2012年7月31日火曜日

evernoteにいろいろ入れる

私にはevernoteの活用方法がイマイチ分かってない。今、いろいろ試してみている。

気に入ったお店のショップカードをもらってくる癖がある。紙モノが好きなので、ショップカードそのものが欲しくて貰うわけだが、ものすごく溜まるし、整理もしないと、ただのゴミになってしまう。
(整理したところで、大抵の場合は実質ゴミだったりするのだが。)

SHOT NOTEにショップカードを乗せて、専用アプリで撮影したのを、evernoteにUPしてみた。
いい感じだ。

iPhoneのスキャナーアプリ(無料のやつ)で撮ってupするのも試してみた。
別にこれでもいいな。

ショップカードを捨てるための儀式みたいな感じだから、別にただ写真に撮るだけでもいいのかもしれない。その一段階を踏むことで、モノへの未練を断ち切れる。そういえば、儀式って元々そういうものだよね。

実際のお店の情報は、いまどき、公式のサイトやブログがあって、その都度ググって見るほうが、情報も最新だし間違いがない。
なのになんで私はショップカードを貰ってくるのか。妙な所有欲だと思うけど。でも、貰うと、その瞬間幸せなので、たぶん一生やめないんだろうな。

お店とか人への、賞賛のアピールなんだろうとは思うけど。
「この店が気に入りましたよ」「あなたの作品が好きですよ」という意思表示として、ショップカードや作家の名刺を貰ってくるんだと思うし、カードをもらっていいですかって聞くと、「どうぞ」というその瞬間、貰われるほうの人も嬉しそうなような気がする。
だから一種のコミュニケーションなんだろうね。

でも、それをずっと保管しておくには、今の世の中、モノも情報も溢れすぎてる。
昔々の恋人たちが、初めてデートしたバーのコースターを思い出に貰って帰って、一生とっておくというような情緒は素敵だが、それが物体として手元にあるべきかは、難しい。モノにもよるし、人にもよるし、時と場合にも、ライフスタイルにもよる。

うちの夫は昔々アップルストアでもらった林檎製品のパンフレットなども後生大事に保管しているが、それはバーチャルではダメなのか?
ムームー星人の縫いぐるみは本当に要るのか?
バーチャルボーイはもう捨てよう?
それがダメなら、せめてスペースバズーカを捨ててほしいのよ。
あの世にスペースバズーカを持っていくことはできないわ。
私たち、長生きしたって、あと3、40年で世を去る定めよ。人生の半分はもう使い終えたのよ。
自分が死んだ後、娘にスペースバズーカを処分する粗大ごみ費用400円を払わせるつもり?(京都市では粗大ごみは有料です)
自分で捨ててよ。

そう説得するのだけど、夫は永遠に生きるつもり。スペースバズーカとバーチャルボーイと、アップルの古いパッケージやチラシと共に。

と、人のことを言うのは簡単なんだけど、私も相当に無駄な廃棄物を後生大事に持ってるよ。私には宝物なんだけどさ。でも客観的にはゴミだよね。
その処分の手間を考えると、残していいのは思い出だけ。面倒な処分は本人がやっとけというのがあるなあ。

とはいえ、大好きな無駄なものに囲まれて生きる幸せって捨てがたいし、それだって人生の喜びなんだから、バーチャルでOKなものは、evernoteに突っ込んでおいて、満喫する方向が、手軽でいいよねえ。

もちろん、evernoteには実用的なメリットが沢山あるんでしょうが。非実用のメリットもあるな。

実用のメリットでは、手持ちの着物や帯や、気に入ったコーディネートを写真に撮って、evernoteに入れておいて、翌年の同じ季節に参考にしたりします。着る時にコーディネートに悩まないので時短できる。

活用しようと思えば、実に様々な用途があって、まさに外部脳なんだなって分かるけど、evernoteが消えたらどうなるんだろう?
クラウド時代、そんなことは愚問なのかな。ローカルにバックアップは不要なの?

