行くなら、持ち物のチェックリスト。備忘録としての覚え書きも書く。書き切れないボリュームの記事は巻末のノートに書き込み、その旨を注記するという感じ。
ここには基本、予定と事実のみを書き込み、日記的なことは書かない。
WEEKSは私にとって、持ち歩き用としては微妙にデカい。カバンの中で嵩張る。そして、「今週のお言葉」が邪魔。しかし今のところ、紙面の広さが自分の予定記入に最適であるし、これを超える使い勝手のものと出会えていない。だからもう諦めた。来年も再来年も、ほぼ日手帳WEEKSを買い続ける惰性の女になる。
しかし日記帳である。
ほぼ日手帳カズンはデカい。
デスクノートとして使っているので、デカくても差し障りはないのだが、自分にとっては愛せるサイズを微妙に外している。モレスキン・ラージくらいのサイズが気持ちいい。(だがモレスキンの紙が嫌いだ)
でも、そうは言いながら、カズンの紙面が広過ぎて余るかというと、余らない。むしろビッシリ書いてる。ものを書くのが好きなので、紙面がある限りビッシリ書いちゃうのだ。時間と気力と紙面が許す限り書いちゃう。
だから逆に紙面を狭くすれば、日記も手短かに纏めるようになる。制限文字数に収まるように要約する能力は一応あるみたいなのだ。
したがって、カズンのサイズが本当に必要なのかは自分でも分からない。
カズンの「要らないページ」問題も、私には気になる。マンスリーと、バーチカルウィークリーページを、私は使っていない。それがどれくらいのページ数なのか、試しに見てみたら、カズンの3分の1に及ぶ量だった。
もったいなくね?
そう思うのはケチすぎ?
でも、トモエリバーは比較的、高価な紙だし、書き心地がいい。使わずにおいておくのだと、もったいない感がある。
ググったら、バーチカルなウィークリーページに、一日の簡単なライフログを書いている人がいた。予定ではなく、日記として使っているということだ。
なるほど、そういう使い方もあるなと参考になった。
同じものを私は、一日一ページのほうに書いているのだが、それをウィークリーのほうに書いて、一日一ページのほうは、単純に記事だけ書くようにすればいいんだな。
同日の出来事が別々のページに分かれるのって、微妙に面倒くさいが、大量に余っていたページを使いこなしちゃった的な満足感と、「別ページ開いて書くのメンドクサ」というモノグサさと、どっちが自分の中で優先されるか、やってみりゃ分かる。(モノグサが勝ちそうな予感がする程度には怠け者なんだが…)
マンスリーが余るのは、気になるが、見開きで12ヶ月ぶん程度なら、見なかったことにできる程度には、私はいいかげんな女のはずだ。大丈夫、耐えられるわ、かおる!
そうやって来年もカズンを使うか。
それとも要約能力を「強」に設定して、ほぼ日手帳オリジナルに戻すか。
去年はオリジナルを日記&スケジュール帳として使用していたのだが、自分の話が長過ぎて、「こんなちっせーノートに書ききれるかっちゅうの!」とキレたことや、ジェットストリームで書き込んでページがゴワゴワしていく感じに快感を覚えたものの、ノート後半になると、ゴワゴワで膨らんだノートが書きにくくて若干キレ気味になる日があったり、持ち歩く時に邪魔過ぎたりと、どうもなんとなく、ほぼ日ワールドの住人になり切れない自分を感じたので、カズン&WEEKS併用に切り替えたのである。
それを思い返すと、オリジナルに戻るっていうのは、「バカなの?」という感じがしなくもないが、私の考え過ぎかもしれないので、身近にいた夫に事情を説明して意見を求めてみた。
すると「その話だと、お前が来年の夏頃にキレるのは確実だと思うから、アホなことはするな、かおる」とのことだったので、ムカっとした。
オリジナル版のほうが小さくて可愛いやん? いや、まあ、女子っぽい豆字とか書けない私がいけないんだけど。それでもアンタに言われたくないわ! などと八つ当たりをして発散したところで気を取り直し。
エディット(ED!T)はどうなの?
ほぼ日手帳と同じく、トモエリバー紙を使用した一日一ページの日記帳である。
本体サイズが、大きすぎず小さすぎずで美しいし好みだ。付属のカバーも綺麗だし好きだ。
ということで、脱・カズンを目指して購入したのだが、「罫線狭すぎ……」と歯ぎしりしたいような使用感だった。
豆字を書けない女子力のなさが、ここでも浮き彫りとなる。
では一行飛ばしで書けばいいのではないかと試した。
それだと行間があきすぎて気持ち良くない。
では罫線を無視すればいいのではないか?
それも試そうとしたが、添付写真のような、無視しやすいようにと塩梅されているに違いない薄味のドット罫線であるにも関わらず、世間の敷いたレールを無視できない弱い自分がいる。どうしても罫線が見える。罫線に沿って書いちゃう。書いちゃうんだよ!!
方眼罫なら無視できるんだよ。無地と認識することもできるし、必要に応じて、罫線として使用することもできる。
だから方眼罫が好きなのだが。それだと、ほぼ日手帳の思う壷なのだが。
悔しいと思うけど。
でも実際、思う壷なんだよ。
MARK'sさんは、どうしてED!Tを方眼紙にしてくれなかったんだろうなあ……。
世の中の人は、方眼よりは罫線が好きなのか。
それとも方眼紙だと、「ほぼ日手帳すぎるじゃない…」みたいなのがあるのか。
でも、そこは、利便性から割り出された結論ということで、サメとイルカの形が似てるようなものなんじゃないのか。ということじゃダメなのか。
私がそれを悩んでも、なんの意味もないが。
もう一度、ED!Tとやり直してみる気はないのか、私。
豆字を書けばええやないか、かおる!
慣れればできるはずだ。
使い慣れれば愛着が湧くはずだ。
そして、「デスクに置いてあるカズンがデカすぎる」というストレスから自分を解き放つことができるのだぞ!
そのように思うので、ED!Tと再び仲良くする人格改造を本日より試みてみることにした。
素直にカズンで妥協すればいいという気がしなくもない。
でも何となく、何故かは分からないけど、「スケジュール帳も日記帳も、ほぼ日手帳なんです。毎年リピートしています」というのが恥ずかしいのだ。何故!? 別にいいじゃん!
でもなぜか抵抗したいの。
それが「使うノートは全てモレスキンです(フッ)」というのなら耐えられるの。なんかいいな、ホワワワン♪みたいに思うの。(でもモレ紙には耐えられなくて轟沈)
でもそれがほぼ日手帳だと「結局俺が便利なんだろ、分かってるんだよ」みたいなノートな気がしてね。
「そうよ、結局、あなたしかいないの……!」(※雨の中、誰もいない石畳みにずぶ濡れでくずおれて泣き叫ぶ)って素直になるくらいなら、チラシの裏に予定を書いてやるみたいな気持ちが暴走するの。
夫には、「かおる、お前、めちゃめちゃ楽しそうやな」と言われました。
たぶん、ほめてるんじゃない。
でも楽しいです。
体力が回復したのか、記事内容が、バカ大爆発みたいになってきました。
大丈夫、それがいつものペースだ。
本人はツラいのだが、傍目にはたぶん、好きで悩んでいるようにしか見えない。そして、たぶん、実際にも、好きで悩んでいる。しかし、精神的にツラいのも事実なのだ。だからたぶん、マゾヒスティックな喜びの一種と思う。
私が書きたいから書くけど、誰も興味ないのは知っています!
さて、私は今年、ほぼ日手帳カズンを日記帳として、ほぼ日手帳WEEKSを持ち歩き用のスケジュール帳として使用している。
WEEKSには未来の予定を書く。レフト式のウィークリー仕様なので、ウィークリー部分には当然、週の予定を。左側のノートページには、その週のToDoと、必要事項のメモを書く。
礼状を送るなら相手先の住所、子供が遠足に行くなら、持ち物のチェックリスト。備忘録としての覚え書きも書く。書き切れないボリュームの記事は巻末のノートに書き込み、その旨を注記するという感じ。
ここには基本、予定と事実のみを書き込み、日記的なことは書かない。
WEEKSは私にとって、持ち歩き用としては微妙にデカい。カバンの中で嵩張る。そして、「今週のお言葉」が邪魔。しかし今のところ、紙面の広さが自分の予定記入に最適であるし、これを超える使い勝手のものと出会えていない。だからもう諦めた。来年も再来年も、ほぼ日手帳WEEKSを買い続ける惰性の女になる。
しかし日記帳である。
ほぼ日手帳カズンはデカい。
デスクノートとして使っているので、デカくても差し障りはないのだが、自分にとっては愛せるサイズを微妙に外している。モレスキン・ラージくらいのサイズが気持ちいい。(だがモレスキンの紙が嫌いだ)
でも、そうは言いながら、カズンの紙面が広過ぎて余るかというと、余らない。むしろビッシリ書いてる。ものを書くのが好きなので、紙面がある限りビッシリ書いちゃうのだ。時間と気力と紙面が許す限り書いちゃう。
だから逆に紙面を狭くすれば、日記も手短かに纏めるようになる。制限文字数に収まるように要約する能力は一応あるみたいなのだ。
したがって、カズンのサイズが本当に必要なのかは自分でも分からない。
カズンの「要らないページ」問題も、私には気になる。マンスリーと、バーチカルウィークリーページを、私は使っていない。それがどれくらいのページ数なのか、試しに見てみたら、カズンの3分の1に及ぶ量だった。
もったいなくね?
そう思うのはケチすぎ?
でも、トモエリバーは比較的、高価な紙だし、書き心地がいい。使わずにおいておくのだと、もったいない感がある。
ググったら、バーチカルなウィークリーページに、一日の簡単なライフログを書いている人がいた。予定ではなく、日記として使っているということだ。
なるほど、そういう使い方もあるなと参考になった。
同じものを私は、一日一ページのほうに書いているのだが、それをウィークリーのほうに書いて、一日一ページのほうは、単純に記事だけ書くようにすればいいんだな。
同日の出来事が別々のページに分かれるのって、微妙に面倒くさいが、大量に余っていたページを使いこなしちゃった的な満足感と、「別ページ開いて書くのメンドクサ」というモノグサさと、どっちが自分の中で優先されるか、やってみりゃ分かる。(モノグサが勝ちそうな予感がする程度には怠け者なんだが…)
マンスリーが余るのは、気になるが、見開きで12ヶ月ぶん程度なら、見なかったことにできる程度には、私はいいかげんな女のはずだ。大丈夫、耐えられるわ、かおる!
そうやって来年もカズンを使うか。
それとも要約能力を「強」に設定して、ほぼ日手帳オリジナルに戻すか。
去年はオリジナルを日記&スケジュール帳として使用していたのだが、自分の話が長過ぎて、「こんなちっせーノートに書ききれるかっちゅうの!」とキレたことや、ジェットストリームで書き込んでページがゴワゴワしていく感じに快感を覚えたものの、ノート後半になると、ゴワゴワで膨らんだノートが書きにくくて若干キレ気味になる日があったり、持ち歩く時に邪魔過ぎたりと、どうもなんとなく、ほぼ日ワールドの住人になり切れない自分を感じたので、カズン&WEEKS併用に切り替えたのである。
それを思い返すと、オリジナルに戻るっていうのは、「バカなの?」という感じがしなくもないが、私の考え過ぎかもしれないので、身近にいた夫に事情を説明して意見を求めてみた。
すると「その話だと、お前が来年の夏頃にキレるのは確実だと思うから、アホなことはするな、かおる」とのことだったので、ムカっとした。
オリジナル版のほうが小さくて可愛いやん? いや、まあ、女子っぽい豆字とか書けない私がいけないんだけど。それでもアンタに言われたくないわ! などと八つ当たりをして発散したところで気を取り直し。
エディット(ED!T)はどうなの?
ほぼ日手帳と同じく、トモエリバー紙を使用した一日一ページの日記帳である。
本体サイズが、大きすぎず小さすぎずで美しいし好みだ。付属のカバーも綺麗だし好きだ。
ということで、脱・カズンを目指して購入したのだが、「罫線狭すぎ……」と歯ぎしりしたいような使用感だった。
豆字を書けない女子力のなさが、ここでも浮き彫りとなる。
では一行飛ばしで書けばいいのではないかと試した。
それだと行間があきすぎて気持ち良くない。
では罫線を無視すればいいのではないか?
それも試そうとしたが、添付写真のような、無視しやすいようにと塩梅されているに違いない薄味のドット罫線であるにも関わらず、世間の敷いたレールを無視できない弱い自分がいる。どうしても罫線が見える。罫線に沿って書いちゃう。書いちゃうんだよ!!
方眼罫なら無視できるんだよ。無地と認識することもできるし、必要に応じて、罫線として使用することもできる。
だから方眼罫が好きなのだが。それだと、ほぼ日手帳の思う壷なのだが。
悔しいと思うけど。
でも実際、思う壷なんだよ。
MARK'sさんは、どうしてED!Tを方眼紙にしてくれなかったんだろうなあ……。
世の中の人は、方眼よりは罫線が好きなのか。
それとも方眼紙だと、「ほぼ日手帳すぎるじゃない…」みたいなのがあるのか。
でも、そこは、利便性から割り出された結論ということで、サメとイルカの形が似てるようなものなんじゃないのか。ということじゃダメなのか。
私がそれを悩んでも、なんの意味もないが。
もう一度、ED!Tとやり直してみる気はないのか、私。
豆字を書けばええやないか、かおる!
慣れればできるはずだ。
使い慣れれば愛着が湧くはずだ。
そして、「デスクに置いてあるカズンがデカすぎる」というストレスから自分を解き放つことができるのだぞ!
そのように思うので、ED!Tと再び仲良くする人格改造を本日より試みてみることにした。
素直にカズンで妥協すればいいという気がしなくもない。
でも何となく、何故かは分からないけど、「スケジュール帳も日記帳も、ほぼ日手帳なんです。毎年リピートしています」というのが恥ずかしいのだ。何故!? 別にいいじゃん!
でもなぜか抵抗したいの。
それが「使うノートは全てモレスキンです(フッ)」というのなら耐えられるの。なんかいいな、ホワワワン♪みたいに思うの。(でもモレ紙には耐えられなくて轟沈)
でもそれがほぼ日手帳だと「結局俺が便利なんだろ、分かってるんだよ」みたいなノートな気がしてね。
「そうよ、結局、あなたしかいないの……!」(※雨の中、誰もいない石畳みにずぶ濡れでくずおれて泣き叫ぶ)って素直になるくらいなら、チラシの裏に予定を書いてやるみたいな気持ちが暴走するの。
夫には、「かおる、お前、めちゃめちゃ楽しそうやな」と言われました。
たぶん、ほめてるんじゃない。
でも楽しいです。
体力が回復したのか、記事内容が、バカ大爆発みたいになってきました。
大丈夫、それがいつものペースだ。
2012年7月28日土曜日
忘れられない一日になりそう
ロンドン・オリンピックが開幕しました。
そんな早朝、我が家のダイニングキッチンのクーラーが壊れました。排水にトラブルがあって水漏れします。
うちのオカン様がさ、オリンピック観ようと思って早起きしたら、床が水浸しだったんだって。
おいら、激怒したオカンに叩き起こされたよ。
私、なにも落ち度はなくないですか?
なんかちょっとイルスの気持ちが分かる。というか、あれも私の中で作られたものだったんだなって実感する。
「起きろよイルス、なに呑気に寝てるんだよ! 一階のエアコンが壊れてて床が水浸しだよ! オリンピック観られないじゃないか。僕が溺れ死ぬ前になんとかしろよ!」とかいう人が早朝バーンて部屋に踏み込んできても、「わかったなんとかするから喚くのはやめてくれ」程度しか言えないんだもんな。
イルスは優しいんじゃなくて、「言っても無駄だと知っている」んだということが今朝わかりました。私は自分の消耗を最小限にしたいだけでした。
ビルトインのエアコンなので、少々ややこしいです。
メーカーの24時間サポート窓口に電話したら、「修理依頼が混み合っておりますので、修理は最短でも月曜日になりますが、よろしいですか?」と言われたので、きっぱりと「いいえ」と答えてみました。
ぜひ今日お会いしたい。
駄目もとで頼んだら、修理の担当者さんが、夕方ごろに来てくれました。
言ってみるものだな……。
そういうことをやりながら、見るともなくオリンピック中継を観ました。
今後、ロンドン・オリンピックのことを思い出すたびに、天井から水が落ちてきたことも思い出すんだろうな。
ムスメは、たったの2ページしかない夏休みの絵日記(宿題)に、天井から漏水して修理のお兄さんが来たことを書くと言っていました。オリンピックのことを書いたらどうや……(かすれ声)
でも子供には、四年に一度のスポーツの祭典よりも、天井から水が降ってくることのほうが、センセーショナルだったんでしょうね。わかるんだけどね。
私としては、絵日記の題材に取り上げてもらおうと、あちこち連れていったり、家でお菓子作りをしてみたり(普段はしません)、「これはブログのネタになりそうですよね!」みたいなことを色々やってるんですが、それが全部スルーされて、まさかのエアコン漏水ネタ採用。
まあ、そんなもんですよね、人生は……。
そんなこんなも書き留める、私の手帳なんですが、ものすごく彷徨った挙句、結局「ほぼ日手帳」で落ち着きそうです。
そこに落ち着くと、糸井重里さんの思う壷みたいで、なんだか嫌というのもあり、機能上ちょっと満足できない点もあったり、毎日のお言葉コーナーがとにかく要らなかったりで、私も苦悩したんですが、結局なんだかんだでさ、ほぼ日手帳が一番使い勝手が良かったんだわ。
くやしい。
スケジュール手帳には、ほぼ日手帳WEEKSを使っています。デカくて嫌だなって思ってたのに、紙面が広くて書きやすいし、巻末のノートページが豊富なのが便利すぎるよ。
トモエリバー紙を使った他社のスケジュール手帳に替えた時期があったんですが、自分の予定と子供の予定と旦那の予定と、って書き込んでいったら、スペースが足りなくて諦めるしかなかったです。
日記は、ほぼ日手帳カズンに書いているんですが、その用途だと、マンスリーとか、バーチカルな週間予定とかのページが全然いらない。
だったら、そのページを使わなければいいだけのことなのに、どういう性格なのか、要らないページがたっぷりあることに、なんだかイライラッとします。心が狭すぎるの。
もっと日記帳っぽい製品に替えればいいんだわと思って、こてまたトモエリバー紙を使った他社の製品、ED!T(エディット)に替えた時期があったんですが、エディットの行間が自分に合わなくて気持ち悪い( ;´Д`)! 書いててストレス! 悔しい、なんで合わないの!!
そんなこんなで、ほぼ日手帳に戻っちゃったんだよ。
素直に、ほぼ日帝国の軍門に下れば、来年からラクになれると思います。
信者になるならモレスキン教のほうが自分に合いそうと最初は思ったのに、モレ紙に耐えられず。
ノートに関しては、まだ彷徨っている感じがしますが、たぶん、ほぼ日手帳WEEKSのノートページか拡張ノートで足りるんだって、悟りがひらけてきました。
ほぼ日手帳信者への道はもうゴール間近です( ;´Д`) ←なぜかツラい
あと結局便利だなって納得したのが、evernoteです。iPhoneにposteverっていうアプリ入れて、タイムスタンプ付きでポイポイ書き込みを投稿できるのが、とても便利。
デジタルのノートなんて嫌だ、紙に手書きがいいんだい! って思ってきたのに、なんでevernoteやねんて自分でもすごく思う……orz
どういう使い分けをしたらいいのか、自分でもまだ分かりませんが、紙に書いたほうが便利なことと、デジタルが便利なことがあって、併用するのがいいみたい。というのが結論みたい。
デジタルは写真を添付できたりが便利ですよね。
作品のネタとかも、ちょっとした思いつきのアイデアメモを残すには、デジタルのほうが利便性は高いのかもしれない予感。
SHOT NOTEのようなメモ帳にメモったのを、iPhoneのカメラで取り込んで、作品別のタグつけてevernoteに保存ていうのが、一番便利なのかも、って……そんなの最初からノート術の人とかが提唱してたじゃん。
自分の腑に落ちるまでに時間がかかりすぎ。
とりあえず、三都の原稿の断片や、取材記録みたいなのをevernoteに放り込んでみましたが、めっちゃ便利です、涙が出そう。
それにこれ、いざとなったら労力をかけずにバルスできるよね。紙の中2記録をバルスするのは凄く大変ですが。
いろんな方面から便利なんだな。
そんな早朝、我が家のダイニングキッチンのクーラーが壊れました。排水にトラブルがあって水漏れします。
うちのオカン様がさ、オリンピック観ようと思って早起きしたら、床が水浸しだったんだって。
おいら、激怒したオカンに叩き起こされたよ。
私、なにも落ち度はなくないですか?
なんかちょっとイルスの気持ちが分かる。というか、あれも私の中で作られたものだったんだなって実感する。
「起きろよイルス、なに呑気に寝てるんだよ! 一階のエアコンが壊れてて床が水浸しだよ! オリンピック観られないじゃないか。僕が溺れ死ぬ前になんとかしろよ!」とかいう人が早朝バーンて部屋に踏み込んできても、「わかったなんとかするから喚くのはやめてくれ」程度しか言えないんだもんな。
イルスは優しいんじゃなくて、「言っても無駄だと知っている」んだということが今朝わかりました。私は自分の消耗を最小限にしたいだけでした。
ビルトインのエアコンなので、少々ややこしいです。
メーカーの24時間サポート窓口に電話したら、「修理依頼が混み合っておりますので、修理は最短でも月曜日になりますが、よろしいですか?」と言われたので、きっぱりと「いいえ」と答えてみました。
ぜひ今日お会いしたい。
駄目もとで頼んだら、修理の担当者さんが、夕方ごろに来てくれました。
言ってみるものだな……。
そういうことをやりながら、見るともなくオリンピック中継を観ました。
今後、ロンドン・オリンピックのことを思い出すたびに、天井から水が落ちてきたことも思い出すんだろうな。
ムスメは、たったの2ページしかない夏休みの絵日記(宿題)に、天井から漏水して修理のお兄さんが来たことを書くと言っていました。オリンピックのことを書いたらどうや……(かすれ声)
でも子供には、四年に一度のスポーツの祭典よりも、天井から水が降ってくることのほうが、センセーショナルだったんでしょうね。わかるんだけどね。
私としては、絵日記の題材に取り上げてもらおうと、あちこち連れていったり、家でお菓子作りをしてみたり(普段はしません)、「これはブログのネタになりそうですよね!」みたいなことを色々やってるんですが、それが全部スルーされて、まさかのエアコン漏水ネタ採用。
まあ、そんなもんですよね、人生は……。
そんなこんなも書き留める、私の手帳なんですが、ものすごく彷徨った挙句、結局「ほぼ日手帳」で落ち着きそうです。
そこに落ち着くと、糸井重里さんの思う壷みたいで、なんだか嫌というのもあり、機能上ちょっと満足できない点もあったり、毎日のお言葉コーナーがとにかく要らなかったりで、私も苦悩したんですが、結局なんだかんだでさ、ほぼ日手帳が一番使い勝手が良かったんだわ。
くやしい。
スケジュール手帳には、ほぼ日手帳WEEKSを使っています。デカくて嫌だなって思ってたのに、紙面が広くて書きやすいし、巻末のノートページが豊富なのが便利すぎるよ。
トモエリバー紙を使った他社のスケジュール手帳に替えた時期があったんですが、自分の予定と子供の予定と旦那の予定と、って書き込んでいったら、スペースが足りなくて諦めるしかなかったです。
日記は、ほぼ日手帳カズンに書いているんですが、その用途だと、マンスリーとか、バーチカルな週間予定とかのページが全然いらない。
だったら、そのページを使わなければいいだけのことなのに、どういう性格なのか、要らないページがたっぷりあることに、なんだかイライラッとします。心が狭すぎるの。
もっと日記帳っぽい製品に替えればいいんだわと思って、こてまたトモエリバー紙を使った他社の製品、ED!T(エディット)に替えた時期があったんですが、エディットの行間が自分に合わなくて気持ち悪い( ;´Д`)! 書いててストレス! 悔しい、なんで合わないの!!
そんなこんなで、ほぼ日手帳に戻っちゃったんだよ。
素直に、ほぼ日帝国の軍門に下れば、来年からラクになれると思います。
信者になるならモレスキン教のほうが自分に合いそうと最初は思ったのに、モレ紙に耐えられず。
ノートに関しては、まだ彷徨っている感じがしますが、たぶん、ほぼ日手帳WEEKSのノートページか拡張ノートで足りるんだって、悟りがひらけてきました。
ほぼ日手帳信者への道はもうゴール間近です( ;´Д`) ←なぜかツラい
あと結局便利だなって納得したのが、evernoteです。iPhoneにposteverっていうアプリ入れて、タイムスタンプ付きでポイポイ書き込みを投稿できるのが、とても便利。
デジタルのノートなんて嫌だ、紙に手書きがいいんだい! って思ってきたのに、なんでevernoteやねんて自分でもすごく思う……orz
どういう使い分けをしたらいいのか、自分でもまだ分かりませんが、紙に書いたほうが便利なことと、デジタルが便利なことがあって、併用するのがいいみたい。というのが結論みたい。
デジタルは写真を添付できたりが便利ですよね。
作品のネタとかも、ちょっとした思いつきのアイデアメモを残すには、デジタルのほうが利便性は高いのかもしれない予感。
SHOT NOTEのようなメモ帳にメモったのを、iPhoneのカメラで取り込んで、作品別のタグつけてevernoteに保存ていうのが、一番便利なのかも、って……そんなの最初からノート術の人とかが提唱してたじゃん。
自分の腑に落ちるまでに時間がかかりすぎ。
とりあえず、三都の原稿の断片や、取材記録みたいなのをevernoteに放り込んでみましたが、めっちゃ便利です、涙が出そう。
それにこれ、いざとなったら労力をかけずにバルスできるよね。紙の中2記録をバルスするのは凄く大変ですが。
いろんな方面から便利なんだな。
2012年7月27日金曜日
ラムセス
私は掃除が大嫌い。
生まれつき怠け者なのだ。
なので家を建てるとき、フローリングの床材は、黒い木にしてもらった。厳密には焦げ茶色。
ダークな床にはホコリがよく目立つ。
白い床なら「まだ平気」と目をそらす事ができても、黒い床だと無理な場合がある。
だいたい毎日ある。
朝に掃除機をかけても、夕方にはもうホコリが目立つ。ホコリは一体どこからやって来るんだろう。
きっと宇宙からよと娘はマジな目で言っていた。たぶん違うと思うが、否定するだけの証拠もない。
掃除機が重くて面倒くさいので、ダスキンのモジャモジャのフロアモップを日に何度も使う。現代版の箒みたいなもんか。そして集めたゴミは、これまたダスキンの、ゴミを吸い取る専用の電動塵取り(据え置き型)みたいなので回収する。ダスキンの人に勧められて、開発中の頃からモニターをやっていたのだが、私のようなモノグサな人には、神アイテムであった。
ラグマットだけは掃除機でないと掃除できないので、やむをえず使うが、基本的には、「掃除機を出したら負けだ」と思っている。フロアモップと、それで足りない時は、雑巾がけするんだが、母に「掃除機のほうが早いしラクじゃない?」と言われる。
そんなような気もするが、認めたら負けだと思っている。
私は掃除機が嫌いなのだ。排気が臭いしウルサイ。
娘がまだ赤ん坊だった頃に、なぜか掃除機が大嫌いで、たぶん音が怖いのだろうと思うが、掃除機のスイッチを入れると号泣しはじめる傾向があった。お互い疲れるので、脱・掃除機を選択することにした。雑巾がけするほうが案外らくだ。
それでも、二度のオイルショックを乗り越えてきた、うちのオカン様が、掃除機への信仰を決して捨てず、自分の部屋だけは掃除機で御身ずから掃除しなさるので、掃除機を処分するという無茶はできない。第一、自分自身も、ラグマット部分で困難に直面する。
それを思うと、畳っていうのは凄い。ラグマット並のクッション性能がありながら、水拭きができる。箒でもいいし、掃除機でもいい。お外でぶっ叩いてホコリを出したい場合には、ふにゃふにゃのラグマットと違って自立までする。
畳いいよね畳。
京都にはまだまだ畳の職人さんが現役でたくさんいるので、規格外のサイズでも作ってもらえそう。
でも、板張りの部屋に、部分的に畳って、平安時代とか戦国時代みたいじゃないか?
あれの合理性が、生まれて始めて実感できたな。
ところで、私は朝、まず洗濯機をスタートさせてから、同時進行で掃除をするのだが、掃除が一段落して、ちょっと休憩したいな、洗濯機が止まるまで休もう、とか思った瞬間に、洗濯機が狙い澄ましたようにピーピーピーと終了音を鳴らすので、洗濯機のことも少し憎んでいる。
バスタオルみたいなのを頭にかぶった、腰布一丁の古代エジプトの奴隷監督官みたいなオッサンが、「休むな、働けぇ!!」(鞭ビシビシ)みたいなのが脳裏をよぎる。
ムカつくので、洗濯機をラムセスと名付けた。
あたしも休みたいのよラムセス。
心でそう話しかけるが、ラムセスは「シワになる前に干せぇ奴隷どもぉ!!」(鞭ビシビシ)みたいな人である。仕方がないので、シワになる前に干す。
そして、はためく洗濯物を見ながら、これを書いているのだった。
新築する前に、うちに遊びに来て、「ダークな床ってイイね!」って参考にした友人から、ときおり、「掃除が大変なので恨んでいる」という、怨嗟のメールが来るのだが、私が悪いんじゃない。
生まれつき怠け者なのだ。
なので家を建てるとき、フローリングの床材は、黒い木にしてもらった。厳密には焦げ茶色。
ダークな床にはホコリがよく目立つ。
白い床なら「まだ平気」と目をそらす事ができても、黒い床だと無理な場合がある。
だいたい毎日ある。
朝に掃除機をかけても、夕方にはもうホコリが目立つ。ホコリは一体どこからやって来るんだろう。
きっと宇宙からよと娘はマジな目で言っていた。たぶん違うと思うが、否定するだけの証拠もない。
掃除機が重くて面倒くさいので、ダスキンのモジャモジャのフロアモップを日に何度も使う。現代版の箒みたいなもんか。そして集めたゴミは、これまたダスキンの、ゴミを吸い取る専用の電動塵取り(据え置き型)みたいなので回収する。ダスキンの人に勧められて、開発中の頃からモニターをやっていたのだが、私のようなモノグサな人には、神アイテムであった。
ラグマットだけは掃除機でないと掃除できないので、やむをえず使うが、基本的には、「掃除機を出したら負けだ」と思っている。フロアモップと、それで足りない時は、雑巾がけするんだが、母に「掃除機のほうが早いしラクじゃない?」と言われる。
そんなような気もするが、認めたら負けだと思っている。
私は掃除機が嫌いなのだ。排気が臭いしウルサイ。
娘がまだ赤ん坊だった頃に、なぜか掃除機が大嫌いで、たぶん音が怖いのだろうと思うが、掃除機のスイッチを入れると号泣しはじめる傾向があった。お互い疲れるので、脱・掃除機を選択することにした。雑巾がけするほうが案外らくだ。
それでも、二度のオイルショックを乗り越えてきた、うちのオカン様が、掃除機への信仰を決して捨てず、自分の部屋だけは掃除機で御身ずから掃除しなさるので、掃除機を処分するという無茶はできない。第一、自分自身も、ラグマット部分で困難に直面する。
それを思うと、畳っていうのは凄い。ラグマット並のクッション性能がありながら、水拭きができる。箒でもいいし、掃除機でもいい。お外でぶっ叩いてホコリを出したい場合には、ふにゃふにゃのラグマットと違って自立までする。
畳いいよね畳。
京都にはまだまだ畳の職人さんが現役でたくさんいるので、規格外のサイズでも作ってもらえそう。
でも、板張りの部屋に、部分的に畳って、平安時代とか戦国時代みたいじゃないか?
あれの合理性が、生まれて始めて実感できたな。
ところで、私は朝、まず洗濯機をスタートさせてから、同時進行で掃除をするのだが、掃除が一段落して、ちょっと休憩したいな、洗濯機が止まるまで休もう、とか思った瞬間に、洗濯機が狙い澄ましたようにピーピーピーと終了音を鳴らすので、洗濯機のことも少し憎んでいる。
バスタオルみたいなのを頭にかぶった、腰布一丁の古代エジプトの奴隷監督官みたいなオッサンが、「休むな、働けぇ!!」(鞭ビシビシ)みたいなのが脳裏をよぎる。
ムカつくので、洗濯機をラムセスと名付けた。
あたしも休みたいのよラムセス。
心でそう話しかけるが、ラムセスは「シワになる前に干せぇ奴隷どもぉ!!」(鞭ビシビシ)みたいな人である。仕方がないので、シワになる前に干す。
そして、はためく洗濯物を見ながら、これを書いているのだった。
新築する前に、うちに遊びに来て、「ダークな床ってイイね!」って参考にした友人から、ときおり、「掃除が大変なので恨んでいる」という、怨嗟のメールが来るのだが、私が悪いんじゃない。
2012年7月26日木曜日
裸ネタ
Google+でNHK海外ドラマ「シャーロック」の記事が上がっていたのに影響されて、録画して観てみた。
http://www9.nhk.or.jp/kaigai/sherlock2/
名探偵シャーロック・ホームズが現代のロンドンの人だったらという設定の、時代置き換えドラマだが、シャーロック・ホームズがすげー迷惑なお兄ちゃんで、でもオリジナル版でも実はこういう人だったな、って思えて面白い。舞台を身近な現代にすることで、シャーロックの迷惑さがより分かりやすくなったという事なのか。
一回分が長めの作品なので、観ると疲れる。なぜか異様に疲れちゃうのだが、もしかして私は推理しながら観ているのだろうか。
私は推理物全般がすごく苦手で、トリックとか犯人とか全く分からない。でも、見るのは好きなほうだ。
通常、最後に名探偵が「さて」と言うまで、「どうなるのかしら( ´ ▽ ` )ワクワク」と頭からっぽで観ているタイプなのだが。
それは考えても仕方がないからだ。
ミステリー好きの友人なんかには「それでは読む意味がない」などと説教されるが、まあいいじゃない。
だから「シャーロック」も推理などはせず、「ぼー( ´ ▽ ` )」っと観たいんだけども、ドラマの作りが観客を推理に駆り立てる上手い構造にでもなっているのか、脳が疲れる。つまりは面白いんだと思うよ。
第一シリーズの最終回の録画に失敗したんだが、そんな自分が嫌になった。なんで失敗なんかするのよ!
反省したので、第二シリーズの一回目はちゃんととれてた。
観てて、ふと思ったんだけども、イギリス人て、裸ネタ好きだよね?
エロじゃなく、一種のギャグとしての全裸シーンて、よくあるような。
多少のエロ要素もフレーバーとしては入ってんのだろうけど、基本的には出オチのギャグみたいなもんだよね、アレ。
登場人物のうちの誰が真っ裸になるかというのは、それはもう、裸だと嬉しい人なんだろうけど、キャラクター性によって、そういう人(キャラ)っているなあ、って、すごく真剣に考えながら観てる自分がいて、客観的に自分を見ると、ちょっと悲しかった。
カルテットの場合は、脱いでて一番嬉しいのって、やっぱシュレーかなと思う。だって一番ありえなさそうだし。
あとの三人は別にどうでもいいような気がする。場所にもよるけど。
アルミナだと洒落にならない気がする。ノースリーブの膝丈ワンピでもう限界な気がする。私の心が弱いのか。
同じ神殿種でも、ヴィジュレが全裸なのは、恥ずかしさのカケラも無いのに。やっぱキャラ性なのか。
三都の人たちは、ああいう話なだけに、いつ誰が全裸でも何のインパクトもない。
アキちゃんのオカンがたぶん脱いでるのに視点キャラの自主規制によって丸で見えないとか、大崎茂が四条河原で泥酔して野球拳して真っ裸で寝ていたことがあるというネタも書いたが、それはあの中で一番脱いだら困る人(オカン)とか、意外というか、正直どうでもいい人(茂ちゃん)だからネタになるんであって。
享なんか登場シーンの半分は裸な気がするし、水煙なんか100%全裸だが、それについては誰もいちいち喜びも驚きもしない。普通すぎて。
やっぱ、いかにも脱がなさそうな人が突然裸だから面白いんだよな、と思った。裸がタブーだから面白いんだ。
裸がタブーかどうかはキャラ性もあるけど、文化的なものもあるので、裸がタブー視されてない文化の中にいる人が脱いでても、特にこれといったインパクト(エロとか笑いとか)がないんだよね。
イルスなんか実家の近辺では上半身裸くらいは日常的にあっただろうし(暑いし海辺だから)、パンツ一丁で寝てても許せるが、シュレーがパンツ一丁で寝てたら、この世の終わりだみたいな気がするから不思議だ。
作者もいろいろと気をつかうなあ。
最近、京都も暑いので、ハト屋敷のはだか仙人は、絶賛トランクス一丁だけど、もう慣れすぎて普通に立ち話できるもん。慣れって凄いよね。
周囲の人たちも、実は私が当初思っていたほどには、はだか仙人を意識してないんじゃないかという気がしてきた。「そういう人」として普通に付き合ってそうな気がする。
最近、おじいちゃん、トランクスにベルト締めてるんだけど、それってファッション? いろいろと無茶なんだけど。
人間て、ほんと、なんにでも慣れるよね。
http://www9.nhk.or.jp/kaigai/sherlock2/
名探偵シャーロック・ホームズが現代のロンドンの人だったらという設定の、時代置き換えドラマだが、シャーロック・ホームズがすげー迷惑なお兄ちゃんで、でもオリジナル版でも実はこういう人だったな、って思えて面白い。舞台を身近な現代にすることで、シャーロックの迷惑さがより分かりやすくなったという事なのか。
一回分が長めの作品なので、観ると疲れる。なぜか異様に疲れちゃうのだが、もしかして私は推理しながら観ているのだろうか。
私は推理物全般がすごく苦手で、トリックとか犯人とか全く分からない。でも、見るのは好きなほうだ。
通常、最後に名探偵が「さて」と言うまで、「どうなるのかしら( ´ ▽ ` )ワクワク」と頭からっぽで観ているタイプなのだが。
それは考えても仕方がないからだ。
ミステリー好きの友人なんかには「それでは読む意味がない」などと説教されるが、まあいいじゃない。
だから「シャーロック」も推理などはせず、「ぼー( ´ ▽ ` )」っと観たいんだけども、ドラマの作りが観客を推理に駆り立てる上手い構造にでもなっているのか、脳が疲れる。つまりは面白いんだと思うよ。
第一シリーズの最終回の録画に失敗したんだが、そんな自分が嫌になった。なんで失敗なんかするのよ!
反省したので、第二シリーズの一回目はちゃんととれてた。
観てて、ふと思ったんだけども、イギリス人て、裸ネタ好きだよね?