もっとも、自分が管理してる自宅のハードディスクより、プロが管理してるデータセンターのほうが、何倍も安全ていうのは、あるかもしれない。
他人に情報管理を依存するリスクとかいう以前に。データをロストするリスクは、自宅のハードディスクのほうが高いのかもしれない。

そういう意識になったのは、私の場合、東日本大震災で、自宅もデータも失ってしまった人が、たまたまオンラインストレージに置いていた子供の写真だけは残ったというようなエピソードを聞いたからだけども。

自宅のバックアップが案外あてにならないっていうのは、あるなあ。

2012年7月30日月曜日

ED!T(エディット)のことで、まだ悩んでいる

一個前の記事の続き。

MARK'sの手帳、ED!T(エディット)に乗り換えられないかと、試してみた。
紙がトモエリバーだし、大きさがちょうど好みだというので買ったのだが、使いこなせず。

行間が狭いので、小さい字で書けば良いんだわと、小さい字で試し書きしてみた。
頑張れば書けるが、やはり私が頑張らずに何気なく書く字のサイズよりも、若干小さくないと無理で、書くのにエネルギーがいる。

使用例をググってみたら、とりあえず公式で提供されてる記事しか見つからなかったが、皆さん、日記のような、すでに起きた出来事の記録というよりは、未来の予定を書き込んで使っているっぽい。
ぎっしり日記ではなく、ゆったりとスケジュール帳使用。時間刻みの詳しいスケジュールやチェックリストを、一日一ページ、ゆったりたっぷり書いて、場合によっては出先に携帯する使い方をする人向けかなあって印象があった。
「使い方はあなた次第」とは言え、やはりメーカー側で開発時に念頭に置いた用途ってあったのかなあ。
私には、そこまでたっぷりとしたスケジュール帳は必要ではないし、ED!Tを持ち歩くのは無理だ。
トモエリバーだっていうので思わず飛びついてしまったが、対象外ユーザーっぽい自分を感じるな。

レシートを貼り付けて家計簿使用という使用例も紹介されていて、その用途なら私にも使えるかなと思うが、自分の場合、そのためにわざわざED!Tを買おうというほどの相性は感じてないなー。

日記として、私にも使えないことはないが、同じ用途なら、ほぼ日手帳カズンのほうが記入時のストレスがないので、合ってるんだなという事を納得せざるをえない( ;´Д`)
でもデカすぎるのはどうすれば。
それを我慢すりゃいいのか!

ED!Tに日記っぽいものを書き込みしてて感じたけど、紙面の上下にけっこう広めの余白があって、ページも180度開くってほどでもないし、したがって左右もみっちり書くわけじゃない。
見た目よりも、書ける量が少ないような気がした。
それでも、ほぼ日手帳オリジナルよりは沢山書けるんだけど、罫線と相性良くない私としては、あともうちょっと書く内容を要約したり省いたりして、ほぼ日手帳オリジナルの方眼書くか、デカいカズンの紙面に思うさま無駄な事を走り書きするほうが、幸せなんじゃない? という悟りの時が近づいてきた実感があった。

カズンの使い道がなかったバーチカル・ウィークリーのページには、ED!T家計簿のネタをパクって、出納帳をつけてもいいな、と思った。
今は金銭関連は別のノートに書いてるが、カズンの余ってるウィークリーページに書きゃいいんだな。週ごとのお金の流れも見やすいし。今まで思いつかなかったが、それも一案だ。

で。
結局、ED!Tはどう使えばいいんだろう、私は。
「もうずっとカズンでいくんだ」って覚悟を決めるための踏み台みたいになった。ごめんよED!T……。


でも本音を言えば、ほぼ日手帳の方眼で、毎日のお言葉は無しで、B6ぐらいのサイズのトモエリバー紙の、一日一ページのノートを作ってくれれば、そのほうがいい。日付は日本語表記で。
年間計画とマンスリーぐらいは付いていると便利そう。
別冊で住所録とか追加ノートがあるといいな。地下鉄の路線図とかは要らないや。要る時は自分で印刷するし。スマホで随時、調べればいいし。
それでも、頻用するデータって人それぞれあるから、必要に応じて自分で追加した情報ページをとじられるように、クリアフォルダかスクラップブックのページまたは別冊オプションと、それを挟める、トラベラーズノートのゴムみたいなのがカバーについてるといいのに。
革のカバーかけたいので、ノート部分だけ毎年レフィルで出してくれるといいなあ。