エロじゃなく、一種のギャグとしての全裸シーンて、よくあるような。
多少のエロ要素もフレーバーとしては入ってんのだろうけど、基本的には出オチのギャグみたいなもんだよね、アレ。
登場人物のうちの誰が真っ裸になるかというのは、それはもう、裸だと嬉しい人なんだろうけど、キャラクター性によって、そういう人(キャラ)っているなあ、って、すごく真剣に考えながら観てる自分がいて、客観的に自分を見ると、ちょっと悲しかった。
カルテットの場合は、脱いでて一番嬉しいのって、やっぱシュレーかなと思う。だって一番ありえなさそうだし。
あとの三人は別にどうでもいいような気がする。場所にもよるけど。
アルミナだと洒落にならない気がする。ノースリーブの膝丈ワンピでもう限界な気がする。私の心が弱いのか。
同じ神殿種でも、ヴィジュレが全裸なのは、恥ずかしさのカケラも無いのに。やっぱキャラ性なのか。
三都の人たちは、ああいう話なだけに、いつ誰が全裸でも何のインパクトもない。
アキちゃんのオカンがたぶん脱いでるのに視点キャラの自主規制によって丸で見えないとか、大崎茂が四条河原で泥酔して野球拳して真っ裸で寝ていたことがあるというネタも書いたが、それはあの中で一番脱いだら困る人(オカン)とか、意外というか、正直どうでもいい人(茂ちゃん)だからネタになるんであって。
享なんか登場シーンの半分は裸な気がするし、水煙なんか100%全裸だが、それについては誰もいちいち喜びも驚きもしない。普通すぎて。
やっぱ、いかにも脱がなさそうな人が突然裸だから面白いんだよな、と思った。裸がタブーだから面白いんだ。
裸がタブーかどうかはキャラ性もあるけど、文化的なものもあるので、裸がタブー視されてない文化の中にいる人が脱いでても、特にこれといったインパクト(エロとか笑いとか)がないんだよね。
イルスなんか実家の近辺では上半身裸くらいは日常的にあっただろうし(暑いし海辺だから)、パンツ一丁で寝てても許せるが、シュレーがパンツ一丁で寝てたら、この世の終わりだみたいな気がするから不思議だ。
作者もいろいろと気をつかうなあ。
最近、京都も暑いので、ハト屋敷のはだか仙人は、絶賛トランクス一丁だけど、もう慣れすぎて普通に立ち話できるもん。慣れって凄いよね。
周囲の人たちも、実は私が当初思っていたほどには、はだか仙人を意識してないんじゃないかという気がしてきた。「そういう人」として普通に付き合ってそうな気がする。
最近、おじいちゃん、トランクスにベルト締めてるんだけど、それってファッション? いろいろと無茶なんだけど。
人間て、ほんと、なんにでも慣れるよね。
2012年7月23日月曜日
虹の角度
頭をよぎる事は多々あれど、どれも他愛もないので、わざわざ書くのを躊躇います。
ここ何ヶ月か、体調ヘロヘロだったせいで、ずっと書いていたアナログの日記も、筆が止まったままでしたが、それをまた書き始めました。
始めは、一行、二行から。それすら、しんどいと思っていたんですが、段々と慣れて、ほぼ日手帳カズンの一頁をびっしり埋めるまでになりました。よくも、しょーもない事ばかり書けるもんだと、我ながら感心します。
書くことというのは、慣れだというのは、本当かもしれません。毎日書く事で弾みのつくものです。
じゃあやっぱブログも原稿も、慣れだし、習慣だろうと思うので、再び書き慣れるところから。
ブランクが空いたせいで、どうも、不特定多数の人前で書くというのが、ピンとこなくなっています。
「書いてどうするの?」とポカーンてなってるんですが、別にどうもしなくていいですよね。ただ書けば。
というわけで、日々頭をよぎる由なしごとをテキトーに書こうと思います。暇つぶしにでも読んでいただけると、私は楽しいです。
◆虹の角度
毎朝、娘と植木に水をやります。今は朝顔とかです。
シャワーノズルで水をまくと、天気の良い日には小さな虹が見えることがあります。
しかし、それにもコツがあり、ちょうどいい角度で散水しないと、虹が出ません。
ムスメは日々、虹の角度について研究しています。
私が割合に簡単に虹を作るのを見ると、娘は「大人ってすごい」とびっくりしたり、虹作りスキルの差に呆然としたりします。
自分でも成功すると、大変嬉しいようです。
私も、虹を出すのに成功すると、ちょっとは嬉しいんですが、ちょびっとだけです。うちの子供が感じているほどの驚嘆や狂喜は感じていません。
彼女が感じているものは、いわゆるセンス・オブ・ワンダーというもので、SFファンタジーの創作者にとって、もっとも必要不可欠と言われているものだと思います。
それが子供には潤沢にあり、私にはちょびっとしかないわけですが、すごいなと思います。
すごいなと思ったことを、その場で口に出すという性癖も、子供ならではのものと思いますが、すごいのだと思います。
子供が些細なことにいちいちびっくりするのに、私もいちいちびっくりしていますが、本人に面と向かってそれを褒めるって事は、あんまりしてないかもしれません。
大人って、ボーッとしてるんです。
虹の角度を瞬時に作れるスキルを獲得するのと引き換えに、何かを失っているのだろうと思いますが、それだと、せっかくのスキルも意味がありません。
日々、驚嘆する事について、子供からラーニングしています。
◆風鈴の価値について
自宅にあった古い雑誌を何気なく眺めたら、江戸時代の風鈴について書いてありました。
初期の風鈴は、魔除けや、福を呼び込むものとして作られ、使用されたので、夏だけでなく通年吊るしてあったとのこと。
しかし、当時は高価な代物で、お金持ちの家にしかなかったとのこと。今の経済観念に照らすと、だいたい400万円ぐらいするものだったんだって。
でもですよ。江戸の風物詩として、「風鈴売り」というのを描いてあるのを、見たことがある気がします。
天秤棒の両端に、棚のようなものを吊るして、風鈴をたくさんぶら下げたものを、担いで売り歩くというものです。
一個400万円相当もするものを、そんな様式で売ったりするでしょうか。考えられません。
江戸期というのは長いので、始めは400万円くらいする高価だったものが、技術革新か何かにより、庶民派アイテムとなっていったって事なんでしょうか。気になる割に調べていません。近いうちに調べてみようと思います。何の役にも立たない知識ですが。一度気になりだすと気になって仕方ないです。病気でしょうか。
今や風鈴は100均でも売ってますからね。それを思うと凄いです。
◆ブラコンについて考える
朝、歯を磨きながら、ブラコンについて考えました。
少女にとって、兄というのは、特に、現実には兄がいない少女にとっての空想上の兄というのは、一種の妖精のように、都合のいい生き物なんじゃないかと。
兄なので男であるが、血縁者なので原則、性交渉を強いない。それでいて同居の身内であり、何かあると頼れる、守ってくれる男である。
しかも、男であることは確かなので、ストーリー的な都合や萌えで、性交渉(もしくは恋愛)をする要求が高まれば、それも不可能ではない。
しかしそれは禁忌である。
つまり少女(読者または作者)の一方的な自己都合により、手綱を緩めたり締めたりして、「私がしたければするが、お前はしたくても我慢しろ」という扱いが可能な相手であり、女にとって最も都合のいいポジションに置ける。だから嬉しい、というような仕組みかと。
でも、それはあくまで少女向けのフィクションにおける流儀であって、現実に兄がいるブラコンではない少女に問えば、1秒間に100くらいの反論やツッコミや兄の悪口が言えるものであることも確かだと思われる。
現実というのは、誰にとっても常に都合が悪いものです。その鬱憤を晴らすためにフィクションがあるとすれば、少女にとって旨味のある話こそが正義と言えるでしょう。フェアである必要なんか全然ありませんね。
そういうことが突然、悟れました。歯磨き粉に何か特殊な成分でも入っていたんでしょうか。
他にも様々な、しょうもない事を書こうと思ったんですが、疲れたのでこの辺で。もう十分だろうという気がしなくもないです。
ここ何ヶ月か、体調ヘロヘロだったせいで、ずっと書いていたアナログの日記も、筆が止まったままでしたが、それをまた書き始めました。
始めは、一行、二行から。それすら、しんどいと思っていたんですが、段々と慣れて、ほぼ日手帳カズンの一頁をびっしり埋めるまでになりました。よくも、しょーもない事ばかり書けるもんだと、我ながら感心します。
書くことというのは、慣れだというのは、本当かもしれません。毎日書く事で弾みのつくものです。
じゃあやっぱブログも原稿も、慣れだし、習慣だろうと思うので、再び書き慣れるところから。
ブランクが空いたせいで、どうも、不特定多数の人前で書くというのが、ピンとこなくなっています。
「書いてどうするの?」とポカーンてなってるんですが、別にどうもしなくていいですよね。ただ書けば。
というわけで、日々頭をよぎる由なしごとをテキトーに書こうと思います。暇つぶしにでも読んでいただけると、私は楽しいです。
◆虹の角度
毎朝、娘と植木に水をやります。今は朝顔とかです。
シャワーノズルで水をまくと、天気の良い日には小さな虹が見えることがあります。
しかし、それにもコツがあり、ちょうどいい角度で散水しないと、虹が出ません。
ムスメは日々、虹の角度について研究しています。
私が割合に簡単に虹を作るのを見ると、娘は「大人ってすごい」とびっくりしたり、虹作りスキルの差に呆然としたりします。
自分でも成功すると、大変嬉しいようです。
私も、虹を出すのに成功すると、ちょっとは嬉しいんですが、ちょびっとだけです。うちの子供が感じているほどの驚嘆や狂喜は感じていません。
彼女が感じているものは、いわゆるセンス・オブ・ワンダーというもので、SFファンタジーの創作者にとって、もっとも必要不可欠と言われているものだと思います。
それが子供には潤沢にあり、私にはちょびっとしかないわけですが、すごいなと思います。
すごいなと思ったことを、その場で口に出すという性癖も、子供ならではのものと思いますが、すごいのだと思います。
子供が些細なことにいちいちびっくりするのに、私もいちいちびっくりしていますが、本人に面と向かってそれを褒めるって事は、あんまりしてないかもしれません。
大人って、ボーッとしてるんです。
虹の角度を瞬時に作れるスキルを獲得するのと引き換えに、何かを失っているのだろうと思いますが、それだと、せっかくのスキルも意味がありません。
日々、驚嘆する事について、子供からラーニングしています。
◆風鈴の価値について
自宅にあった古い雑誌を何気なく眺めたら、江戸時代の風鈴について書いてありました。
初期の風鈴は、魔除けや、福を呼び込むものとして作られ、使用されたので、夏だけでなく通年吊るしてあったとのこと。
しかし、当時は高価な代物で、お金持ちの家にしかなかったとのこと。今の経済観念に照らすと、だいたい400万円ぐらいするものだったんだって。
でもですよ。江戸の風物詩として、「風鈴売り」というのを描いてあるのを、見たことがある気がします。
天秤棒の両端に、棚のようなものを吊るして、風鈴をたくさんぶら下げたものを、担いで売り歩くというものです。
一個400万円相当もするものを、そんな様式で売ったりするでしょうか。考えられません。
江戸期というのは長いので、始めは400万円くらいする高価だったものが、技術革新か何かにより、庶民派アイテムとなっていったって事なんでしょうか。気になる割に調べていません。近いうちに調べてみようと思います。何の役にも立たない知識ですが。一度気になりだすと気になって仕方ないです。病気でしょうか。
今や風鈴は100均でも売ってますからね。それを思うと凄いです。
◆ブラコンについて考える
朝、歯を磨きながら、ブラコンについて考えました。
少女にとって、兄というのは、特に、現実には兄がいない少女にとっての空想上の兄というのは、一種の妖精のように、都合のいい生き物なんじゃないかと。
兄なので男であるが、血縁者なので原則、性交渉を強いない。それでいて同居の身内であり、何かあると頼れる、守ってくれる男である。
しかも、男であることは確かなので、ストーリー的な都合や萌えで、性交渉(もしくは恋愛)をする要求が高まれば、それも不可能ではない。
しかしそれは禁忌である。
つまり少女(読者または作者)の一方的な自己都合により、手綱を緩めたり締めたりして、「私がしたければするが、お前はしたくても我慢しろ」という扱いが可能な相手であり、女にとって最も都合のいいポジションに置ける。だから嬉しい、というような仕組みかと。
でも、それはあくまで少女向けのフィクションにおける流儀であって、現実に兄がいるブラコンではない少女に問えば、1秒間に100くらいの反論やツッコミや兄の悪口が言えるものであることも確かだと思われる。
現実というのは、誰にとっても常に都合が悪いものです。その鬱憤を晴らすためにフィクションがあるとすれば、少女にとって旨味のある話こそが正義と言えるでしょう。フェアである必要なんか全然ありませんね。
そういうことが突然、悟れました。歯磨き粉に何か特殊な成分でも入っていたんでしょうか。
他にも様々な、しょうもない事を書こうと思ったんですが、疲れたのでこの辺で。もう十分だろうという気がしなくもないです。
2012年7月20日金曜日
課題図書とkobo touch
某ゆうりさんが先だってkobo touchを注文なさったというので、羨ましすぎて、私も注文していました。
昨日、届いたのだけど、うちではまだ未開封です。初期設定を夜中に妖精さんがやっておいてくれたらいいのに。
近いうちにやります。
こういうデバイスで読みたい電子本は、私の場合は、漫画かもしれません。
長編の漫画をがっつり読みたいんだけど、コミック本は本棚で場所をとるし。私は基本、漫画は永久保存版にはしないので、読んだら処分します。したくなくても、置き場がなくなっちゃうので。
活字本は漫画ほどには場所をとらないけど、長い目で見ると、結局は置き場に困って処分してるから……。
みんな電子本になってしまえばいい!
紙の本が好きですが、背に腹はかえられない何かがある。(主に本棚の空き容量にある何か)
私が早急に本棚の空き容量を増やさねばならん理由は、子供にあります。
このところ、識字率を急激にUPさせた我が子が、読書するようになりました。
蔵書がジワジワ増えています。
「なつやすみのもくひょう」には昨日、「ほんをたくさんよみたい」と書いていました。
ムスメもそろそろ、自分用の書架をもっと割り当てられてもいい頃でしょう。
でも家が広くなるわけじゃないから。それに、うちの作り付けの本棚はもう満タンです。私の蔵書を処分するしかあるまい。
子供はなんとなく、アナログの本を読んだほうがいいような気がするので、現実の本棚は子供に回して、自分の本はもう読めりゃいいし電子本がいいなという割り切り方をしたいです。
問題は、それを日本の出版界が受け止めてくれるかだが。
よろしくお願いします。
この夏の課題図書と推薦図書(京都市)
http://www.kyotocitylib.jp/kadai.html
子供の頃、私は読書感想文て、大っ嫌いでした。嘘を書かないといけなかったからです。
読んで、感じたとおりのことを、ただストレートに書くと、いい評価がもらえないので、いつも模範回答みたいなのを創作してました。
そういうのって、あまり良いことじゃなかったですね。嘘だから。
でも子供だって、本音と建前があるんですよね。それを使い分けた時から、少しずつ、大人になっていくんだと思いますが、それでいくと多少なりと大人になった人間が書く文章としては、水増しや嘘偽りのないことが、面白みや値打ちになるのではという気がします。
だって嘘を書くほうが簡単だから。
嘘なら小学生だって書けるから。
でも、嘘だと、読んでもつまんないですよね。なんとなくね。どこかに本当の部分がないとね。
夏休み前に、学校で保護者と担任教師の個人面談があるんですが、そこで、うちのムスメの書く文章が独創的で良いと先生に褒められました。
その場では、「あらそうですか? 気づきませんでした。きっと先生のご指導がよかったんですね」などと営業スマイルで答えましたが、その日の夜に子供が寝てから一人で思い返して、ものすごニヤニヤしました。
親ってバカよね!
たぶん先生もお見通しなんだと思うよ。だって向こうはそういう親を何百人と相手にしてきたプロなんだもんね。
なにやら微笑ましいです。
先生もそのように保護者にリップサービスしたりして、こまめに頑張ってくださってますが、客っちゅうのは、そういうサービスはあって当然みたいに無頓着になりがちです。
本当は、そういうところもきちんと評価しないといけないよね。他人の努力はタダじゃないから。
おしなべて良い一学期でした。非常に満足しています。
ただひとつだけ、夏休みが私が小学生の時より短いのです。皆さんはご存知かもですが、8月の第3週ぐらいで終わっちゃうんです。
ムスメに「いまの子はお休み短くて可哀想ね」って何気に言ったら、「昔の人みたいに休んでばかりいると、頭がわるくなっちゃうから、それでいいんだよ」って気の毒そうに言われました。
ばっ、ばかじゃないもんΣ(゚д゚lll)!
昭和っ子だってちゃんと勉強してたもん! 土曜日だって学校に行ってたんやで! 学力の国際順位だってな、高かったんやで! 受験戦争とかな、大変やったんや!
だいたい夏休みはな、8がつ31にちまであるもんなんや……あるべきだ!
そんな一週間そこらでアホになったりしてたまるかい!!
などと、いろいろ思いましたが、大人なので我慢しました。
時代の移り変わりですよね(棒)
昨日、届いたのだけど、うちではまだ未開封です。初期設定を夜中に妖精さんがやっておいてくれたらいいのに。
近いうちにやります。
こういうデバイスで読みたい電子本は、私の場合は、漫画かもしれません。
長編の漫画をがっつり読みたいんだけど、コミック本は本棚で場所をとるし。私は基本、漫画は永久保存版にはしないので、読んだら処分します。したくなくても、置き場がなくなっちゃうので。
活字本は漫画ほどには場所をとらないけど、長い目で見ると、結局は置き場に困って処分してるから……。
みんな電子本になってしまえばいい!
紙の本が好きですが、背に腹はかえられない何かがある。(主に本棚の空き容量にある何か)
私が早急に本棚の空き容量を増やさねばならん理由は、子供にあります。
このところ、識字率を急激にUPさせた我が子が、読書するようになりました。
蔵書がジワジワ増えています。
「なつやすみのもくひょう」には昨日、「ほんをたくさんよみたい」と書いていました。
ムスメもそろそろ、自分用の書架をもっと割り当てられてもいい頃でしょう。
でも家が広くなるわけじゃないから。それに、うちの作り付けの本棚はもう満タンです。私の蔵書を処分するしかあるまい。
子供はなんとなく、アナログの本を読んだほうがいいような気がするので、現実の本棚は子供に回して、自分の本はもう読めりゃいいし電子本がいいなという割り切り方をしたいです。
問題は、それを日本の出版界が受け止めてくれるかだが。
よろしくお願いします。
この夏の課題図書と推薦図書(京都市)
http://www.kyotocitylib.jp/kadai.html
子供の頃、私は読書感想文て、大っ嫌いでした。嘘を書かないといけなかったからです。
読んで、感じたとおりのことを、ただストレートに書くと、いい評価がもらえないので、いつも模範回答みたいなのを創作してました。
そういうのって、あまり良いことじゃなかったですね。嘘だから。
でも子供だって、本音と建前があるんですよね。それを使い分けた時から、少しずつ、大人になっていくんだと思いますが、それでいくと多少なりと大人になった人間が書く文章としては、水増しや嘘偽りのないことが、面白みや値打ちになるのではという気がします。
だって嘘を書くほうが簡単だから。
嘘なら小学生だって書けるから。
でも、嘘だと、読んでもつまんないですよね。なんとなくね。どこかに本当の部分がないとね。
夏休み前に、学校で保護者と担任教師の個人面談があるんですが、そこで、うちのムスメの書く文章が独創的で良いと先生に褒められました。
その場では、「あらそうですか? 気づきませんでした。きっと先生のご指導がよかったんですね」などと営業スマイルで答えましたが、その日の夜に子供が寝てから一人で思い返して、ものすごニヤニヤしました。
親ってバカよね!
たぶん先生もお見通しなんだと思うよ。だって向こうはそういう親を何百人と相手にしてきたプロなんだもんね。
なにやら微笑ましいです。
先生もそのように保護者にリップサービスしたりして、こまめに頑張ってくださってますが、客っちゅうのは、そういうサービスはあって当然みたいに無頓着になりがちです。
本当は、そういうところもきちんと評価しないといけないよね。他人の努力はタダじゃないから。
おしなべて良い一学期でした。非常に満足しています。
ただひとつだけ、夏休みが私が小学生の時より短いのです。皆さんはご存知かもですが、8月の第3週ぐらいで終わっちゃうんです。
ムスメに「いまの子はお休み短くて可哀想ね」って何気に言ったら、「昔の人みたいに休んでばかりいると、頭がわるくなっちゃうから、それでいいんだよ」って気の毒そうに言われました。
ばっ、ばかじゃないもんΣ(゚д゚lll)!
昭和っ子だってちゃんと勉強してたもん! 土曜日だって学校に行ってたんやで! 学力の国際順位だってな、高かったんやで! 受験戦争とかな、大変やったんや!
だいたい夏休みはな、8がつ31にちまであるもんなんや……あるべきだ!
そんな一週間そこらでアホになったりしてたまるかい!!
などと、いろいろ思いましたが、大人なので我慢しました。
時代の移り変わりですよね(棒)
2012年7月17日火曜日
手抜きアルバム
子供のアルバム作るの大変なんです。
親ばかすぎて、アホほど写真を撮ってしまいます。
デジカメですから、撮ったデータを全部、アルバムにするということはなく、記録メディアに保存したりするだけですが、見てニヤニヤする用のアルバムも作るんです。
それが楽しいけど、作るのは面倒くさい。何より時間がかかります。このところサボってばかりだよ。
でも最近、それもiPhoneのアプリでできるって気づきました。いろんな写真加工アプリがあるんですね。
写真はFrameUrLifeっていうアプリで作ったサンプルです。あっという間にできたよ。
写ってるのは、先斗町にいた自由猫。
もうずいぶん前に撮ったものなので、とっくに成猫になっているでしょう。
あり合わせですが、他に無難な画像がなかったもんで。
こういうふうなアルバムを、アナログで作ってたんですが、デジタルらくだな~。
これいいね~ってムスメに見せたら、「そうだねー! でも紙のやつのほうが楽しいね!」って、やんわり牽制球を投げられました。
やっぱ子供はアナログのほうが好きか。
でもこれ手軽で楽しいです。
ブログやSNSにアップロードする用の写真を、こういうアプリで盛り盛りデコる人もいるんだってね。
そういう用途ならスマホがあれば足りるなあ。Photoshop起動したところでスキルがない私のような人には特に。
便利な時代になったものです。
でも、子供が成長して独立する時に、アルバムがevernoteの中だよっていう場合、どないすんのやろ。
オカンのアカウントと共有設定するの?
それとも子供の写真ていうのは、本人所有のデータではなく、親の持ち物ですかね?
私も自分のアルバムは実家に置いていったものなあ。
持っていく人もいるでしょうけども。皆さんはどうですか?
とにかく、このデジタルデバイス全盛の時代、子供の写真や動画は、ものすごい量あります。大人の人だって、携帯やデジカメで日々大量のデータを撮ってますよね。
それを皆さんはどうしてるんだろう。
オンラインストレージに全文突っ込んでおく?
難しいところだなあ。
今、うちの荷物を片付けていて、自分がリアルに中二だったころの原稿とかの始末に困っているので、サクッと消せるデジタルデータはいいよね……と、視線が遠いです。
アナログのものの実在感てすごいね。逃げられない感じがするね。
とにかくこれを自分の死後に遺すのはまずい、非常にまずいっていう思いを噛みしめています。
人間五十年。そろそろ証拠隠滅を図るべき時期にきてるよね、あたくし。
ドリームは脳内とサイトとevernoteにあれば十分だよ。
親ばかすぎて、アホほど写真を撮ってしまいます。
デジカメですから、撮ったデータを全部、アルバムにするということはなく、記録メディアに保存したりするだけですが、見てニヤニヤする用のアルバムも作るんです。
それが楽しいけど、作るのは面倒くさい。何より時間がかかります。このところサボってばかりだよ。
でも最近、それもiPhoneのアプリでできるって気づきました。いろんな写真加工アプリがあるんですね。
写真はFrameUrLifeっていうアプリで作ったサンプルです。あっという間にできたよ。
写ってるのは、先斗町にいた自由猫。
もうずいぶん前に撮ったものなので、とっくに成猫になっているでしょう。
あり合わせですが、他に無難な画像がなかったもんで。
こういうふうなアルバムを、アナログで作ってたんですが、デジタルらくだな~。
これいいね~ってムスメに見せたら、「そうだねー! でも紙のやつのほうが楽しいね!」って、やんわり牽制球を投げられました。
やっぱ子供はアナログのほうが好きか。
でもこれ手軽で楽しいです。
ブログやSNSにアップロードする用の写真を、こういうアプリで盛り盛りデコる人もいるんだってね。
そういう用途ならスマホがあれば足りるなあ。Photoshop起動したところでスキルがない私のような人には特に。
便利な時代になったものです。
でも、子供が成長して独立する時に、アルバムがevernoteの中だよっていう場合、どないすんのやろ。
オカンのアカウントと共有設定するの?
それとも子供の写真ていうのは、本人所有のデータではなく、親の持ち物ですかね?
私も自分のアルバムは実家に置いていったものなあ。
持っていく人もいるでしょうけども。皆さんはどうですか?
とにかく、このデジタルデバイス全盛の時代、子供の写真や動画は、ものすごい量あります。大人の人だって、携帯やデジカメで日々大量のデータを撮ってますよね。
それを皆さんはどうしてるんだろう。
オンラインストレージに全文突っ込んでおく?
難しいところだなあ。
今、うちの荷物を片付けていて、自分がリアルに中二だったころの原稿とかの始末に困っているので、サクッと消せるデジタルデータはいいよね……と、視線が遠いです。
アナログのものの実在感てすごいね。逃げられない感じがするね。
とにかくこれを自分の死後に遺すのはまずい、非常にまずいっていう思いを噛みしめています。
人間五十年。そろそろ証拠隠滅を図るべき時期にきてるよね、あたくし。
ドリームは脳内とサイトとevernoteにあれば十分だよ。
いろいろメモ
■ノートアプリ
このiPad用のアプリはイメージワークしたりする時に紙のノートの代わりにならないだろうか。
「Penultimateってこんな感じのアプリ」
http://rashita.net/blog/?p=7933
うーん。でもやっぱ紙に手書きに優るものはないような気もするので、SHOT NOTEに手書きしたものを、iPhoneのカメラで撮って、evernoteに保管しておく方が便利かな?
■みんなのうた
ムスメがテレビで「みんなのうた」を見て、「ムーンフェスタ」という歌を気に入って歌い踊っていたので、よく見ると、梶浦由記さんの作詞作曲だった。
http://cgi2.nhk.or.jp/minna/search/index.cgi?id=MIN201206_03
曲も素敵ですし、アニメーションも素敵です。
子供の頃に好きだった「みんなのうた」の曲って、大人になってもずっと心に残っているように思います。うちのムスメにとってはそれが梶浦さんの曲か。なんだか凄いことだな。
■snapspeed
新しくしたTEAR DROP.トップページの写真は、iPhoneのカメラで撮ったのを、snapspeedというアプリで加工したものです。
iPhoneだけで、いろいろできちゃうんだなあ。便利です。
このiPad用のアプリはイメージワークしたりする時に紙のノートの代わりにならないだろうか。
「Penultimateってこんな感じのアプリ」
http://rashita.net/blog/?p=7933
うーん。でもやっぱ紙に手書きに優るものはないような気もするので、SHOT NOTEに手書きしたものを、iPhoneのカメラで撮って、evernoteに保管しておく方が便利かな?
■みんなのうた
ムスメがテレビで「みんなのうた」を見て、「ムーンフェスタ」という歌を気に入って歌い踊っていたので、よく見ると、梶浦由記さんの作詞作曲だった。
http://cgi2.nhk.or.jp/minna/search/index.cgi?id=MIN201206_03
曲も素敵ですし、アニメーションも素敵です。
子供の頃に好きだった「みんなのうた」の曲って、大人になってもずっと心に残っているように思います。うちのムスメにとってはそれが梶浦さんの曲か。なんだか凄いことだな。
■snapspeed
新しくしたTEAR DROP.トップページの写真は、iPhoneのカメラで撮ったのを、snapspeedというアプリで加工したものです。
iPhoneだけで、いろいろできちゃうんだなあ。便利です。
ドアだけ開けました
本館TEAR DROP.のドアだけ開けてみました。
でも結局、「休止中」って書いてあるし。
更新した意味があるのでしょうか。
もう今さらか……。
カルテットの習作BL番外は、今後は乙女堂のほうに置こうと思って、txt版のリンクを外しました。
たぶんもうBL修行する余裕はないと思ったので。
昔から、BL向いてるんじゃないかというお話は折にふれて人から言われ、自分でも「そうかも! 練習したら書けるかも!」なんて思ってきたけど、実は全然向いてはいなかったのではないかと最近では思います。
だって書けてないよね? なんかちがうよね?
今後は、ジャンルとか方向性とか深く考えず、書けるものを適当に書いていきます。(振り出しに戻る)
なんか難しいですよねBL。よく分からんです。
そもそも、本当に向いてたら、誰かに言われるまでもなく、最初から自分で好んで書いてるんじゃないかという気がしなくもなく。今の時点で「よく分からない」とかいうのは、結局よく分かってないからじゃないのかな。
また思い出したように「わかった! きっとこうだよね!」みたいなのを発作的に書いて出してくるかもしれませんが(たぶん乙女堂で)、読んで下さった方は、「そうだよ!」とか「それじゃない!」とか教えてやってください。きっとまた「えっ? えっ?」って目が泳いでいる椎堂さんが見られます。
基本的にスイカ割り状態です。
それはともかく。本館の運営だけでも全然できていない有様なので。
当面はTEAR DROP.です。
Web拍手も、時々押してくださる方もいらして、励みになるので、置いておきたいのだけど、お礼画面を作ってから設置させてもらおうかと思います。
小説掲載ページのHTMLも、白紙に文章だけのやつでいいから作りたいなあ。
やはりWeb版てあったほうが読みやすいですよね。
そうでもないのかな。スマホで読む人には、いっそtxt版のほうが便利かもしれないとは思うのですが。
とりあえずはtxt版のままで敢行。不便で済みません。
でも結局、「休止中」って書いてあるし。
更新した意味があるのでしょうか。
もう今さらか……。
カルテットの習作BL番外は、今後は乙女堂のほうに置こうと思って、txt版のリンクを外しました。
たぶんもうBL修行する余裕はないと思ったので。
昔から、BL向いてるんじゃないかというお話は折にふれて人から言われ、自分でも「そうかも! 練習したら書けるかも!」なんて思ってきたけど、実は全然向いてはいなかったのではないかと最近では思います。
だって書けてないよね? なんかちがうよね?
今後は、ジャンルとか方向性とか深く考えず、書けるものを適当に書いていきます。(振り出しに戻る)
なんか難しいですよねBL。よく分からんです。
そもそも、本当に向いてたら、誰かに言われるまでもなく、最初から自分で好んで書いてるんじゃないかという気がしなくもなく。今の時点で「よく分からない」とかいうのは、結局よく分かってないからじゃないのかな。
また思い出したように「わかった! きっとこうだよね!」みたいなのを発作的に書いて出してくるかもしれませんが(たぶん乙女堂で)、読んで下さった方は、「そうだよ!」とか「それじゃない!」とか教えてやってください。きっとまた「えっ? えっ?」って目が泳いでいる椎堂さんが見られます。
基本的にスイカ割り状態です。
それはともかく。本館の運営だけでも全然できていない有様なので。
当面はTEAR DROP.です。
Web拍手も、時々押してくださる方もいらして、励みになるので、置いておきたいのだけど、お礼画面を作ってから設置させてもらおうかと思います。
小説掲載ページのHTMLも、白紙に文章だけのやつでいいから作りたいなあ。
やはりWeb版てあったほうが読みやすいですよね。
そうでもないのかな。スマホで読む人には、いっそtxt版のほうが便利かもしれないとは思うのですが。
とりあえずはtxt版のままで敢行。不便で済みません。
2012年7月16日月曜日
祇園祭です
元気になったつもりが、期待したほど元気でなく、日常生活だけで一杯一杯になっています。前回の記事から、あれよあれよという間に、ずいぶん日数が経ってしまいました。
京都では祇園祭真っ盛りです。
例年なら、宵山には嬉しげに出かけていくんですが、人混みが苦手なので、今年はやめておきました。明日はテレビで山鉾巡行を見ようかなと思います。
サイトのドアだけでも開けようかと、データを作ったりしていたんですが、公開しそびれました。
今の調子ですと、結局、当分は活動休止じゃないのかなと、自分で自分にがっかりしています。
どうしたもんでしょうか。悩みますが。
やめたいとは思わないので、マイペースでのろのろやっていくしかありません。
拍手や励ましのメッセージを送ってくださった方々、ありがとうございました。とても嬉しく拝見しています。
あまりにもご期待に添えないので、申し訳ないです。
今はとりあえず日常生活を頑張ろうかと思います。ブログで近況報告がてら、しょうもない記事はちらほら書くと思います。「俺、生きてるぜ」みたいなのを。すごくしょうもないので自分でも引くんじゃないかと躊躇しますが、心が折れない程度にやります。
近頃、Twitter離れが激しいです。
TL酔いみたいなのがあるのか、見るのに案外と体力がいるようで、流れを追うのが無理になってしまい、すっかりご無沙汰です。
しばらくは引きこもりで。
手書きの日記というか雑記を書くのも、しんどくて筆が重くなりました。スマイソン買った割に、ノートの持ち腐れです。どんだけヘタレてんのか。
iPhoneでプチプチ打つのは比較的、平気のようなので、evernoteを使ってみています。
ずいぶん前にアカウントを取って、どう使うのかピンとこなくて放置でしたが、雑記帳として使おうと思いたち、iPhoneのPostEverというアプリを導入しました。
このアプリだと、ひとりっきりのTwitterみたいな感じでevernoteに投稿できるので、日常の記録や思いつきをプチプチ書き残しています。備忘録にいいですね。
iPhoneだと、ごろ寝してても書けるので。ヘタレてても何とかなるようです。
iPhoneというか、スマホすごいなと、つくづく思います。すごさが私にも段々わかってきた。
京都では祇園祭真っ盛りです。
例年なら、宵山には嬉しげに出かけていくんですが、人混みが苦手なので、今年はやめておきました。明日はテレビで山鉾巡行を見ようかなと思います。
サイトのドアだけでも開けようかと、データを作ったりしていたんですが、公開しそびれました。
今の調子ですと、結局、当分は活動休止じゃないのかなと、自分で自分にがっかりしています。
どうしたもんでしょうか。悩みますが。
やめたいとは思わないので、マイペースでのろのろやっていくしかありません。
拍手や励ましのメッセージを送ってくださった方々、ありがとうございました。とても嬉しく拝見しています。
あまりにもご期待に添えないので、申し訳ないです。
今はとりあえず日常生活を頑張ろうかと思います。ブログで近況報告がてら、しょうもない記事はちらほら書くと思います。「俺、生きてるぜ」みたいなのを。すごくしょうもないので自分でも引くんじゃないかと躊躇しますが、心が折れない程度にやります。
近頃、Twitter離れが激しいです。
TL酔いみたいなのがあるのか、見るのに案外と体力がいるようで、流れを追うのが無理になってしまい、すっかりご無沙汰です。
しばらくは引きこもりで。
手書きの日記というか雑記を書くのも、しんどくて筆が重くなりました。スマイソン買った割に、ノートの持ち腐れです。どんだけヘタレてんのか。
iPhoneでプチプチ打つのは比較的、平気のようなので、evernoteを使ってみています。
ずいぶん前にアカウントを取って、どう使うのかピンとこなくて放置でしたが、雑記帳として使おうと思いたち、iPhoneのPostEverというアプリを導入しました。
このアプリだと、ひとりっきりのTwitterみたいな感じでevernoteに投稿できるので、日常の記録や思いつきをプチプチ書き残しています。備忘録にいいですね。
iPhoneだと、ごろ寝してても書けるので。ヘタレてても何とかなるようです。
iPhoneというか、スマホすごいなと、つくづく思います。すごさが私にも段々わかってきた。
2012年6月4日月曜日
ほったて小屋、建造中。
長らく休止中のままになっているサイトの、ドアだけでも開けようと、Webページ作る作業をしてみましたが、なんだかとっても体力のいる作業のようで、すぐ疲れちゃっていけません。
でもとりあえず、ほったて小屋みたいなのができました。小説ページは無くてtxt版だけで、本当にドアだけなんだけど。「休止中」って貼り紙を剥がしただけっぽいんだけど( ;´Д`)
これを明日にでもUPして、再オープンした事にしたいと思います。
日曜日に、なぜか沢山の拍手を頂きました。ありがとうございます。
でもヘタレすぎのサイトなので、拍手してもらえる理由が分からず、ロボットさんかスパムの仕業かという気もします。
いやいや、この際それでも励みにして頑張っちゃうか!
再オープンしたら、ブログも前の脳ログのほうに戻す予定です。(移ったら、ここからリンク張ってご案内します)
BloggerはiPhone用のアプリがミニマムな機能しか無くて不便を感じてしまいました。古巣に戻ろう。
でもとりあえず、ほったて小屋みたいなのができました。小説ページは無くてtxt版だけで、本当にドアだけなんだけど。「休止中」って貼り紙を剥がしただけっぽいんだけど( ;´Д`)
これを明日にでもUPして、再オープンした事にしたいと思います。
日曜日に、なぜか沢山の拍手を頂きました。ありがとうございます。
でもヘタレすぎのサイトなので、拍手してもらえる理由が分からず、ロボットさんかスパムの仕業かという気もします。
いやいや、この際それでも励みにして頑張っちゃうか!
再オープンしたら、ブログも前の脳ログのほうに戻す予定です。(移ったら、ここからリンク張ってご案内します)
BloggerはiPhone用のアプリがミニマムな機能しか無くて不便を感じてしまいました。古巣に戻ろう。
2012年5月30日水曜日
ドアだけでも開けようか
14周年に拍手やコメントありがとうございました。
Google+のほうでも、古くからお付き合いのあるオンノベ作家さんたちにコメントをいただいたりして、本当に14年もやっているのだという気が少ししてきました。
年寄りの常で、自分がそんなに長く生きている実感は実はありません……。
うちのサイトも、オンノベ界の生きた化石みたいになってきました。
でもね、活動実績からいくと若造なんですよ。
Web拍手にいただいたコメントへのお返事です。
あちらの読者様が、TEAR DROP.のブログも見てくださっている時があるんですね。
体調不良などでヘタレると、どうしても脳ログしか動かなくなってしまいます(汗)
書き手として大切なことというのは、「自分が好きなものを書く」という話でしょうか。
私も時々とつぜん思い出して、また忘れて、また突然その事を「そうだ!」なんて思いついたように言って、また忘れます。
なかなか悟れないものですね。
好きなものを好きなように書いていると、楽しいので、「こんなに楽しくていいかしら」と思って、なにかツライことをしないと成長できないんじゃないかとか、いい作品が書けないのではないかと、怖くなって、キョロキョロしちゃうんですよね、たぶん。
それで敢えて一本道から外れた踏み分け道に分け入ってみたりして、簡単に道に迷ったりね。なんなんでしょうね、書く人のこの心理は。
自分が楽しめるもので、人様にも喜んでいただけるようなのを書くようにしたいです。
ことろで、うちのサイトはいつまで休止中なんでしょうか。
予定外に寝込んだりして遅れているのもありますが、一気に全部のコンテンツを復旧しようというのが、そもそも怠け者な私には荷が重すぎる気がします。
とりあえず玄関(トップページ)だけでも、掃除してオープンしようかな(´;ω;`)
だってウチの場合、開店してても休業してても、大差ないですよ。(ひどい)
だったら開けといたっていいよね。
中身はずっと前に途中まで一応作っていたんですが、カルテットとか月下世界紀行とか。
でも、他のブラウザで見ると表示が違ってて心が折れたり。iPhoneのブラウザから見るとアレすぎて心が折れたり。そうこうしているうちに寝込んだりして、有耶無耶になってしまい。
これ、もう、どうしたらいいんでしょうね?
頑張るしかないので頑張ります……。
サイトの作り方やスクリプトを忘れてきちゃったというのと、それ以前に技術のほうがずっと進歩してきて、そもそもついて行けてないという問題があって、さあ、どうしましょう。(答えはない……orz)
カルテット 64章で止まっていますが、いつ見ても、妙なところで止まったな。
こちらはまだまだ先は長いですが、三都のほうは、あともうちょっとで終わるっていうところで止まっているし、どっちもどっちだな。
まともな人ならこれは交互に更新するのだろうという気がします。
うちも、そのようにできるといいんだけどな。
マルチタスクが苦手でしたが、近年ますます苦手になってきていて、しょうがないです。
いきなり大長編は重くて動かせないので、まずはその世界とうまく繋がれるように、短編や断片的な習作を書いて練習から始めるのですが、先日、リハビリで書いた「狂気の缶詰」は、どっちとも関係のない話でした。まだ右脳先生が本調子じゃないようです。
カルテットの四人組はまだ脳裏に出て来ません。そのうち思い出すと思います。
「狂気の缶詰」の着想が出ていった後には、なぜかわからないけど、三都の勝呂瑞希ちゃんが主人公として出てくる番外編みたいなのが頭の中にあります。これは書いても本編ネタバレの関係で、すぐには公開できないかもしれないんだけど、書かないと次のが出てこられないみたいなので、とりあえず書くだけ書こうかと思っているところです。神戸編が完結してから、いっしょに公開すればいいし。
今後の自分のスケジュールを睨み、比較的、余裕のある6月は頑張りたいなと思うんだけど。体調と相談しつつです。
「椎堂さん大丈夫か、生きろ!」 って感じですが、大丈夫、なんとかなるよ!
これから梅雨に入り、暑さも増していきますが、皆様も体調管理に気をつけて、楽しい毎日をお過ごしくださいね。
Google+のほうでも、古くからお付き合いのあるオンノベ作家さんたちにコメントをいただいたりして、本当に14年もやっているのだという気が少ししてきました。
年寄りの常で、自分がそんなに長く生きている実感は実はありません……。
うちのサイトも、オンノベ界の生きた化石みたいになってきました。
でもね、活動実績からいくと若造なんですよ。
Web拍手にいただいたコメントへのお返事です。
05/25 17:50 本家14周年おめでとうございます。「三都」の方に日参している者です。椎堂さまのおかげで書き手として大切なことに気づかされました。萌えをありがとうございます。復活の日を気長にお待ちしております。三都のほうは物凄く放置になってしまっていて、廃屋同然で済みません。
あちらの読者様が、TEAR DROP.のブログも見てくださっている時があるんですね。
体調不良などでヘタレると、どうしても脳ログしか動かなくなってしまいます(汗)
書き手として大切なことというのは、「自分が好きなものを書く」という話でしょうか。
私も時々とつぜん思い出して、また忘れて、また突然その事を「そうだ!」なんて思いついたように言って、また忘れます。
なかなか悟れないものですね。
好きなものを好きなように書いていると、楽しいので、「こんなに楽しくていいかしら」と思って、なにかツライことをしないと成長できないんじゃないかとか、いい作品が書けないのではないかと、怖くなって、キョロキョロしちゃうんですよね、たぶん。
それで敢えて一本道から外れた踏み分け道に分け入ってみたりして、簡単に道に迷ったりね。なんなんでしょうね、書く人のこの心理は。
自分が楽しめるもので、人様にも喜んでいただけるようなのを書くようにしたいです。
ことろで、うちのサイトはいつまで休止中なんでしょうか。
予定外に寝込んだりして遅れているのもありますが、一気に全部のコンテンツを復旧しようというのが、そもそも怠け者な私には荷が重すぎる気がします。
とりあえず玄関(トップページ)だけでも、掃除してオープンしようかな(´;ω;`)
だってウチの場合、開店してても休業してても、大差ないですよ。(ひどい)
だったら開けといたっていいよね。
中身はずっと前に途中まで一応作っていたんですが、カルテットとか月下世界紀行とか。
でも、他のブラウザで見ると表示が違ってて心が折れたり。iPhoneのブラウザから見るとアレすぎて心が折れたり。そうこうしているうちに寝込んだりして、有耶無耶になってしまい。
これ、もう、どうしたらいいんでしょうね?
頑張るしかないので頑張ります……。
サイトの作り方やスクリプトを忘れてきちゃったというのと、それ以前に技術のほうがずっと進歩してきて、そもそもついて行けてないという問題があって、さあ、どうしましょう。(答えはない……orz)
カルテット 64章で止まっていますが、いつ見ても、妙なところで止まったな。
こちらはまだまだ先は長いですが、三都のほうは、あともうちょっとで終わるっていうところで止まっているし、どっちもどっちだな。
まともな人ならこれは交互に更新するのだろうという気がします。
うちも、そのようにできるといいんだけどな。
マルチタスクが苦手でしたが、近年ますます苦手になってきていて、しょうがないです。
いきなり大長編は重くて動かせないので、まずはその世界とうまく繋がれるように、短編や断片的な習作を書いて練習から始めるのですが、先日、リハビリで書いた「狂気の缶詰」は、どっちとも関係のない話でした。まだ右脳先生が本調子じゃないようです。
カルテットの四人組はまだ脳裏に出て来ません。そのうち思い出すと思います。
「狂気の缶詰」の着想が出ていった後には、なぜかわからないけど、三都の勝呂瑞希ちゃんが主人公として出てくる番外編みたいなのが頭の中にあります。これは書いても本編ネタバレの関係で、すぐには公開できないかもしれないんだけど、書かないと次のが出てこられないみたいなので、とりあえず書くだけ書こうかと思っているところです。神戸編が完結してから、いっしょに公開すればいいし。
今後の自分のスケジュールを睨み、比較的、余裕のある6月は頑張りたいなと思うんだけど。体調と相談しつつです。
「椎堂さん大丈夫か、生きろ!」 って感じですが、大丈夫、なんとかなるよ!