要望多いな……。
いろんな手帳のいいとこどりみたいなの無いのかな。
特許とかあって無理なのかな。

使う人それぞれに、各人の詳しい要望はあるんだろうし、それの最大公約数を採ると、誰にとっても、痒いところを撫でさする程度の、「もうちょっと、こう……( ;´Д`)!」っていう、もどかしい何かになるんだろうなあ。
誰かのツボにジャストミートしてると、返って別の誰かには使いにくいってあるんだろうし。
それでも、私の好みにジャストミートしてほしい。それが皆の本音。

ほぼ日手帳カズンを来年も買うかで悩んでいる

大抵の人にとっては、どうでもいいことだろうに、毎年、「手帳どうする?」という件で悩んでいる。まだ7月なのに、もう悩んでいる。

本人はツラいのだが、傍目にはたぶん、好きで悩んでいるようにしか見えない。そして、たぶん、実際にも、好きで悩んでいる。しかし、精神的にツラいのも事実なのだ。だからたぶん、マゾヒスティックな喜びの一種と思う。

私が書きたいから書くけど、誰も興味ないのは知っています!

さて、私は今年、ほぼ日手帳カズンを日記帳として、ほぼ日手帳WEEKSを持ち歩き用のスケジュール帳として使用している。
WEEKSには未来の予定を書く。レフト式のウィークリー仕様なので、ウィークリー部分には当然、週の予定を。左側のノートページには、その週のToDoと、必要事項のメモを書く。
礼状を送るなら相手先の住所、子供が遠足に行くなら、持ち物のチェックリスト。備忘録としての覚え書きも書く。書き切れないボリュームの記事は巻末のノートに書き込み、その旨を注記するという感じ。
ここには基本、予定と事実のみを書き込み、日記的なことは書かない。

WEEKSは私にとって、持ち歩き用としては微妙にデカい。カバンの中で嵩張る。そして、「今週のお言葉」が邪魔。しかし今のところ、紙面の広さが自分の予定記入に最適であるし、これを超える使い勝手のものと出会えていない。だからもう諦めた。来年も再来年も、ほぼ日手帳WEEKSを買い続ける惰性の女になる。

しかし日記帳である。
ほぼ日手帳カズンはデカい。
デスクノートとして使っているので、デカくても差し障りはないのだが、自分にとっては愛せるサイズを微妙に外している。モレスキン・ラージくらいのサイズが気持ちいい。(だがモレスキンの紙が嫌いだ)
でも、そうは言いながら、カズンの紙面が広過ぎて余るかというと、余らない。むしろビッシリ書いてる。ものを書くのが好きなので、紙面がある限りビッシリ書いちゃうのだ。時間と気力と紙面が許す限り書いちゃう。
だから逆に紙面を狭くすれば、日記も手短かに纏めるようになる。制限文字数に収まるように要約する能力は一応あるみたいなのだ。
したがって、カズンのサイズが本当に必要なのかは自分でも分からない。

カズンの「要らないページ」問題も、私には気になる。マンスリーと、バーチカルウィークリーページを、私は使っていない。それがどれくらいのページ数なのか、試しに見てみたら、カズンの3分の1に及ぶ量だった。
もったいなくね?
そう思うのはケチすぎ?
でも、トモエリバーは比較的、高価な紙だし、書き心地がいい。使わずにおいておくのだと、もったいない感がある。

ググったら、バーチカルなウィークリーページに、一日の簡単なライフログを書いている人がいた。予定ではなく、日記として使っているということだ。
なるほど、そういう使い方もあるなと参考になった。
同じものを私は、一日一ページのほうに書いているのだが、それをウィークリーのほうに書いて、一日一ページのほうは、単純に記事だけ書くようにすればいいんだな。
同日の出来事が別々のページに分かれるのって、微妙に面倒くさいが、大量に余っていたページを使いこなしちゃった的な満足感と、「別ページ開いて書くのメンドクサ」というモノグサさと、どっちが自分の中で優先されるか、やってみりゃ分かる。(モノグサが勝ちそうな予感がする程度には怠け者なんだが…)

マンスリーが余るのは、気になるが、見開きで12ヶ月ぶん程度なら、見なかったことにできる程度には、私はいいかげんな女のはずだ。大丈夫、耐えられるわ、かおる!