これから梅雨に入り、暑さも増していきますが、皆様も体調管理に気をつけて、楽しい毎日をお過ごしくださいね。
2012年5月25日金曜日
ハナウタが音痴
リハビリにと思って、ふと思いついたのをハナウタノベルズに書いてみたけど、書いたら意味不明すぎて残念でした。
「狂気の缶詰」
http://hanautanovels.seesaa.net/article/271580400.html
でも、筆の速さ自体は前と変わらないなというのを確認できたので、よかった。
ただ内容がアレすぎた。
小説で大事なのは速筆じゃなく内容なのでピンチだね。
うっう(´;ω;`)
でも、しばらくはリハビリのため、思いついたことをテキトーに書きます。
そのうち「これじゃダメだ」と思うだろう。思うまで頑張る。
「狂気の缶詰」
http://hanautanovels.seesaa.net/article/271580400.html
でも、筆の速さ自体は前と変わらないなというのを確認できたので、よかった。
ただ内容がアレすぎた。
小説で大事なのは速筆じゃなく内容なのでピンチだね。
うっう(´;ω;`)
でも、しばらくはリハビリのため、思いついたことをテキトーに書きます。
そのうち「これじゃダメだ」と思うだろう。思うまで頑張る。
はじめの一歩が
体調は上がったり下がったりしつつ回復してきました。元気になってきて嬉しいです。
そろそろ何か書きたいなという気持ちも回復してきたので、書こうかと思うんですが、久しぶりだと、最初の一行を書き出すのが怖いなーと思います。
思うように書けなかったらどうしようという怖さですが。
でも、ブランク明けって、ほぼ100%の確率で、思うようには書けないので、いちいちビビることないと思うんですけどね。書いてるうちに段々とカンが戻ってくるものなんだし。
十年ぶりで自転車に乗るときに「怖いな」って思う種類の怖さと思います。
まあ、まずは無難な直線道路から試し乗りしてみるのがいいですよね。
いつぞやオススメしていただいた、北斎の娘、お栄さんの出てくる漫画を読みました。

江戸の情緒があって、面白かったです。
私は都市で生まれて都市で育ったタイプなので、時代は違っても、都市の人間の精神性や暮らしぶりのほうが、なんとなく共感が持てます。
生まれ育った大阪の街の人たちの、他人に無関心な早足や、早口や、若いころを過ごした神戸の街の人たちの、いつもお洒落で、ちょっと澄ましたようなところが好きです。それには悪いところもあるけれど、たぶん、自由だから好きなのだと思います。
江戸の都市人も、気分的には、好き勝手に生きてたんですかねえ?
お栄さんが、火事場見物が好きという話が、なんだか興味深くて。
自分でも意味はわからないけど、なぜか好きなものって、ありますよね。
私は工事現場を見るのが好きです。工事の規模が大きければ大きいほど好きです。何か巨大なものがコツコツ作られていく様子が面白いのだと思います。その類型で、「工場萌え」もあるし。たぶんその萌えと同じ脳みその回路を使って、京都の新京極通にあるロンドン焼き屋さんの、ロンドン焼き製造マシーンが動くのをじっと見るのも好きです。モノが作られていく様子を見るのが好きなんですよね、たぶん。
好きこそものの上手とか言いますが、上手かどうかはともかくとしても、何が好きかが自分の個性と思うので、好きなモノを追求するのは、良いことのように思います。
特に、ものを書く人にとっては。
好きなものが、作品にも滲みでてきて、それがひとつの個性ではないかと。
昔から、「私はなんでこんなショーモナイ微々たることを小説でいちいち描写するのだろう」と悩んだこともあったんですが、最近は、「それが俺様の個性」と居直ってきました。小説も、好き勝手書けばいいのだと思います。自分の愛しているもののことを、書きたいように書けばいいんだろうなあ。
私は美形書きなんですが、なんでだろうと長年思っていました。最近理由がわかってきました。
美形が好きだからでした。顔や姿の綺麗な人を見るのが好きです。
自分が、「これは綺麗だ」と思うものの基準て、世間一般より広いみたいですが、(しわしわの爺さんが綺麗に見えたりする時もある)美しいと思うものをガン見するのが好きなようです。
たぶん、美術館で好きな絵をじっと見たり、お店で欲しいバッグをじっと見たりするのと同じ種類の快感と思います。見るとね、楽しいんですよ。ただそれだけの事でね。
現実に目の前にいる人をじろじろ見ると失礼なので、あんまりできませんが、自分の脳裏にいる架空の人物であれば、じろじろ見ようが私の自由だし。
ひとりで見るより、皆で見たほうが楽しいのかなと思って、皆でじろじろ見るために小説書いてるんだと思います。絵のほうがいいけど、絵は描けないんだもん。
だから、もしかすると、私は絵的なものを解説するために小説っぽいものを書いているだけで、ストーリーはどうでもいいと思っているのかもしれない。(危険思想)じろじろ見られれば、それでいいのかもしれない(汗)
理性では、そういうのだと、お話にならないじゃないと思うので、物語の体裁は一応とりますが、そういうものだと思って、一緒にじろじろ見てくれる読者さんを募ったほうが懸命かもしれません。
若いころは、これでも案外まじめだったので、「小説かくあるべし」みたいな話を、ふむふむと聞いて、修行するのだ! と思っていたような気がしますが(これでも一応)、それも大事とはいえ、それだけじゃつまんないじゃないと、最近は思います。
やっぱオバサンにメタモルフォーゼしたからかな?
人生が自由だね。
そういう割に、書きだすのが怖いとか、青いこと言ってるので、まだまだ何かが足りません。
そろそろ何か書きたいなという気持ちも回復してきたので、書こうかと思うんですが、久しぶりだと、最初の一行を書き出すのが怖いなーと思います。
思うように書けなかったらどうしようという怖さですが。
でも、ブランク明けって、ほぼ100%の確率で、思うようには書けないので、いちいちビビることないと思うんですけどね。書いてるうちに段々とカンが戻ってくるものなんだし。
十年ぶりで自転車に乗るときに「怖いな」って思う種類の怖さと思います。
まあ、まずは無難な直線道路から試し乗りしてみるのがいいですよね。
いつぞやオススメしていただいた、北斎の娘、お栄さんの出てくる漫画を読みました。
江戸の情緒があって、面白かったです。
私は都市で生まれて都市で育ったタイプなので、時代は違っても、都市の人間の精神性や暮らしぶりのほうが、なんとなく共感が持てます。
生まれ育った大阪の街の人たちの、他人に無関心な早足や、早口や、若いころを過ごした神戸の街の人たちの、いつもお洒落で、ちょっと澄ましたようなところが好きです。それには悪いところもあるけれど、たぶん、自由だから好きなのだと思います。
江戸の都市人も、気分的には、好き勝手に生きてたんですかねえ?
お栄さんが、火事場見物が好きという話が、なんだか興味深くて。
自分でも意味はわからないけど、なぜか好きなものって、ありますよね。
私は工事現場を見るのが好きです。工事の規模が大きければ大きいほど好きです。何か巨大なものがコツコツ作られていく様子が面白いのだと思います。その類型で、「工場萌え」もあるし。たぶんその萌えと同じ脳みその回路を使って、京都の新京極通にあるロンドン焼き屋さんの、ロンドン焼き製造マシーンが動くのをじっと見るのも好きです。モノが作られていく様子を見るのが好きなんですよね、たぶん。
好きこそものの上手とか言いますが、上手かどうかはともかくとしても、何が好きかが自分の個性と思うので、好きなモノを追求するのは、良いことのように思います。
特に、ものを書く人にとっては。
好きなものが、作品にも滲みでてきて、それがひとつの個性ではないかと。
昔から、「私はなんでこんなショーモナイ微々たることを小説でいちいち描写するのだろう」と悩んだこともあったんですが、最近は、「それが俺様の個性」と居直ってきました。小説も、好き勝手書けばいいのだと思います。自分の愛しているもののことを、書きたいように書けばいいんだろうなあ。
私は美形書きなんですが、なんでだろうと長年思っていました。最近理由がわかってきました。
美形が好きだからでした。顔や姿の綺麗な人を見るのが好きです。
自分が、「これは綺麗だ」と思うものの基準て、世間一般より広いみたいですが、(しわしわの爺さんが綺麗に見えたりする時もある)美しいと思うものをガン見するのが好きなようです。
たぶん、美術館で好きな絵をじっと見たり、お店で欲しいバッグをじっと見たりするのと同じ種類の快感と思います。見るとね、楽しいんですよ。ただそれだけの事でね。
現実に目の前にいる人をじろじろ見ると失礼なので、あんまりできませんが、自分の脳裏にいる架空の人物であれば、じろじろ見ようが私の自由だし。
ひとりで見るより、皆で見たほうが楽しいのかなと思って、皆でじろじろ見るために小説書いてるんだと思います。絵のほうがいいけど、絵は描けないんだもん。
だから、もしかすると、私は絵的なものを解説するために小説っぽいものを書いているだけで、ストーリーはどうでもいいと思っているのかもしれない。(危険思想)じろじろ見られれば、それでいいのかもしれない(汗)
理性では、そういうのだと、お話にならないじゃないと思うので、物語の体裁は一応とりますが、そういうものだと思って、一緒にじろじろ見てくれる読者さんを募ったほうが懸命かもしれません。
若いころは、これでも案外まじめだったので、「小説かくあるべし」みたいな話を、ふむふむと聞いて、修行するのだ! と思っていたような気がしますが(これでも一応)、それも大事とはいえ、それだけじゃつまんないじゃないと、最近は思います。
やっぱオバサンにメタモルフォーゼしたからかな?
人生が自由だね。
そういう割に、書きだすのが怖いとか、青いこと言ってるので、まだまだ何かが足りません。
2012年5月1日火曜日
SeesaaBlogにGoogle+共有ボタンを設置してみた
Google+の、外部埋め込み用「共有」ボタンがリリースされたと聞いたので、旧・脳ログ(@SeesaaBlog)に設置してみました。
一応、ちゃんと動いているような……。
これがあれば、別に、BloggerのGoogle+連携機能がそれほど魅力的ということはなくなってしまうので、私にとって細かなカスタマイズがしにくいBloggerよりも、古巣のSeesaaBlogのほうが使いやすいのかもしれません。
iPhone用アプリもSeesaaBlogのほうが使いやすいし。
Seesaaに出戻りしようかな。
SeesaaBlogにG+共有ボタンを設置した手順は、
タグは参考のために併記しましたが、仕様変更もあるかもしれませんので、公式から貰ってきてください。
ブログじゃなくても、一般のホームページにも設置できるので、小説ページに感想ツールのひとつとして、tweetボタン等と一緒に並べておくのもいいかもですね。
先にリリースされていた、+1ボタンと、どう使い分けるのか難しいところですが。
+1するかしないかの差しかないから。
共有はしたいが+1はしたくない場合って、作者本人がGoogle+に更新告知を投稿したい場合ぐらいしか無いんじゃないかという気もするんですが。
あるいは、+1はしたくないわけだから、「つまらなかった」とかのネガティブ記事を書きたい場合ですかね?
その場合でも、+1は、押した後で、もう一度押せば、キャンセルができるので、+1したくなかったら共有記事を書いたあとに+1だけ取り消すという手もあるんです。
それを思えば、「+1」ボタンだけあれば、「共有」はいらないかなーという気がしなくもないんですが。(紛らわしいし)
まあいいか。お好みで。
一瞬とはいえ嘘の+1を押すのは絶対イヤだわキーッていう人もいるかもしれませんので、「共有」だけできる機能はあればあったで便利と思います。
(個人的には「+1」ボタンに共有の機能がなくてもいいんじゃないかという気がしなくもなく……)
新機能だったので嬉しがって設置テストしました。嬉しいなー。
一応、ちゃんと動いているような……。
これがあれば、別に、BloggerのGoogle+連携機能がそれほど魅力的ということはなくなってしまうので、私にとって細かなカスタマイズがしにくいBloggerよりも、古巣のSeesaaBlogのほうが使いやすいのかもしれません。
iPhone用アプリもSeesaaBlogのほうが使いやすいし。
Seesaaに出戻りしようかな。
SeesaaBlogにG+共有ボタンを設置した手順は、
- 「デザイン」>「コンテンツ」>「記事」>「コンテンツHTML編集」で、記事表示部分のHTMLを開く
- 任意の位置に共有ボタンのタグを挿入&保存。
<div class="g-plus" data-action="share" data-annotation="none" data-href="<% article.page_url %>"></div>
赤文字の部分が、SeesaaBlogで記事ごとの固有URLを共有するためのカスタマイズです。 - 「デザイン」>「HTML」>「HTMLの追加」で、カスタマイズ可能なHTMLテンプレを新規作成。一番下までスクロールして、</BODY>タグの直前に、G+共有ボタン用のスクリプトを挿入&保存&適用。
<!-- 最後の 共有 タグの後に次のタグを貼り付けてください。 -->
<script type="text/javascript">
window.___gcfg = {lang: 'ja'};
(function() {
var po = document.createElement('script'); po.type = 'text/javascript'; po.async = true;
po.src = 'https://apis.google.com/js/plusone.js';
var s = document.getElementsByTagName('script')[0]; s.parentNode.insertBefore(po, s);
})();
</script>
タグは参考のために併記しましたが、仕様変更もあるかもしれませんので、公式から貰ってきてください。
ブログじゃなくても、一般のホームページにも設置できるので、小説ページに感想ツールのひとつとして、tweetボタン等と一緒に並べておくのもいいかもですね。
先にリリースされていた、+1ボタンと、どう使い分けるのか難しいところですが。
+1するかしないかの差しかないから。
共有はしたいが+1はしたくない場合って、作者本人がGoogle+に更新告知を投稿したい場合ぐらいしか無いんじゃないかという気もするんですが。
あるいは、+1はしたくないわけだから、「つまらなかった」とかのネガティブ記事を書きたい場合ですかね?
その場合でも、+1は、押した後で、もう一度押せば、キャンセルができるので、+1したくなかったら共有記事を書いたあとに+1だけ取り消すという手もあるんです。
それを思えば、「+1」ボタンだけあれば、「共有」はいらないかなーという気がしなくもないんですが。(紛らわしいし)
まあいいか。お好みで。
一瞬とはいえ嘘の+1を押すのは絶対イヤだわキーッていう人もいるかもしれませんので、「共有」だけできる機能はあればあったで便利と思います。
(個人的には「+1」ボタンに共有の機能がなくてもいいんじゃないかという気がしなくもなく……)
新機能だったので嬉しがって設置テストしました。嬉しいなー。
2012年4月29日日曜日
そろそろ
寝込んでましたが、そろそろ起きだそうかと。体調はまだへろんへろんですが、単に一ヶ月以上も寝込んでしまって、体が鈍っただけかもしれないし。
リハビリに努めます。
メールのお返事など滞っておりますが、すいません。順次、お返事差し上げます。
ところで今朝、近所の公園で、ハト屋敷のはだか仙人を見ました。お元気そうでした。もう裸(トランクス一丁)でした。
京都はもう暑いです。連日、夏日です。
でも、おじいちゃん、外出する時は服着なきゃ、通報されちゃうよ( ;´Д`)!
はだか仙人が公園のハトにも餌をやりに遠征しているとは知りませんでした。
リハビリに努めます。
メールのお返事など滞っておりますが、すいません。順次、お返事差し上げます。
ところで今朝、近所の公園で、ハト屋敷のはだか仙人を見ました。お元気そうでした。もう裸(トランクス一丁)でした。
京都はもう暑いです。連日、夏日です。
でも、おじいちゃん、外出する時は服着なきゃ、通報されちゃうよ( ;´Д`)!