そうやって来年もカズンを使うか。
それとも要約能力を「強」に設定して、ほぼ日手帳オリジナルに戻すか。
去年はオリジナルを日記&スケジュール帳として使用していたのだが、自分の話が長過ぎて、「こんなちっせーノートに書ききれるかっちゅうの!」とキレたことや、ジェットストリームで書き込んでページがゴワゴワしていく感じに快感を覚えたものの、ノート後半になると、ゴワゴワで膨らんだノートが書きにくくて若干キレ気味になる日があったり、持ち歩く時に邪魔過ぎたりと、どうもなんとなく、ほぼ日ワールドの住人になり切れない自分を感じたので、カズン&WEEKS併用に切り替えたのである。

それを思い返すと、オリジナルに戻るっていうのは、「バカなの?」という感じがしなくもないが、私の考え過ぎかもしれないので、身近にいた夫に事情を説明して意見を求めてみた。
すると「その話だと、お前が来年の夏頃にキレるのは確実だと思うから、アホなことはするな、かおる」とのことだったので、ムカっとした。
オリジナル版のほうが小さくて可愛いやん? いや、まあ、女子っぽい豆字とか書けない私がいけないんだけど。それでもアンタに言われたくないわ! などと八つ当たりをして発散したところで気を取り直し。

エディット(ED!T)はどうなの?
ほぼ日手帳と同じく、トモエリバー紙を使用した一日一ページの日記帳である。
本体サイズが、大きすぎず小さすぎずで美しいし好みだ。付属のカバーも綺麗だし好きだ。
ということで、脱・カズンを目指して購入したのだが、「罫線狭すぎ……」と歯ぎしりしたいような使用感だった。
豆字を書けない女子力のなさが、ここでも浮き彫りとなる。
では一行飛ばしで書けばいいのではないかと試した。
それだと行間があきすぎて気持ち良くない。
では罫線を無視すればいいのではないか?
それも試そうとしたが、添付写真のような、無視しやすいようにと塩梅されているに違いない薄味のドット罫線であるにも関わらず、世間の敷いたレールを無視できない弱い自分がいる。どうしても罫線が見える。罫線に沿って書いちゃう。書いちゃうんだよ!!

方眼罫なら無視できるんだよ。無地と認識することもできるし、必要に応じて、罫線として使用することもできる。
だから方眼罫が好きなのだが。それだと、ほぼ日手帳の思う壷なのだが。
悔しいと思うけど。
でも実際、思う壷なんだよ。

MARK'sさんは、どうしてED!Tを方眼紙にしてくれなかったんだろうなあ……。
世の中の人は、方眼よりは罫線が好きなのか。
それとも方眼紙だと、「ほぼ日手帳すぎるじゃない…」みたいなのがあるのか。
でも、そこは、利便性から割り出された結論ということで、サメとイルカの形が似てるようなものなんじゃないのか。ということじゃダメなのか。
私がそれを悩んでも、なんの意味もないが。

もう一度、ED!Tとやり直してみる気はないのか、私。
豆字を書けばええやないか、かおる!
慣れればできるはずだ。
使い慣れれば愛着が湧くはずだ。
そして、「デスクに置いてあるカズンがデカすぎる」というストレスから自分を解き放つことができるのだぞ!