はだか仙人が公園のハトにも餌をやりに遠征しているとは知りませんでした。
2012年3月31日土曜日
しばらく
ただいま寝込んでおりまして、そう深刻なものではありませんが、四月いっぱいくらいはサイトにもブログにも更新がないかと思います。
元気になりましたら戻ってきます。
いつもヘナヘナしている管理人で恐縮ですが、その節はまたよろしくお願いします。
元気になりましたら戻ってきます。
いつもヘナヘナしている管理人で恐縮ですが、その節はまたよろしくお願いします。
2012年3月18日日曜日
萌芽
自分の書いた新しい原稿を読みたいなと思う。そういうのは「書きたいな」というのとは少し違う感覚なのだけど、結果的には同じかもしれない。書かないと読めないわけだから。
新作の萌芽が頭の中であると、それを書かれた物として読むためには、自分で書くしかない。
書くのは大変な作業なので、誰かが代わりに書いてくれればと思うが、自分で書かなきゃ、自分の読みたい作品にはならないのだ。
今、書きたいなと思っているのは、緑滴る春の森、たぶん、書きかけで放ってあるシェルの番外編「西南回廊の開放」だろうと思う。
あれを書こうが書くまいが、どっちでもいいような気はするが、書きたいなら書けばいいとも思う。
執筆の意欲というのは、重い玉を転がすようなもので、最初が一番重い。初めに書くものは、書きたい物がいい。それで執筆の気分に立ち返れば、あとは転がり始めたのを止めない限り、筆は走り続ける。経験的には、ずっとそうなのだ。
呼び水になる作品は何でもいい。書きたい物なら。
「西南回廊の開放」はシェルが故郷にいる時の話で、学院に人質として旅立つよりも前の話なのだが、学院編ではちょっと痛い、ヘタレで甘い不思議ちゃんみたいなシェル・マイオスが、故郷の森では確かに稀有な力を持っていたというような話であり、彼には彼の部族なりの、支配者の器があるという話かもしれない。
要約すると、シェルは人の気持ちが分かる子だというだけの話なのだが。
私は子供の頃からずっと書いている、シェル・マイオスというキャラクターがずっと苦手で、掴みづらかった。あらすじ上の役割や、キャラクター性などは、他のキャラクターと同程度に決めてあるし、シェルは私の親友の子供の頃の様子が着想の源にあり、言わば現実のモデルがいるわけで、書きやすいはずだった。
でも、なぜかずっと書きにくかったのだ。何か足りないような感じがして。
やっとまともに書けた気がしたのは、「ギュスタールとイアンカリスの婚姻」の時のシェルだが、あれも、とっかかりを掴んだだけという気がする。もうちょっと習作を重ねて、自分の中での、あの人物を書く技巧を完成させないと。
最近になってシェルが書けるようになってきた理由は、たぶん私が子供を育てるようになったからだと思う。
シェルはちょっと不思議なところのある人物でないといけないのだが、モデルにしていた私の親友には、不思議なところは無いのだ。天然な人なので、マジボケは面白いのだが、シェルはマジボケな人ではなくて、不思議な人でないと、物語上困る。
誰もが子供の頃に持っている力を、大人になってもずっと持っているような人なのだ。
シェル・マイオスは優しくて、人の気持ちが分かる。既成の概念に囚われない。いつも希望を持っていて、天真爛漫で、馬鹿のようにも見えるが、実はとても明晰な人物である。
何もわかってないようでいて、全部分かった上で、天真爛漫なのが、彼の良いところであり、キャラクターとしての力なのだが。
それは良い意味での、子供っぽさだと、子供を見ていると思う。
シェルを書くには、素体である私の親友の子供の頃に、うちのムスメや近所のちびっ子を混ぜて、なんやかんやすればいいというのが、最近分かってきて、ああ、これは書けそうだぞ、と思ったのだ。説明になってないが。
そのように、執筆の勘所は、時々理屈でなく掴めたり、分からなくなったりする。分かったような気がした時に、習作を残しておくと、後でそれを読み返すことで、執筆の勘所を思い出すこともできるので便利だ。
執筆の勘所って、何か言葉では説明できない、名状し難い気分であって、行間の空気みたいな物だろうと思う。それそのものをメモして残す事はできないので、その空気を行間にとじこめた習作を書くしかない。絵でもいいけど、あいにく私は絵が下手なので、コンセプトアートの代わりに、習作を書くしかない。
不自由だけど、文章で絵を書いているのだと思う。
「西南回廊の開放」はシェルが老女を看取る話だ。人が滅多に死なない、うちの作品群の中では、珍しく、死を書く話なので重いが、情景としては、花咲き乱れる春の森で、「ギュスタールとイアンカリスの婚姻」から続く、とてもロマンティックな画面である。
春の新緑の中で老婆が死ぬという話で、たぶん世代交代を描く話だろう。
自分でも、書かないと分からない物があって、創作は不思議だ。
それだけ私の作品認識が弱いということなのだが、実際、書かなきゃわかんないんだから、それはもう、どうしようもない。
書いて分かるのなら、ただ書けばいいと思う。
新作の萌芽が頭の中であると、それを書かれた物として読むためには、自分で書くしかない。
書くのは大変な作業なので、誰かが代わりに書いてくれればと思うが、自分で書かなきゃ、自分の読みたい作品にはならないのだ。
今、書きたいなと思っているのは、緑滴る春の森、たぶん、書きかけで放ってあるシェルの番外編「西南回廊の開放」だろうと思う。
あれを書こうが書くまいが、どっちでもいいような気はするが、書きたいなら書けばいいとも思う。
執筆の意欲というのは、重い玉を転がすようなもので、最初が一番重い。初めに書くものは、書きたい物がいい。それで執筆の気分に立ち返れば、あとは転がり始めたのを止めない限り、筆は走り続ける。経験的には、ずっとそうなのだ。
呼び水になる作品は何でもいい。書きたい物なら。
「西南回廊の開放」はシェルが故郷にいる時の話で、学院に人質として旅立つよりも前の話なのだが、学院編ではちょっと痛い、ヘタレで甘い不思議ちゃんみたいなシェル・マイオスが、故郷の森では確かに稀有な力を持っていたというような話であり、彼には彼の部族なりの、支配者の器があるという話かもしれない。
要約すると、シェルは人の気持ちが分かる子だというだけの話なのだが。
私は子供の頃からずっと書いている、シェル・マイオスというキャラクターがずっと苦手で、掴みづらかった。あらすじ上の役割や、キャラクター性などは、他のキャラクターと同程度に決めてあるし、シェルは私の親友の子供の頃の様子が着想の源にあり、言わば現実のモデルがいるわけで、書きやすいはずだった。
でも、なぜかずっと書きにくかったのだ。何か足りないような感じがして。
やっとまともに書けた気がしたのは、「ギュスタールとイアンカリスの婚姻」の時のシェルだが、あれも、とっかかりを掴んだだけという気がする。もうちょっと習作を重ねて、自分の中での、あの人物を書く技巧を完成させないと。
最近になってシェルが書けるようになってきた理由は、たぶん私が子供を育てるようになったからだと思う。
シェルはちょっと不思議なところのある人物でないといけないのだが、モデルにしていた私の親友には、不思議なところは無いのだ。天然な人なので、マジボケは面白いのだが、シェルはマジボケな人ではなくて、不思議な人でないと、物語上困る。
誰もが子供の頃に持っている力を、大人になってもずっと持っているような人なのだ。
シェル・マイオスは優しくて、人の気持ちが分かる。既成の概念に囚われない。いつも希望を持っていて、天真爛漫で、馬鹿のようにも見えるが、実はとても明晰な人物である。
何もわかってないようでいて、全部分かった上で、天真爛漫なのが、彼の良いところであり、キャラクターとしての力なのだが。
それは良い意味での、子供っぽさだと、子供を見ていると思う。
シェルを書くには、素体である私の親友の子供の頃に、うちのムスメや近所のちびっ子を混ぜて、なんやかんやすればいいというのが、最近分かってきて、ああ、これは書けそうだぞ、と思ったのだ。説明になってないが。
そのように、執筆の勘所は、時々理屈でなく掴めたり、分からなくなったりする。分かったような気がした時に、習作を残しておくと、後でそれを読み返すことで、執筆の勘所を思い出すこともできるので便利だ。
執筆の勘所って、何か言葉では説明できない、名状し難い気分であって、行間の空気みたいな物だろうと思う。それそのものをメモして残す事はできないので、その空気を行間にとじこめた習作を書くしかない。絵でもいいけど、あいにく私は絵が下手なので、コンセプトアートの代わりに、習作を書くしかない。
不自由だけど、文章で絵を書いているのだと思う。
「西南回廊の開放」はシェルが老女を看取る話だ。人が滅多に死なない、うちの作品群の中では、珍しく、死を書く話なので重いが、情景としては、花咲き乱れる春の森で、「ギュスタールとイアンカリスの婚姻」から続く、とてもロマンティックな画面である。
春の新緑の中で老婆が死ぬという話で、たぶん世代交代を描く話だろう。
自分でも、書かないと分からない物があって、創作は不思議だ。
それだけ私の作品認識が弱いということなのだが、実際、書かなきゃわかんないんだから、それはもう、どうしようもない。
書いて分かるのなら、ただ書けばいいと思う。
2012年3月16日金曜日
ヨーグルト
いただいたコメントに返信するために、旧・脳ログの記事を漁っていて、自分が「イェズラムがヨーグルトを食べるのは萌えキャラ的にゆるせない」と書いているのをチラ見してしまい、今は何とも思わないので、当時どういう心境だったんだアタシはと、少々引きました。
トルコ料理とかだと、オッサンでもヨーグルト食べるじゃん。たぶんブルガリアのおじいちゃんとかも毎日食べてるよ。納豆みたいなもんなんだよ、ヨーグルトは。
しっかりしろ自分! と思いました。
そういうの大好きなので、自作の世界の食文化はどんなもんかというのは、必要以上に楽しく考えるんですが、皆さんはそういうの好きですか。
黒エルフって、牛飼ってるんだし、(砂牛という架空の生物が出てきます)乳製品は普通に食卓に上るんじゃないのかな。砂牛がじつは哺乳類じゃないとかいう意外オチでなければ。
そんな必要はないので、ストレートに哺乳類で、砂牛のお母さんはミルクを出すと思います。レイラス殿下もチーズとかヨーグルトとか食べて育ったんだと思うよ。
でも、基本的に、宮廷では箸で食べているっぽい文化なので、どういう料理なんでしょうね。割と見当がつかない。
飛鳥時代の蘇(そ)のようなものを食べているのかな。
私は酪農には全く詳しくないですが、牛って、飼うと相当な量のミルクを出すもののようです。毎日たくさんのミルクが生産されるわけで、それを加工して保存しつづけないといけないし、日々、相当量の消費もしないといけない。なりゆき、食卓は潤沢な乳製品であふれることになりそうです。
イェズラムがヨーグルト嫌いってことはありえないはずだ。むしろ「ヨーグルトちゃんと食え!」って説教する兄ちゃんなはずだ。たぶん、乳製品は麦と並んで、黒エルフの食文化の基盤なのです。ヨーグルト残すと、どつかれるんだよ、きっと。
麦を牛乳で煮込んだオートミールのようなものも、食べているかもしれません。
そうなると、それは箸では食べにくいが、日本人がお粥を食べる時のように、椀に入れたものを、啜って食べるのだろうかなあ。それともスプーンを使うのだろうか。
もし食文化に麺類があるなら、啜るのもOKかもしれませんが。
まあ、どうでもいいか(^_^;)?
とはいえ異世界ファンタジーには、土台となる生活文化の設定も、重要なんでありますが。そこらへんテキトーなまま、テキトーにその場のノリで書いているような気がしなくもなく。
昔から一番困るのが、森エルフの人たちで、彼らは耕作をしていないっぽいのです。森を開墾することをタブーとしているせいです。
何食って生きてるんだ、シェル。
もしかすると狩猟採集民なのですよね、森エルフは。
でもまあ、現実の森とちがって、「バナナとりんごの成る木」みたいな無茶が可能な世界なので、高効率の栄養源となる収穫物が複数あって、案外多くの人口を養える風土があるのだということでもいいんですが。
番外編「ギュスタールとイアンカリスの婚姻」を書いた時には、シェルは実家で朝起きて、そこらへんの木の実を採って食べているんですよね。それを「朝食代わりにした」と書いたので、いつもそうということではないけど、たぶん普段も大差ないものを食べているんだろうな。枝から採ってきたものを、食卓に盛って食べるか、木のそばで直に食べてしまうか程度の違いしかないのではないかなあ。
かなり乏しいというか、過不足のない食料を、あるときだけ食べている民族のような気がします。そのままで備蓄できるものは、多少、蓄えるのだろうけど。通年、手を伸ばせば取れるところに、なにかしら実っているような世界なのか。
もし、そういう世界だとしたら、シェルはたぶん、大食しないように躾けられるはずなので、そのせいでシュレーに「採ってきたものは全部食べろ」って言うのかな。
狩猟について、可哀想だから採って食うなとは、シェルは言わないと思うんですよね。採って食わないと仕方ないんだから。でも、まだ食べるものがあるのに、新しいのを採ってくるのは、先々の死活問題につながるので、森では危険視されるだろうと思うのです。
森エルフってきっとみんな、ほっそり痩せているんだろうな。太ってるといけないんだろうと思うんだ。太るというのは、必要以上に食べてるということだから、限られた食料を公平に分配している世界では、「それはちょっとどうなの」という目で見られるのではないのかな。他人の分まで食ったということを意味するのですからね。
シェル……。食料豊富な学院生活で太ったりしないよな。
あんな、のんびりしてそうな子だが、ちょっと太ったからオヤツは控えようとか思う、ただ一人の人かもしれない。神様今日は美味しくてカップケーキを三個も食べてしまいました、済みません済みませんとか泣きながら謝ってたりするのか。そして翌日は罪滅ぼしに絶食してマイ庭園の手入れに励んだりすんのか。
本人の文化的には筋が通っていても、傍目には不思議ちゃんでしかないな。
そしてお茶の時間になると、シュレーに「俺の焼いたケーキが食えねえのか」ってオヤツ・ハラスメントされるんだな。
インドア派のシェル・マイオス(本ばかり読んでいる)と違って、運動量の多いシュレーやイルスはどんだけ食っても腹が減るし、食べても太りはしないんだよ。きっと。
(※スィグル・レイラスは美少年チートにより、どれだけ食っても太りません)
「お前も走ればいいよ」って、体育会系イルスに爽やかに言われればいいと思います。
そして晩ご飯は大盛りカレーです。(この世界にカレーはあるのか)
「みんな、食べ過ぎです」って、シェルはいつも言うのかなあ。
ごはんを残す能力のある人は、スィグルだけだと思うなあ。宮廷料理は完食しないものだからさ。ごはんを残すことがステイタス・シンボルなのだと思うけど。残さず全部食らうのは、実はレイラスにとっては、はしたないことなんじゃないのかな。でもたぶん全部食うけど。残すとお腹が空くし。でも時々反省して、わざとごはんを残してみたりするのだな。「僕はもっと王族らしく振る舞うべきだった、ガツガツ全部食うなんて恥だ」とか思って。ほんで残すとシェル・マイオスが「残さないで全部食べないと(略)」とか言い、シュレーに「俺の作った飯が食えねえのか」ってゴハン・ハラスメントされるんだ。
あの四人で飯を食うというのは、案外面白いことなのだと思うなあ。
でもそんな、ごはん食うだけのファンタジーってなあ。まあ、企画物なら(^_^;)?
四部族の均衡は学院の食卓から生まれるっちゅう話よ。
って、ね、私、前回の記事の後半がかなり妄想垂れ流しすぎたんで、昨夜は反省したんですよ。「あー書かなきゃよかった(ゴロンゴロン)」とか一応思ったんですが。
また書いてるよね。そういう病気なんだよね?
もう、しょうがないか。すみません、独り言です。独り言なんです!! 見逃して!
というか、それを小説で書けば恥ずかしくないというのは、どういうことなんや。
トルコ料理とかだと、オッサンでもヨーグルト食べるじゃん。たぶんブルガリアのおじいちゃんとかも毎日食べてるよ。納豆みたいなもんなんだよ、ヨーグルトは。
しっかりしろ自分! と思いました。
そういうの大好きなので、自作の世界の食文化はどんなもんかというのは、必要以上に楽しく考えるんですが、皆さんはそういうの好きですか。
黒エルフって、牛飼ってるんだし、(砂牛という架空の生物が出てきます)乳製品は普通に食卓に上るんじゃないのかな。砂牛がじつは哺乳類じゃないとかいう意外オチでなければ。
そんな必要はないので、ストレートに哺乳類で、砂牛のお母さんはミルクを出すと思います。レイラス殿下もチーズとかヨーグルトとか食べて育ったんだと思うよ。
でも、基本的に、宮廷では箸で食べているっぽい文化なので、どういう料理なんでしょうね。割と見当がつかない。
飛鳥時代の蘇(そ)のようなものを食べているのかな。
私は酪農には全く詳しくないですが、牛って、飼うと相当な量のミルクを出すもののようです。毎日たくさんのミルクが生産されるわけで、それを加工して保存しつづけないといけないし、日々、相当量の消費もしないといけない。なりゆき、食卓は潤沢な乳製品であふれることになりそうです。
イェズラムがヨーグルト嫌いってことはありえないはずだ。むしろ「ヨーグルトちゃんと食え!」って説教する兄ちゃんなはずだ。たぶん、乳製品は麦と並んで、黒エルフの食文化の基盤なのです。ヨーグルト残すと、どつかれるんだよ、きっと。
麦を牛乳で煮込んだオートミールのようなものも、食べているかもしれません。
そうなると、それは箸では食べにくいが、日本人がお粥を食べる時のように、椀に入れたものを、啜って食べるのだろうかなあ。それともスプーンを使うのだろうか。
もし食文化に麺類があるなら、啜るのもOKかもしれませんが。
まあ、どうでもいいか(^_^;)?
とはいえ異世界ファンタジーには、土台となる生活文化の設定も、重要なんでありますが。そこらへんテキトーなまま、テキトーにその場のノリで書いているような気がしなくもなく。
昔から一番困るのが、森エルフの人たちで、彼らは耕作をしていないっぽいのです。森を開墾することをタブーとしているせいです。
何食って生きてるんだ、シェル。
もしかすると狩猟採集民なのですよね、森エルフは。
でもまあ、現実の森とちがって、「バナナとりんごの成る木」みたいな無茶が可能な世界なので、高効率の栄養源となる収穫物が複数あって、案外多くの人口を養える風土があるのだということでもいいんですが。
番外編「ギュスタールとイアンカリスの婚姻」を書いた時には、シェルは実家で朝起きて、そこらへんの木の実を採って食べているんですよね。それを「朝食代わりにした」と書いたので、いつもそうということではないけど、たぶん普段も大差ないものを食べているんだろうな。枝から採ってきたものを、食卓に盛って食べるか、木のそばで直に食べてしまうか程度の違いしかないのではないかなあ。
かなり乏しいというか、過不足のない食料を、あるときだけ食べている民族のような気がします。そのままで備蓄できるものは、多少、蓄えるのだろうけど。通年、手を伸ばせば取れるところに、なにかしら実っているような世界なのか。
もし、そういう世界だとしたら、シェルはたぶん、大食しないように躾けられるはずなので、そのせいでシュレーに「採ってきたものは全部食べろ」って言うのかな。
狩猟について、可哀想だから採って食うなとは、シェルは言わないと思うんですよね。採って食わないと仕方ないんだから。でも、まだ食べるものがあるのに、新しいのを採ってくるのは、先々の死活問題につながるので、森では危険視されるだろうと思うのです。
森エルフってきっとみんな、ほっそり痩せているんだろうな。太ってるといけないんだろうと思うんだ。太るというのは、必要以上に食べてるということだから、限られた食料を公平に分配している世界では、「それはちょっとどうなの」という目で見られるのではないのかな。他人の分まで食ったということを意味するのですからね。
シェル……。食料豊富な学院生活で太ったりしないよな。
あんな、のんびりしてそうな子だが、ちょっと太ったからオヤツは控えようとか思う、ただ一人の人かもしれない。神様今日は美味しくてカップケーキを三個も食べてしまいました、済みません済みませんとか泣きながら謝ってたりするのか。そして翌日は罪滅ぼしに絶食してマイ庭園の手入れに励んだりすんのか。
本人の文化的には筋が通っていても、傍目には不思議ちゃんでしかないな。
そしてお茶の時間になると、シュレーに「俺の焼いたケーキが食えねえのか」ってオヤツ・ハラスメントされるんだな。
インドア派のシェル・マイオス(本ばかり読んでいる)と違って、運動量の多いシュレーやイルスはどんだけ食っても腹が減るし、食べても太りはしないんだよ。きっと。
(※スィグル・レイラスは美少年チートにより、どれだけ食っても太りません)
「お前も走ればいいよ」って、体育会系イルスに爽やかに言われればいいと思います。
そして晩ご飯は大盛りカレーです。(この世界にカレーはあるのか)
「みんな、食べ過ぎです」って、シェルはいつも言うのかなあ。
ごはんを残す能力のある人は、スィグルだけだと思うなあ。宮廷料理は完食しないものだからさ。ごはんを残すことがステイタス・シンボルなのだと思うけど。残さず全部食らうのは、実はレイラスにとっては、はしたないことなんじゃないのかな。でもたぶん全部食うけど。残すとお腹が空くし。でも時々反省して、わざとごはんを残してみたりするのだな。「僕はもっと王族らしく振る舞うべきだった、ガツガツ全部食うなんて恥だ」とか思って。ほんで残すとシェル・マイオスが「残さないで全部食べないと(略)」とか言い、シュレーに「俺の作った飯が食えねえのか」ってゴハン・ハラスメントされるんだ。
あの四人で飯を食うというのは、案外面白いことなのだと思うなあ。
でもそんな、ごはん食うだけのファンタジーってなあ。まあ、企画物なら(^_^;)?
四部族の均衡は学院の食卓から生まれるっちゅう話よ。
って、ね、私、前回の記事の後半がかなり妄想垂れ流しすぎたんで、昨夜は反省したんですよ。「あー書かなきゃよかった(ゴロンゴロン)」とか一応思ったんですが。
また書いてるよね。そういう病気なんだよね?
もう、しょうがないか。すみません、独り言です。独り言なんです!! 見逃して!
というか、それを小説で書けば恥ずかしくないというのは、どういうことなんや。
2012年3月15日木曜日
乙女堂へようこそ
メインのメールアドレスとしてGmailを使用しています。
届かないメールがあったので、迷惑メールフォルダを見たら、そこにあったんですが、その他に、Mail Dwarfが送ってきた、メールフォームからのメッセージが何件も入っているのを見つけ、ギャーッてなりました……orz
ちょ、Googleさんよ……!
い、いえ、いつもお世話になっております……。
幸い、乙女堂へのパスワード請求メールでした。
これはMailDwarfに自動返信を設定しているものなので、肝心のパスワードは、お送りできているものと思います。
いただいたコメントにも、基本的にお返事していません。
こういうものは、機械的なほうがパスワード請求しやすいという意見を、開設当初に聞いたので、そういうふうにしているのです。
しかし勿論、毎回ありがたく読ませてはいただいておりまして、私の励みだったのに……Googleさんよ……。
でも心配ない。MailDwarfは優れたツールです。サーバーに、送信していただいたメッセージのログが残っています。そちらでちゃんと確認できました。
乙女堂は、今現在、完全に停止しております。ブログの更新すらありません。
ただのログ倉庫になっています。余裕がなくて、そっちまで手が回らないというのが正直なところです。なにせ本館さえ休止中なものですから。
でも、やめたいという事ではないので、しばらく放置ですが、このままあります。
しかし何書いていいか分かんなくなったというのも、ありまして。
これ多分、期待に応えられてないなというのは実感としてあるんだけど、じゃあ具体的にどうするといいのかなっていうのが、自分ではピンと来ないんですよね。
いろいろ修行が足りません。
でも、何か、乙女堂に限らずですが、今回いただいていたメッセージ等を読ませていただいていると、「椎堂さん、とにかく何でもいいから何か書いたら?」というのが、皆様のご意見というか励ましとしてありまして、そうだな、とにかく何でもいいから何か書いたらいいな、と思いました。
それはそれで偉いんでしょうけども。
私もたぶん書きたかったのです。英雄らしい物語じゃなくても。自分にしか書けないような自分のための英雄譚を。
上手くて面白くて、ためになる物語は、私ではない誰かが書いてくれるでしょう。
こういう言い方はよくないかもしれませんが、面白い、良い作品を書こうというんではないんです。ただもう自分の中から垂れ流されてくるものを書き留めたようなのでもいい。誰が読んでどう思うかとか、そういうことは関係なくて、思いついたものを、ただ書きたいということでした。
それはとても楽しい作業です。
まして読んだ人にもそこそこ面白いと言ってもらえるというなら。
しかし育児というのも楽しくやりがいのある仕事で、育ちゆく我が子を見るにつけ、自分のような人間がやってのけられるなかに、この子が世に生まれでる手助けをするよりも、優れた仕事があるだろうかという気もします。子供を育てて、それが終わったときに、自分にはなにも残らなくても、それはまあ、それでいいかなみたいな。それはそれで十分、満足できる人生のようなね。
でもそれじゃあ人として、つまんないのかな、という。
今は、その二つの気分のせめぎあいです。
小説を書くというのは、自己表現したいという欲が必要な作業なのだと思います。
多少なりと、俺が俺がという貪欲さがないと、いいものなんか書けないんじゃないかな。
私にいま足りないのは、その欲ではないかと思います。
自分にしか書けない自分の物語を、この俺様が書き著してくれようぞという、ちょっとバカかみたいな、そういう意気ではないかと。
優しい読者さんからのコメントを見ていると、時折、皆さん、「椎堂さん、あなたにしか書けない物語がある。私はそれが好きだ」というような事をささやきかけてくれます。ありがたいことです。
私もですが、書く人は、極力それを真に受けるべきと思います。
自分がいかにしょーもない人かということは、本人が誰よりもよく知っているものですが、そう思っていては、たぶん小説なんて書けやしないのです。
いい気にならなきゃだめなのよね。
私は今ちょっと己の分を知りすぎてると思います。
そんな無駄な悟りなどひらかずに、元通りのバカになって、また書いたらいいと思います。
それにしても、今見ても思うけど、「紫煙蝶」のラストで、イルスはメッシナちゃんを口説いてもよかったんじゃないのかな?
書いていた時、なんだかイルスはすごく、あの娘に気があるような感じがしたのです。
でも、なんにも言わないのね。ちょっと意気地がないんじゃない?
それともあの後、気晴らしにどこか行く? とか誘ったのでしょうか? どうなの?
誘ってもいいと思うよ。そんなことをしている場合ではなかったか?