そのように思うので、ED!Tと再び仲良くする人格改造を本日より試みてみることにした。

素直にカズンで妥協すればいいという気がしなくもない。
でも何となく、何故かは分からないけど、「スケジュール帳も日記帳も、ほぼ日手帳なんです。毎年リピートしています」というのが恥ずかしいのだ。何故!? 別にいいじゃん!
でもなぜか抵抗したいの。

それが「使うノートは全てモレスキンです(フッ)」というのなら耐えられるの。なんかいいな、ホワワワン♪みたいに思うの。(でもモレ紙には耐えられなくて轟沈)

でもそれがほぼ日手帳だと「結局俺が便利なんだろ、分かってるんだよ」みたいなノートな気がしてね。
「そうよ、結局、あなたしかいないの……!」(※雨の中、誰もいない石畳みにずぶ濡れでくずおれて泣き叫ぶ)って素直になるくらいなら、チラシの裏に予定を書いてやるみたいな気持ちが暴走するの。

夫には、「かおる、お前、めちゃめちゃ楽しそうやな」と言われました。
たぶん、ほめてるんじゃない。
でも楽しいです。

体力が回復したのか、記事内容が、バカ大爆発みたいになってきました。
大丈夫、それがいつものペースだ。

2012年7月28日土曜日

忘れられない一日になりそう

ロンドン・オリンピックが開幕しました。
そんな早朝、我が家のダイニングキッチンのクーラーが壊れました。排水にトラブルがあって水漏れします。
うちのオカン様がさ、オリンピック観ようと思って早起きしたら、床が水浸しだったんだって。
おいら、激怒したオカンに叩き起こされたよ。
私、なにも落ち度はなくないですか?
なんかちょっとイルスの気持ちが分かる。というか、あれも私の中で作られたものだったんだなって実感する。
「起きろよイルス、なに呑気に寝てるんだよ! 一階のエアコンが壊れてて床が水浸しだよ! オリンピック観られないじゃないか。僕が溺れ死ぬ前になんとかしろよ!」とかいう人が早朝バーンて部屋に踏み込んできても、「わかったなんとかするから喚くのはやめてくれ」程度しか言えないんだもんな。

イルスは優しいんじゃなくて、「言っても無駄だと知っている」んだということが今朝わかりました。私は自分の消耗を最小限にしたいだけでした。

ビルトインのエアコンなので、少々ややこしいです。
メーカーの24時間サポート窓口に電話したら、「修理依頼が混み合っておりますので、修理は最短でも月曜日になりますが、よろしいですか?」と言われたので、きっぱりと「いいえ」と答えてみました。
ぜひ今日お会いしたい。
駄目もとで頼んだら、修理の担当者さんが、夕方ごろに来てくれました。
言ってみるものだな……。
そういうことをやりながら、見るともなくオリンピック中継を観ました。
今後、ロンドン・オリンピックのことを思い出すたびに、天井から水が落ちてきたことも思い出すんだろうな。

ムスメは、たったの2ページしかない夏休みの絵日記(宿題)に、天井から漏水して修理のお兄さんが来たことを書くと言っていました。オリンピックのことを書いたらどうや……(かすれ声)
でも子供には、四年に一度のスポーツの祭典よりも、天井から水が降ってくることのほうが、センセーショナルだったんでしょうね。わかるんだけどね。
私としては、絵日記の題材に取り上げてもらおうと、あちこち連れていったり、家でお菓子作りをしてみたり(普段はしません)、「これはブログのネタになりそうですよね!」みたいなことを色々やってるんですが、それが全部スルーされて、まさかのエアコン漏水ネタ採用。

まあ、そんなもんですよね、人生は……。

そんなこんなも書き留める、私の手帳なんですが、ものすごく彷徨った挙句、結局「ほぼ日手帳」で落ち着きそうです。
そこに落ち着くと、糸井重里さんの思う壷みたいで、なんだか嫌というのもあり、機能上ちょっと満足できない点もあったり、毎日のお言葉コーナーがとにかく要らなかったりで、私も苦悩したんですが、結局なんだかんだでさ、ほぼ日手帳が一番使い勝手が良かったんだわ。
くやしい。
スケジュール手帳には、ほぼ日手帳WEEKSを使っています。デカくて嫌だなって思ってたのに、紙面が広くて書きやすいし、巻末のノートページが豊富なのが便利すぎるよ。
トモエリバー紙を使った他社のスケジュール手帳に替えた時期があったんですが、自分の予定と子供の予定と旦那の予定と、って書き込んでいったら、スペースが足りなくて諦めるしかなかったです。

日記は、ほぼ日手帳カズンに書いているんですが、その用途だと、マンスリーとか、バーチカルな週間予定とかのページが全然いらない。
だったら、そのページを使わなければいいだけのことなのに、どういう性格なのか、要らないページがたっぷりあることに、なんだかイライラッとします。心が狭すぎるの。
もっと日記帳っぽい製品に替えればいいんだわと思って、こてまたトモエリバー紙を使った他社の製品、ED!T(エディット)に替えた時期があったんですが、エディットの行間が自分に合わなくて気持ち悪い( ;´Д`)! 書いててストレス! 悔しい、なんで合わないの!!

そんなこんなで、ほぼ日手帳に戻っちゃったんだよ。

素直に、ほぼ日帝国の軍門に下れば、来年からラクになれると思います。

信者になるならモレスキン教のほうが自分に合いそうと最初は思ったのに、モレ紙に耐えられず。
ノートに関しては、まだ彷徨っている感じがしますが、たぶん、ほぼ日手帳WEEKSのノートページか拡張ノートで足りるんだって、悟りがひらけてきました。
ほぼ日手帳信者への道はもうゴール間近です( ;´Д`) ←なぜかツラい

あと結局便利だなって納得したのが、evernoteです。iPhoneにposteverっていうアプリ入れて、タイムスタンプ付きでポイポイ書き込みを投稿できるのが、とても便利。
デジタルのノートなんて嫌だ、紙に手書きがいいんだい! って思ってきたのに、なんでevernoteやねんて自分でもすごく思う……orz
どういう使い分けをしたらいいのか、自分でもまだ分かりませんが、紙に書いたほうが便利なことと、デジタルが便利なことがあって、併用するのがいいみたい。というのが結論みたい。
デジタルは写真を添付できたりが便利ですよね。

作品のネタとかも、ちょっとした思いつきのアイデアメモを残すには、デジタルのほうが利便性は高いのかもしれない予感。
SHOT NOTEのようなメモ帳にメモったのを、iPhoneのカメラで取り込んで、作品別のタグつけてevernoteに保存ていうのが、一番便利なのかも、って……そんなの最初からノート術の人とかが提唱してたじゃん。
自分の腑に落ちるまでに時間がかかりすぎ。
とりあえず、三都の原稿の断片や、取材記録みたいなのをevernoteに放り込んでみましたが、めっちゃ便利です、涙が出そう。
それにこれ、いざとなったら労力をかけずにバルスできるよね。紙の中2記録をバルスするのは凄く大変ですが。
いろんな方面から便利なんだな。