でも、お前ももう18歳ぐらいなんだろ。もうちょっとガツガツしろよって。
いろいろ心配になります。彼は、この物語を最初に書きはじめたころ、私よりずっと年上のお兄さんでしたが、今では息子のようなものです。おとなしくて引っ込み思案のイルスが、モテないっぽくて心配です。
うちの子にしたいランキングだったら、あの四人の中ではシュレーかな。なんかほっといても平気そうだしラクそうだから(^_^;) でもそういう子に限って、とつぜん世界征服を目論んだりして、一番ハラハラされられたってオチなのかもしれません。
昔は、リューズ・スィノニムの親ばかっぷりが異常と思っていたけど、今は、「あれっ、割とふつうじゃね(・∀・)?」って思います。
私も遠くの寄宿学校に子供を送り込むのなら、仲良くできそうな子と同室になってくれるといいなと思います。うんうん。思う。でも、思うけど、だからって学校に電話して「うちの子を○○くんと同室にしてくれなかったら火つけてやる」みたいな事はさすがにできない。異常すぎて。
リューズはやっぱ異常な親なんだな。でも父上はあれでいいと思うよ。フィクションなんだし、実在の人物じゃないから。
実在してたら保護者会で輝けると思うよ……。
そう考えると、序盤の族長会議で会ったヘンリックとリューズの会話は、入学説明会に呼ばれて来た親っぽいよね。そう思って、振り返ると、あのヘンリックは普通の人すぎてびっくりするよ。
親もいろんな人いるよね……。そんな新視点も加味されてしまったので、ずっと前からリテイクしたいと思っている、族長会議の章が、ただの保護者会になりそうで心配です。
リテイクして、序盤で、シュレーの叔父さん、ハルペグ・オルロイと、シェルのママを登場させようかと思っているんですが、どうしたもんかなあ。出だしで、序盤にはあまり登場しないキャラクターが四人も出てくるというのは、構成的にイケてないし、うーんうーんと思って止まっています。
そういえば、トルレッキオ学院の制服って、みんなは、いつ買ったんだろうね?
時代背景的に、いちいち仕立ててると思うんだけども。いつ採寸とかしたの?
改めて考えると、「不思議だね」っていうところが、大小すごく沢山あります。
最初、到着したばかりのイルスは、まだ制服持ってないほうが、リアルだったかもしれないよね。初対面のときのスィグルが、僕は部屋では民族衣装を着るからキーッみたいな話をわざわざしていたのは、学院の仕立て屋に自分用の制服を縫ってもらったばかりで、なにこの変な服と思って欝だったのかもしれないです。だって、元々、嫌々通う学校の制服が、例えば、かぼちゃパンツだったとかいうことになったら、そりゃ誰だってキレるよね。設定では、黒エルフは裾の長い服しか着ない民族だけど、トル学の制服はチュニック丈だから。殿下は実は足を出すのが恥ずかしかったのではないのか。生足じゃないけどさ。足のラインが出るのが「なにこれ!?」だったのかもしれないよ。行ってみたら制服がミニスカだったみたいなね……(どうでもいい新視点)
あれ、でも、そういう意味では、シュレーも裾長い服しか着たことないはずだけど、その割にはミニスカ制服に平気で耐えているよね。シェルも全然平気だったっぽい。あいつらおかしいよね。
そのへんの細かいところ、実は考えたことがないんですよね。私が中学生で草案を書いた時には、「学校なんだから制服あるだろ」的な、イージーな発想で書いていたと思うんだよ。
でも、今にして思うと、学校の制服とか学用品て、入学事前に、親が学校から連絡もらったり、説明会に行ったりして、リストをもらって、買い揃えたり作ったりしているんだよね。子供はまだ自分では用意できないのだからさ。そのへん本人たちが全然意識していないというのは、リアルでいいと思うけど、でも、そのあたりの経緯を念頭に書いてもよかったよね。
ということを、リアルで自分の子が小学校に持っていく「数え棒」っていう、太い竹串程度のプラスティックの棒100本に、1本づつ名前を書かないといけないとかいうのに直面して、初めて思いました。あと、体操服にアイロンプリントしないといけない校章も、どっちが上だかわからないという困難に直面しています。
ケータイのメールで先輩ママ友に聞けばすむ現代でも、けっこう困るのに、あんな中世みたいな世界で子供の学用品を不足なく揃えて送り出すというのは、相当に難しいことだと思うので、リューズが必要でもない訳のわからないものを、山ほど子供に持って行かせるのは仕方のないことだという気がする。そのくせ、肝心な、必要なものが無かったりするんだろうな。
持ち物に油性マジックで名前は書いていないと思うけど、だからその代わりに紋章とかがあんのかって、納得もしました。幼稚園の入園のときに、持ち物に「じぶんマーク」っていう目印をつけるんだけど、あれと原理的には同じだよね。紋章。
レイラスの学用品にはぜんぶ、ハチさんのマークがついてるんだな……。
学校ぐらい、私だって通ったことあるし。
と思っていたけど、実際自分でいろいろ経験するまで、私は「学校に行く」ということの全体像を見てはいなかったな、などと思います。
でも、見ていなかったからこそ書けるものでもあったかもしれないし。
今書くと、ぜんぜん違うものになったかもしれないですね。
あれ。なんだか久々に、「だから何?」みたいなことを延々書いてしまいましたが、脳ログ調子戻ってきたんじゃね?
訳が分からん長話ですみません。このへんでブチッと終了しよう。
では皆様また次回。
届かないメールがあったので、迷惑メールフォルダを見たら、そこにあったんですが、その他に、Mail Dwarfが送ってきた、メールフォームからのメッセージが何件も入っているのを見つけ、ギャーッてなりました……orz
ちょ、Googleさんよ……!
い、いえ、いつもお世話になっております……。
幸い、乙女堂へのパスワード請求メールでした。
これはMailDwarfに自動返信を設定しているものなので、肝心のパスワードは、お送りできているものと思います。
いただいたコメントにも、基本的にお返事していません。
こういうものは、機械的なほうがパスワード請求しやすいという意見を、開設当初に聞いたので、そういうふうにしているのです。
しかし勿論、毎回ありがたく読ませてはいただいておりまして、私の励みだったのに……Googleさんよ……。
でも心配ない。MailDwarfは優れたツールです。サーバーに、送信していただいたメッセージのログが残っています。そちらでちゃんと確認できました。
乙女堂は、今現在、完全に停止しております。ブログの更新すらありません。
ただのログ倉庫になっています。余裕がなくて、そっちまで手が回らないというのが正直なところです。なにせ本館さえ休止中なものですから。
でも、やめたいという事ではないので、しばらく放置ですが、このままあります。
しかし何書いていいか分かんなくなったというのも、ありまして。
これ多分、期待に応えられてないなというのは実感としてあるんだけど、じゃあ具体的にどうするといいのかなっていうのが、自分ではピンと来ないんですよね。
いろいろ修行が足りません。
でも、何か、乙女堂に限らずですが、今回いただいていたメッセージ等を読ませていただいていると、「椎堂さん、とにかく何でもいいから何か書いたら?」というのが、皆様のご意見というか励ましとしてありまして、そうだな、とにかく何でもいいから何か書いたらいいな、と思いました。
最近ちょっと親ばか汁に脳を冒されすぎてて、オカン・スイッチがオフになる瞬間がほとんどありません。「娘が娘が娘が可愛い可愛い」とかいう信号がひたすら脳内を流れています。それはそれで、良いことなんでしょうけど、常にそれっていうのも、なんか怖いよね。
私、何年か前に突然山ほどの原稿を書いていましたが、あの時期も勿論、育児中でした。今より忙しかったと思います。あの頃に比べたら今は暇だなという気もします。
でもまあ、忙しかっただけに、ストレスも解消したかったのかもしれません。
それもありますが、当時やっと人語を話しだした、ようせいのしまから来た、違いの分かる幼児と会話していて、うちの夫はカテゴリーとして絵描きなのですが、パパはお絵かきをする人だけど、ママはなにをする人なの? と、突然尋ねられたのです。
その時、「ママはあなたのお母さんでしょ」みたいな事を軽く答えたと思うんですが、娘が
「それだけ?」
って、お前にはほんとに失望したよみたいに言いやがるんですよ。
その時に、もう、なんかしらんけど、すごく衝撃を受けたんですね。
そして思い出したんです。「そういえば、私は小説を書く人やないか!!」と。
それくらいしか無いなというふうに思ったのです。それしか能のない人間が、それをやらないで、どうしようっていうのかなと。
たぶんその一両日中くらいに、「紫煙蝶」を一気に書いたんだったと思います。
なんだか良くわからない理由によって右脳への扉が開いたんだね……(^_^;)
自分の中に、普段の生活では全く使わないインナーワールドが、消えずに相変わらずあるのだなというのを感じたのです。
それは別に、一切表現せずに、自分の中にしまったままでも、幸せには生きていけると思います。そのことを思い出さなければ。
実際、私も、子供に「それだけ?」って言われなければ、忘れたままだったかもしれません。だってお母さんだし。育児や家事を一生懸命やるほうが偉いんだし。24時間体制でお母さんなほうが偉いっぽくね? 頑張るってそういうことじゃね? 育児は滅私奉公ということじゃ?
それはそれで偉いんでしょうけども。
でもまあ、必ずしも、そういう事でもないかもしれないですね。
「紫煙蝶」の最後のほうで、ジェレフの死を悼むエル・メッシナという少女が、
「私も欲しいの、自分の英雄譚《ダージ》が。なんでもいい、英雄らしい物語じゃなくても。自分が生まれてきたことに、意味があったと思えるような何か」という話を、めそめそ泣きながらイルスに話しますが、書きながら、ああ、まあ、そういうことやなと思いました。
私もたぶん書きたかったのです。英雄らしい物語じゃなくても。自分にしか書けないような自分のための英雄譚を。
上手くて面白くて、ためになる物語は、私ではない誰かが書いてくれるでしょう。
こういう言い方はよくないかもしれませんが、面白い、良い作品を書こうというんではないんです。ただもう自分の中から垂れ流されてくるものを書き留めたようなのでもいい。誰が読んでどう思うかとか、そういうことは関係なくて、思いついたものを、ただ書きたいということでした。
それはとても楽しい作業です。
まして読んだ人にもそこそこ面白いと言ってもらえるというなら。
しかし育児というのも楽しくやりがいのある仕事で、育ちゆく我が子を見るにつけ、自分のような人間がやってのけられるなかに、この子が世に生まれでる手助けをするよりも、優れた仕事があるだろうかという気もします。子供を育てて、それが終わったときに、自分にはなにも残らなくても、それはまあ、それでいいかなみたいな。それはそれで十分、満足できる人生のようなね。
でもそれじゃあ人として、つまんないのかな、という。
今は、その二つの気分のせめぎあいです。
小説を書くというのは、自己表現したいという欲が必要な作業なのだと思います。
多少なりと、俺が俺がという貪欲さがないと、いいものなんか書けないんじゃないかな。
私にいま足りないのは、その欲ではないかと思います。
自分にしか書けない自分の物語を、この俺様が書き著してくれようぞという、ちょっとバカかみたいな、そういう意気ではないかと。
優しい読者さんからのコメントを見ていると、時折、皆さん、「椎堂さん、あなたにしか書けない物語がある。私はそれが好きだ」というような事をささやきかけてくれます。ありがたいことです。
私もですが、書く人は、極力それを真に受けるべきと思います。
自分がいかにしょーもない人かということは、本人が誰よりもよく知っているものですが、そう思っていては、たぶん小説なんて書けやしないのです。
いい気にならなきゃだめなのよね。
私は今ちょっと己の分を知りすぎてると思います。
そんな無駄な悟りなどひらかずに、元通りのバカになって、また書いたらいいと思います。
それにしても、今見ても思うけど、「紫煙蝶」のラストで、イルスはメッシナちゃんを口説いてもよかったんじゃないのかな?
書いていた時、なんだかイルスはすごく、あの娘に気があるような感じがしたのです。
でも、なんにも言わないのね。ちょっと意気地がないんじゃない?
それともあの後、気晴らしにどこか行く? とか誘ったのでしょうか? どうなの?
誘ってもいいと思うよ。そんなことをしている場合ではなかったか?
でも、お前ももう18歳ぐらいなんだろ。もうちょっとガツガツしろよって。
いろいろ心配になります。彼は、この物語を最初に書きはじめたころ、私よりずっと年上のお兄さんでしたが、今では息子のようなものです。おとなしくて引っ込み思案のイルスが、モテないっぽくて心配です。
うちの子にしたいランキングだったら、あの四人の中ではシュレーかな。なんかほっといても平気そうだしラクそうだから(^_^;) でもそういう子に限って、とつぜん世界征服を目論んだりして、一番ハラハラされられたってオチなのかもしれません。
昔は、リューズ・スィノニムの親ばかっぷりが異常と思っていたけど、今は、「あれっ、割とふつうじゃね(・∀・)?」って思います。
私も遠くの寄宿学校に子供を送り込むのなら、仲良くできそうな子と同室になってくれるといいなと思います。うんうん。思う。でも、思うけど、だからって学校に電話して「うちの子を○○くんと同室にしてくれなかったら火つけてやる」みたいな事はさすがにできない。異常すぎて。
リューズはやっぱ異常な親なんだな。でも父上はあれでいいと思うよ。フィクションなんだし、実在の人物じゃないから。
実在してたら保護者会で輝けると思うよ……。
そう考えると、序盤の族長会議で会ったヘンリックとリューズの会話は、入学説明会に呼ばれて来た親っぽいよね。そう思って、振り返ると、あのヘンリックは普通の人すぎてびっくりするよ。
親もいろんな人いるよね……。そんな新視点も加味されてしまったので、ずっと前からリテイクしたいと思っている、族長会議の章が、ただの保護者会になりそうで心配です。
リテイクして、序盤で、シュレーの叔父さん、ハルペグ・オルロイと、シェルのママを登場させようかと思っているんですが、どうしたもんかなあ。出だしで、序盤にはあまり登場しないキャラクターが四人も出てくるというのは、構成的にイケてないし、うーんうーんと思って止まっています。
そういえば、トルレッキオ学院の制服って、みんなは、いつ買ったんだろうね?
時代背景的に、いちいち仕立ててると思うんだけども。いつ採寸とかしたの?
改めて考えると、「不思議だね」っていうところが、大小すごく沢山あります。
最初、到着したばかりのイルスは、まだ制服持ってないほうが、リアルだったかもしれないよね。初対面のときのスィグルが、僕は部屋では民族衣装を着るからキーッみたいな話をわざわざしていたのは、学院の仕立て屋に自分用の制服を縫ってもらったばかりで、なにこの変な服と思って欝だったのかもしれないです。だって、元々、嫌々通う学校の制服が、例えば、かぼちゃパンツだったとかいうことになったら、そりゃ誰だってキレるよね。設定では、黒エルフは裾の長い服しか着ない民族だけど、トル学の制服はチュニック丈だから。殿下は実は足を出すのが恥ずかしかったのではないのか。生足じゃないけどさ。足のラインが出るのが「なにこれ!?」だったのかもしれないよ。行ってみたら制服がミニスカだったみたいなね……(どうでもいい新視点)
あれ、でも、そういう意味では、シュレーも裾長い服しか着たことないはずだけど、その割にはミニスカ制服に平気で耐えているよね。シェルも全然平気だったっぽい。あいつらおかしいよね。
そのへんの細かいところ、実は考えたことがないんですよね。私が中学生で草案を書いた時には、「学校なんだから制服あるだろ」的な、イージーな発想で書いていたと思うんだよ。
でも、今にして思うと、学校の制服とか学用品て、入学事前に、親が学校から連絡もらったり、説明会に行ったりして、リストをもらって、買い揃えたり作ったりしているんだよね。子供はまだ自分では用意できないのだからさ。そのへん本人たちが全然意識していないというのは、リアルでいいと思うけど、でも、そのあたりの経緯を念頭に書いてもよかったよね。
ということを、リアルで自分の子が小学校に持っていく「数え棒」っていう、太い竹串程度のプラスティックの棒100本に、1本づつ名前を書かないといけないとかいうのに直面して、初めて思いました。あと、体操服にアイロンプリントしないといけない校章も、どっちが上だかわからないという困難に直面しています。
ケータイのメールで先輩ママ友に聞けばすむ現代でも、けっこう困るのに、あんな中世みたいな世界で子供の学用品を不足なく揃えて送り出すというのは、相当に難しいことだと思うので、リューズが必要でもない訳のわからないものを、山ほど子供に持って行かせるのは仕方のないことだという気がする。そのくせ、肝心な、必要なものが無かったりするんだろうな。
持ち物に油性マジックで名前は書いていないと思うけど、だからその代わりに紋章とかがあんのかって、納得もしました。幼稚園の入園のときに、持ち物に「じぶんマーク」っていう目印をつけるんだけど、あれと原理的には同じだよね。紋章。
レイラスの学用品にはぜんぶ、ハチさんのマークがついてるんだな……。
学校ぐらい、私だって通ったことあるし。
と思っていたけど、実際自分でいろいろ経験するまで、私は「学校に行く」ということの全体像を見てはいなかったな、などと思います。
でも、見ていなかったからこそ書けるものでもあったかもしれないし。
今書くと、ぜんぜん違うものになったかもしれないですね。
あれ。なんだか久々に、「だから何?」みたいなことを延々書いてしまいましたが、脳ログ調子戻ってきたんじゃね?
訳が分からん長話ですみません。このへんでブチッと終了しよう。
では皆様また次回。
2013年のスケジュール手帳
オリジナル手帳の制作を企画中という方からメッセージをいただきました。
ブログとツイッターで企画立案中だそうです。
ほぼ日手帳と、トラベラーズノートを併せたようなものを想定されているとのことですが、何がどのように併せられるのかは未公開のようです。
手帳って、毎年、売り場を見ると、ものすごく沢山の種類が発売されるのに、私にはなぜか常に不満があって、「これじゃない」という部分を我慢しつつ使うものです。そういう人は、私だけでなく、世の中にけっこう居られるようで、不思議ですね。種類が豊富なようでいて、手帳でどれも中身は同じだったりするのかもしれません。
私の理想のスケジュール手帳は、
代案として、今もっとも理想に近い使用感なのは、ほぼ日手帳WEEKSです。それとスマイソンのパナマノートの二冊持ちをしています。
ただWEEKSはちょっと私にとってはデカすぎるし、お言葉コーナーもいらないので(嫌いではないですが紙面がもったいない)、四月からはPLAY OFFの手帳と差し替えて試してみるつもりでいます。
スケジュール手帳のほうは、それで妥協ができそうですが、妥協ができないのが、二冊持ちしている雑記帳のほうでして。スマイソンのパナマノートはすごくいいんだけど、でも方眼紙ではありません。方眼紙もあればよかったんだけど。
これだといえるような気持ちのいい商品が他にないので、トモエリバー手帳用紙を紙屋さんから買って、自分で方眼を印刷して、糸かがり綴じして使うしかないみたいです。
もう、それで諦めてます。自分で作るのが結局は一番早いし。お金もかかりません。
ハードカバー装丁の作り方のクラスとかも参加してみましたし(ひそかにそんな活動もしていた椎堂さん)、人様に売るわけじゃない、自分用であれば、そこそこ納得いくものが作れるんじゃないのかなあ。
でも、仕様とコスパの合うものが安定供給で売られているのであれば、それは勿論、買って済ませたいのです。どうしても自分で作りたいわけではないので。むしろ作りたくない(;´Д`)めんどうくさいわ!
用紙を妥協して、ニチカの地質野帳でいいかなー等とも気持ちが迷っています。
ブログとツイッターで企画立案中だそうです。
- トモエリバー手帳用紙
- 糸かがり製本
- マンスリー&一日一ページ
- 方眼紙
ほぼ日手帳と、トラベラーズノートを併せたようなものを想定されているとのことですが、何がどのように併せられるのかは未公開のようです。
手帳って、毎年、売り場を見ると、ものすごく沢山の種類が発売されるのに、私にはなぜか常に不満があって、「これじゃない」という部分を我慢しつつ使うものです。そういう人は、私だけでなく、世の中にけっこう居られるようで、不思議ですね。種類が豊富なようでいて、手帳でどれも中身は同じだったりするのかもしれません。
私の理想のスケジュール手帳は、
- 年間プランナー&マンスリー&ウィークリー(レフト式)
- 方眼紙
- トモエリバー手帳用紙(クリーム)
- 糸かがり製本
- ノートページは別冊
- A6スリム(A6でも許容範囲内)
- 革装丁(合皮、型押し紙装丁、またはカバー使用でも許容範囲内)
- 角丸仕上げ
代案として、今もっとも理想に近い使用感なのは、ほぼ日手帳WEEKSです。それとスマイソンのパナマノートの二冊持ちをしています。
ただWEEKSはちょっと私にとってはデカすぎるし、お言葉コーナーもいらないので(嫌いではないですが紙面がもったいない)、四月からはPLAY OFFの手帳と差し替えて試してみるつもりでいます。
スケジュール手帳のほうは、それで妥協ができそうですが、妥協ができないのが、二冊持ちしている雑記帳のほうでして。スマイソンのパナマノートはすごくいいんだけど、でも方眼紙ではありません。方眼紙もあればよかったんだけど。
これだといえるような気持ちのいい商品が他にないので、トモエリバー手帳用紙を紙屋さんから買って、自分で方眼を印刷して、糸かがり綴じして使うしかないみたいです。
もう、それで諦めてます。自分で作るのが結局は一番早いし。お金もかかりません。
ハードカバー装丁の作り方のクラスとかも参加してみましたし(ひそかにそんな活動もしていた椎堂さん)、人様に売るわけじゃない、自分用であれば、そこそこ納得いくものが作れるんじゃないのかなあ。
でも、仕様とコスパの合うものが安定供給で売られているのであれば、それは勿論、買って済ませたいのです。どうしても自分で作りたいわけではないので。むしろ作りたくない(;´Д`)めんどうくさいわ!
用紙を妥協して、ニチカの地質野帳でいいかなー等とも気持ちが迷っています。
2012年3月14日水曜日
□おもしろい
このブログの各記事の最後に、
リアクション:□おもしろい
という行があって、クリックすると「おもしろい」の数字が加算されるんですが、これはせっかく押していただいても、筆者である私には何の通知もないものです。誰がいつ押してくださったのかも全く気づきようがないという、奥ゆかしすぎるシステムで、何の役に立つのかよく分かりません。
が、押してくださっている方がいらしたのに、今気づきました。ありがとうございます。嬉しいです!
これは、機能としては、控えめすぎでイケてないWeb拍手みたいなもの(お礼ページとかは一切ありません)です。
記事がおもしろかったら押してやってください。私が何かの拍子に気づいて嬉しくなります。(PC表示の時しか表示されていないと思います。)
でもちょっと奥ゆかしすぎて、さすがに気付けないと思い、Web拍手もブログサイドに設置してみました。
でも、これはこれで目立たなくて、いちいち押すのも面倒な位置なような気が……。
何かのタイミングに押していただけると嬉しいですし、連絡用に使っていただいても勿論かまいません。(これもPC表示限定だと思います。)
あと、ブログのコメント機能もありまして、こちらは今は管理人の承認後に表示される設定にしてあります。スパム対策で承認制にしていますが、状況を見て、スパムがあまりひどくないようでしたら、承認なしでも即時公開されるように変更するかもしれません。その時は改めてお知らせします。
公開されるコメント機能では気後れが、という場合は、ページ末のメールフォームをご利用ください。かなり下の方ですが。メールで管理人あてに送信されます。
返信はブログ上でしますので、差し支えないと思われる部分を引用することがあります。お名前は基本的にお出ししないんで、記名してくださっても、匿名でも、返信記事上では匿名になります。
と、まあ、なにかすごく「かまってほしそう」な椎堂さんのブログです。かまってかまって。かまうときはお気軽にどうぞ。ご都合のよい機能から、暇なときに随時かまってください。
Google+でかまってくれる人(オンノベ関連)も募集中なんですよ。
面白そうかなーという方は、よろしくご検討ください。
話は変わりますが、この春の私の花粉症は割とましです。昨年までは「死にそう」レベルでしたが、今年は一般的な程度です。もしかするとあれか、去年までのは更年期ってやつだったの?
あれは、立派なおばさんに生まれ変わったら元気になるものらしいので、早くも立派なおばさんに生まれ変わったのかな(^_^;)? 産みの苦しみでしたね。狼男が変身する時にもがき苦しむみたいなアレ?(※違います) これでとうとう真の勇者となったよ。
それでもインフルエンザからなかなか立ち直れず、気力が底ばいの日々が続いていましたが、そろそろやっと元気になってきました。
元気っていいな。元気があれば何でもできるってアニキも言ってるけど、というかむしろ元気がないと何もできないな……(かすれ声)
リアクション:□おもしろい
という行があって、クリックすると「おもしろい」の数字が加算されるんですが、これはせっかく押していただいても、筆者である私には何の通知もないものです。誰がいつ押してくださったのかも全く気づきようがないという、奥ゆかしすぎるシステムで、何の役に立つのかよく分かりません。
が、押してくださっている方がいらしたのに、今気づきました。ありがとうございます。嬉しいです!
これは、機能としては、控えめすぎでイケてないWeb拍手みたいなもの(お礼ページとかは一切ありません)です。
記事がおもしろかったら押してやってください。私が何かの拍子に気づいて嬉しくなります。(PC表示の時しか表示されていないと思います。)
でもちょっと奥ゆかしすぎて、さすがに気付けないと思い、Web拍手もブログサイドに設置してみました。
でも、これはこれで目立たなくて、いちいち押すのも面倒な位置なような気が……。
何かのタイミングに押していただけると嬉しいですし、連絡用に使っていただいても勿論かまいません。(これもPC表示限定だと思います。)
あと、ブログのコメント機能もありまして、こちらは今は管理人の承認後に表示される設定にしてあります。スパム対策で承認制にしていますが、状況を見て、スパムがあまりひどくないようでしたら、承認なしでも即時公開されるように変更するかもしれません。その時は改めてお知らせします。
公開されるコメント機能では気後れが、という場合は、ページ末のメールフォームをご利用ください。かなり下の方ですが。メールで管理人あてに送信されます。
返信はブログ上でしますので、差し支えないと思われる部分を引用することがあります。お名前は基本的にお出ししないんで、記名してくださっても、匿名でも、返信記事上では匿名になります。
と、まあ、なにかすごく「かまってほしそう」な椎堂さんのブログです。かまってかまって。かまうときはお気軽にどうぞ。ご都合のよい機能から、暇なときに随時かまってください。
Google+でかまってくれる人(オンノベ関連)も募集中なんですよ。
面白そうかなーという方は、よろしくご検討ください。
話は変わりますが、この春の私の花粉症は割とましです。昨年までは「死にそう」レベルでしたが、今年は一般的な程度です。もしかするとあれか、去年までのは更年期ってやつだったの?
あれは、立派なおばさんに生まれ変わったら元気になるものらしいので、早くも立派なおばさんに生まれ変わったのかな(^_^;)? 産みの苦しみでしたね。狼男が変身する時にもがき苦しむみたいなアレ?(※違います) これでとうとう真の勇者となったよ。
それでもインフルエンザからなかなか立ち直れず、気力が底ばいの日々が続いていましたが、そろそろやっと元気になってきました。
元気っていいな。元気があれば何でもできるってアニキも言ってるけど、というかむしろ元気がないと何もできないな……(かすれ声)
借りぐらしのアリエッティ
うちの娘が最近やっと、世の中に音楽CDというものがあることに気が付きました。
彼女は、生まれた時から家にiTunesがあり、音楽とは、Macかカーナビか携帯電話が演奏するものだと信じて生きてきました。もしくは楽器の生演奏です。
本人の談によれば、幼稚園に入った時に、「変だな」と思ったらしいです。
お昼寝やゴハンの時の音楽を、幼稚園の先生が、Macでもケータイでもない何かで鳴らしていたからです。
CDラジカセです。先生は、スピーカーにDVDみたいなのを入れて音楽を鳴らしいてるの、と娘は真面目な顔で話していました。うちの娘は、あの丸くて銀色のディスクには、動画か、写真のバックアップが入っているもので、映像媒体であり、音楽を収録してあるものだという認識が無かったようです。
物心ついた頃にはもう家にiPadがあり、NintendoDSの幼児ソフトで遊び、世の中のモニターは全てタッチパネルだと信じている世代です。
楽曲が、お金を払って買えるものだということを、つい先日まで知りませんでした。
親はiTMSで買っているんですが、その仕組は見ただけで幼児には分かりません。レジがあって現金を払っているわけではないので。「音楽はインターネットにいくらでもあるものだ」と娘は思っていたらしいです。
彼女が認識を新たにしたのは先日、オカンの用事につきあって、ツタヤに行った時でした。音楽CDが販売されている中に、彼女の好きなアニメ「借りぐらしのアリエッティ」のサントラCDがあったのです。
借りぐらしのアリエッティ サウンドトラック

「アリエッティのDVD売ってるけど、うちにあるのと形がちがうね……」と娘が物欲しそうに言うので、それは音楽CDだと教えたんです。そうしたら、それが物凄いカルチャーショックだったようです。
音楽って買えるの!?
と店で大音量で叫ばれました。
私が生まれて初めてiTMSでMP3データを買った時のような衝撃でしょうか。もしかすると、それ以上のものかもしれませんが。
「えっ、じゃあ、AKBの曲とか、売ってるの? 買ったら聴きたい時に聴けるの( ゚д゚)?」
と、娘はびっくりしていました。
そうさ、それが音楽産業さ。知らなかった……? そりゃそうだよな。教えてないもんな。
娘は、歌手やミュージシャンの人たちは、音楽はただで配り、コンサートやテレビ出演の仕事で生計を立てているのだと思っていたそうです。それフリーミアムじゃんかよ。時代を先取りしすぎ。
世代的に、インターネットには何でもあって、それを全て(一見)無料で使用できるというのに慣れすぎていて、データが販売されているという事実に思い当たらなかったらしいです。
夫にそれを話すと、それはそれでカルチャーショックだったようで、娘に教育的措置として、「借りぐらしのアリエッティ」のサントラCDを買い与えていました。
……Amazonで。
それ、店で現金払って買ったほうがよくない?
娘はAmazonの人はいつもただで本やDVDを送ってくれる親切なオッサンだと思っているような気がすんのよ。デジタルマネーを子供に理解させるのは難しいと思うよ。なにしろ娘は、パパは毎日会社で遊んでるんだと思ってんだからね?
しかもAmazonから届いたCDのデータは即座にiTunesに読み込んでiPadに入れて子供に渡してるしさ。それじゃ今までと何一つ変わらねえじゃんよ。
しかしうちにはCDプレイヤーが存在しないので仕方がないんです。いちいちDVDプレイヤーで聴くのも面倒くさいしiPadのほうが便利です。最近、AppleTVも導入されたので、子供の目には、一体何がデータを再生しているのか、いま鳴っている音楽データは一体どこに存在しているのか、ますます分からない状況になってきています。まさに、Music in the Air、音楽はどこともしれぬ天空から鳴っているのです。
そしてその、「借りぐらしのアリエッティ」ですが。
巷での評判はどうだったのでしょうか。あまり良い評価を聞いたことがないんですが。
うちの子には好評でした。神戸で開催された、アリエッティ展を見に行った効果もあったかもしれません。アリエッティの世界の実物大セットが組まれ、自分自身が床下の小人になったような気分が味わえる面白い展示でした。
ジブリ版のストーリーは、なんとなく、要約すると「だから何」みたいな、どれがオチなの、みたいな、雰囲気重視の内容でしたが、私には、いい作品だったような気がします。
結論があるようで無い、というか、無いようで、あるというか。見る人それぞれが何かてきとうに自分なりの結論を考えればいいような作品でした。それでいて、何がしかの情動を観る人の心に強く喚起する内容でした。言葉ではうまく説明できない種類の感情です。理屈で解説しようとすると、逃散ってしまうような何かが、行間にある作品になっていたんではないでしょうか。
DVDを一生懸命見て、スタッフロールが尽きた後、うちの娘は「アリエッティって、どろぼうじゃない?」と真面目な顔で悩んでいました。「あれ、借りてないよね。盗んでいるんだよね。それとも誰も見ていないところでお金を払ったり、借りたものを返したりしているの?」と。
それはとても難しい話やなと思いました。
アリエッティは人間ではありません。位置づけとしては野生動物です。
小鳥がどこかから飛んできて、テーブルの上のパンをつついて食べたり、少し巣に持ち帰っても、おまわりさんは小鳥を牢屋に入れません。
小鳥は人間じゃないから。
でももしアリエッティの家族を、我々と同じ社会の構成員とみなすのであれば、あれは泥棒でしょうね。
ちょっとだけなら盗んでもいいという事には、親として、教育上できません。
そういう、親が子供に質問されて言いよどむような内容であったのが、それはそれで良かったのではないかと、私は思いました。
答えは、子供が自分で考えりゃいいのです。私は親なので、親としての立場からの意見を言いますが、(たとえば「人のものを盗むのはいけないわ」とか) そういう、人から与えられる考え方ではなく、自分で考えた自分の考えを持つキッカケをくれるというのも、フィクションの重要な役割であろうと思います。
人んちのクッキーを勝手に持って帰って良いか。
それは幼児にとっては非常に卑近で深刻な問題であり、よい題材でした。
娘は、「アリエッティは勝手にとらないで、男の子やおばさんに、もらっていっていいですかってきけばよかった」と、ちょっと怒っていました。
それは六歳という年齢からすると、正しい答えでした。
また人生の折々にこの物語を反芻して、その時々なりの答えを出すとよかろうと思います。
最後に、ママ、妖精はいるの? と娘が聞くので、
妖精はアヴァロンにいる、と答えておきました。
不思議な話ですが、うちの娘がやっと人語を話しだした頃に、まだ新しい人なので、自分が生まれた時のことを覚えているとかいう説もあることだし、試しに聞いてみようと思い、「お前は生まれる前はどこにいたんだ」と聞いてみました。
その時、うちの娘は、「ようせいのしまにいた」と即答しました。
というわけで、人間は生まれる前、アヴァロンにいるようです。
何がどうなって、そういう答えになったのか、今もって分かりませんが、それは素敵な話だったので、「なるほど、そうか」と答えておきました。
娘は今、その事を覚えていないそうです。そのような会話をしたことも、そう答えたことも、全く記憶にないといいます。
彼女もやっと、この世の人間として生きていくことが決まったようです。
昔の人は、七歳までは神のうち、つまり今の満年齢でいう六歳ごろまでは、子供はまだ完全にはこの世の人間ではないというふうに考えたらしいですが、まさに、こういうこと?
ようこそ、この世へ。
妖精の島に比べると、これといって面白くもない、しんどいばかりの浮世ですが、素敵な音楽や物語があれば、そこそこ楽しく生きていけるものと思います。
少なくとも音楽は、我が家では今日も天空から鳴り響いています。
次はヘビーローテーションがヘビーローテーションする事になるかもしれませんが、娘をお店につれていって、現金でCDを買ってみせようと思いました。
彼女は、生まれた時から家にiTunesがあり、音楽とは、Macかカーナビか携帯電話が演奏するものだと信じて生きてきました。もしくは楽器の生演奏です。
本人の談によれば、幼稚園に入った時に、「変だな」と思ったらしいです。
お昼寝やゴハンの時の音楽を、幼稚園の先生が、Macでもケータイでもない何かで鳴らしていたからです。
CDラジカセです。先生は、スピーカーにDVDみたいなのを入れて音楽を鳴らしいてるの、と娘は真面目な顔で話していました。うちの娘は、あの丸くて銀色のディスクには、動画か、写真のバックアップが入っているもので、映像媒体であり、音楽を収録してあるものだという認識が無かったようです。
物心ついた頃にはもう家にiPadがあり、NintendoDSの幼児ソフトで遊び、世の中のモニターは全てタッチパネルだと信じている世代です。
楽曲が、お金を払って買えるものだということを、つい先日まで知りませんでした。
親はiTMSで買っているんですが、その仕組は見ただけで幼児には分かりません。レジがあって現金を払っているわけではないので。「音楽はインターネットにいくらでもあるものだ」と娘は思っていたらしいです。
彼女が認識を新たにしたのは先日、オカンの用事につきあって、ツタヤに行った時でした。音楽CDが販売されている中に、彼女の好きなアニメ「借りぐらしのアリエッティ」のサントラCDがあったのです。
借りぐらしのアリエッティ サウンドトラック
「アリエッティのDVD売ってるけど、うちにあるのと形がちがうね……」と娘が物欲しそうに言うので、それは音楽CDだと教えたんです。そうしたら、それが物凄いカルチャーショックだったようです。
音楽って買えるの!?
と店で大音量で叫ばれました。
私が生まれて初めてiTMSでMP3データを買った時のような衝撃でしょうか。もしかすると、それ以上のものかもしれませんが。
「えっ、じゃあ、AKBの曲とか、売ってるの? 買ったら聴きたい時に聴けるの( ゚д゚)?」
と、娘はびっくりしていました。
そうさ、それが音楽産業さ。知らなかった……? そりゃそうだよな。教えてないもんな。
娘は、歌手やミュージシャンの人たちは、音楽はただで配り、コンサートやテレビ出演の仕事で生計を立てているのだと思っていたそうです。それフリーミアムじゃんかよ。時代を先取りしすぎ。
世代的に、インターネットには何でもあって、それを全て(一見)無料で使用できるというのに慣れすぎていて、データが販売されているという事実に思い当たらなかったらしいです。
夫にそれを話すと、それはそれでカルチャーショックだったようで、娘に教育的措置として、「借りぐらしのアリエッティ」のサントラCDを買い与えていました。
……Amazonで。
それ、店で現金払って買ったほうがよくない?
娘はAmazonの人はいつもただで本やDVDを送ってくれる親切なオッサンだと思っているような気がすんのよ。デジタルマネーを子供に理解させるのは難しいと思うよ。なにしろ娘は、パパは毎日会社で遊んでるんだと思ってんだからね?
しかもAmazonから届いたCDのデータは即座にiTunesに読み込んでiPadに入れて子供に渡してるしさ。それじゃ今までと何一つ変わらねえじゃんよ。
しかしうちにはCDプレイヤーが存在しないので仕方がないんです。いちいちDVDプレイヤーで聴くのも面倒くさいしiPadのほうが便利です。最近、AppleTVも導入されたので、子供の目には、一体何がデータを再生しているのか、いま鳴っている音楽データは一体どこに存在しているのか、ますます分からない状況になってきています。まさに、Music in the Air、音楽はどこともしれぬ天空から鳴っているのです。
そしてその、「借りぐらしのアリエッティ」ですが。
巷での評判はどうだったのでしょうか。あまり良い評価を聞いたことがないんですが。
うちの子には好評でした。神戸で開催された、アリエッティ展を見に行った効果もあったかもしれません。アリエッティの世界の実物大セットが組まれ、自分自身が床下の小人になったような気分が味わえる面白い展示でした。
ジブリ版のストーリーは、なんとなく、要約すると「だから何」みたいな、どれがオチなの、みたいな、雰囲気重視の内容でしたが、私には、いい作品だったような気がします。
結論があるようで無い、というか、無いようで、あるというか。見る人それぞれが何かてきとうに自分なりの結論を考えればいいような作品でした。それでいて、何がしかの情動を観る人の心に強く喚起する内容でした。言葉ではうまく説明できない種類の感情です。理屈で解説しようとすると、逃散ってしまうような何かが、行間にある作品になっていたんではないでしょうか。
DVDを一生懸命見て、スタッフロールが尽きた後、うちの娘は「アリエッティって、どろぼうじゃない?」と真面目な顔で悩んでいました。「あれ、借りてないよね。盗んでいるんだよね。それとも誰も見ていないところでお金を払ったり、借りたものを返したりしているの?」と。
それはとても難しい話やなと思いました。
アリエッティは人間ではありません。位置づけとしては野生動物です。
小鳥がどこかから飛んできて、テーブルの上のパンをつついて食べたり、少し巣に持ち帰っても、おまわりさんは小鳥を牢屋に入れません。
小鳥は人間じゃないから。
でももしアリエッティの家族を、我々と同じ社会の構成員とみなすのであれば、あれは泥棒でしょうね。
ちょっとだけなら盗んでもいいという事には、親として、教育上できません。
そういう、親が子供に質問されて言いよどむような内容であったのが、それはそれで良かったのではないかと、私は思いました。
答えは、子供が自分で考えりゃいいのです。私は親なので、親としての立場からの意見を言いますが、(たとえば「人のものを盗むのはいけないわ」とか) そういう、人から与えられる考え方ではなく、自分で考えた自分の考えを持つキッカケをくれるというのも、フィクションの重要な役割であろうと思います。
人んちのクッキーを勝手に持って帰って良いか。
それは幼児にとっては非常に卑近で深刻な問題であり、よい題材でした。
娘は、「アリエッティは勝手にとらないで、男の子やおばさんに、もらっていっていいですかってきけばよかった」と、ちょっと怒っていました。
それは六歳という年齢からすると、正しい答えでした。
また人生の折々にこの物語を反芻して、その時々なりの答えを出すとよかろうと思います。
最後に、ママ、妖精はいるの? と娘が聞くので、
妖精はアヴァロンにいる、と答えておきました。
不思議な話ですが、うちの娘がやっと人語を話しだした頃に、まだ新しい人なので、自分が生まれた時のことを覚えているとかいう説もあることだし、試しに聞いてみようと思い、「お前は生まれる前はどこにいたんだ」と聞いてみました。
その時、うちの娘は、「ようせいのしまにいた」と即答しました。
というわけで、人間は生まれる前、アヴァロンにいるようです。
何がどうなって、そういう答えになったのか、今もって分かりませんが、それは素敵な話だったので、「なるほど、そうか」と答えておきました。
娘は今、その事を覚えていないそうです。そのような会話をしたことも、そう答えたことも、全く記憶にないといいます。
彼女もやっと、この世の人間として生きていくことが決まったようです。
昔の人は、七歳までは神のうち、つまり今の満年齢でいう六歳ごろまでは、子供はまだ完全にはこの世の人間ではないというふうに考えたらしいですが、まさに、こういうこと?
ようこそ、この世へ。
妖精の島に比べると、これといって面白くもない、しんどいばかりの浮世ですが、素敵な音楽や物語があれば、そこそこ楽しく生きていけるものと思います。
少なくとも音楽は、我が家では今日も天空から鳴り響いています。
次はヘビーローテーションがヘビーローテーションする事になるかもしれませんが、娘をお店につれていって、現金でCDを買ってみせようと思いました。
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