2012年7月27日金曜日

ラムセス

私は掃除が大嫌い。
生まれつき怠け者なのだ。
なので家を建てるとき、フローリングの床材は、黒い木にしてもらった。厳密には焦げ茶色。
ダークな床にはホコリがよく目立つ。
白い床なら「まだ平気」と目をそらす事ができても、黒い床だと無理な場合がある。
だいたい毎日ある。
朝に掃除機をかけても、夕方にはもうホコリが目立つ。ホコリは一体どこからやって来るんだろう。
きっと宇宙からよと娘はマジな目で言っていた。たぶん違うと思うが、否定するだけの証拠もない。
掃除機が重くて面倒くさいので、ダスキンのモジャモジャのフロアモップを日に何度も使う。現代版の箒みたいなもんか。そして集めたゴミは、これまたダスキンの、ゴミを吸い取る専用の電動塵取り(据え置き型)みたいなので回収する。ダスキンの人に勧められて、開発中の頃からモニターをやっていたのだが、私のようなモノグサな人には、神アイテムであった。
ラグマットだけは掃除機でないと掃除できないので、やむをえず使うが、基本的には、「掃除機を出したら負けだ」と思っている。フロアモップと、それで足りない時は、雑巾がけするんだが、母に「掃除機のほうが早いしラクじゃない?」と言われる。
そんなような気もするが、認めたら負けだと思っている。
私は掃除機が嫌いなのだ。排気が臭いしウルサイ。
娘がまだ赤ん坊だった頃に、なぜか掃除機が大嫌いで、たぶん音が怖いのだろうと思うが、掃除機のスイッチを入れると号泣しはじめる傾向があった。お互い疲れるので、脱・掃除機を選択することにした。雑巾がけするほうが案外らくだ。
それでも、二度のオイルショックを乗り越えてきた、うちのオカン様が、掃除機への信仰を決して捨てず、自分の部屋だけは掃除機で御身ずから掃除しなさるので、掃除機を処分するという無茶はできない。第一、自分自身も、ラグマット部分で困難に直面する。
それを思うと、畳っていうのは凄い。ラグマット並のクッション性能がありながら、水拭きができる。箒でもいいし、掃除機でもいい。お外でぶっ叩いてホコリを出したい場合には、ふにゃふにゃのラグマットと違って自立までする。
畳いいよね畳。
京都にはまだまだ畳の職人さんが現役でたくさんいるので、規格外のサイズでも作ってもらえそう。
でも、板張りの部屋に、部分的に畳って、平安時代とか戦国時代みたいじゃないか?
あれの合理性が、生まれて始めて実感できたな。

ところで、私は朝、まず洗濯機をスタートさせてから、同時進行で掃除をするのだが、掃除が一段落して、ちょっと休憩したいな、洗濯機が止まるまで休もう、とか思った瞬間に、洗濯機が狙い澄ましたようにピーピーピーと終了音を鳴らすので、洗濯機のことも少し憎んでいる。
バスタオルみたいなのを頭にかぶった、腰布一丁の古代エジプトの奴隷監督官みたいなオッサンが、「休むな、働けぇ!!」(鞭ビシビシ)みたいなのが脳裏をよぎる。
ムカつくので、洗濯機をラムセスと名付けた。
あたしも休みたいのよラムセス。
心でそう話しかけるが、ラムセスは「シワになる前に干せぇ奴隷どもぉ!!」(鞭ビシビシ)みたいな人である。仕方がないので、シワになる前に干す。

そして、はためく洗濯物を見ながら、これを書いているのだった。

新築する前に、うちに遊びに来て、「ダークな床ってイイね!」って参考にした友人から、ときおり、「掃除が大変なので恨んでいる」という、怨嗟のメールが来るのだが、私が悪いんじゃない。

2012年7月26日木曜日

裸ネタ

Google+でNHK海外ドラマ「シャーロック」の記事が上がっていたのに影響されて、録画して観てみた。
http://www9.nhk.or.jp/kaigai/sherlock2/
名探偵シャーロック・ホームズが現代のロンドンの人だったらという設定の、時代置き換えドラマだが、シャーロック・ホームズがすげー迷惑なお兄ちゃんで、でもオリジナル版でも実はこういう人だったな、って思えて面白い。舞台を身近な現代にすることで、シャーロックの迷惑さがより分かりやすくなったという事なのか。

一回分が長めの作品なので、観ると疲れる。なぜか異様に疲れちゃうのだが、もしかして私は推理しながら観ているのだろうか。
私は推理物全般がすごく苦手で、トリックとか犯人とか全く分からない。でも、見るのは好きなほうだ。
通常、最後に名探偵が「さて」と言うまで、「どうなるのかしら( ´ ▽ ` )ワクワク」と頭からっぽで観ているタイプなのだが。
それは考えても仕方がないからだ。
ミステリー好きの友人なんかには「それでは読む意味がない」などと説教されるが、まあいいじゃない。

だから「シャーロック」も推理などはせず、「ぼー( ´ ▽ ` )」っと観たいんだけども、ドラマの作りが観客を推理に駆り立てる上手い構造にでもなっているのか、脳が疲れる。つまりは面白いんだと思うよ。

第一シリーズの最終回の録画に失敗したんだが、そんな自分が嫌になった。なんで失敗なんかするのよ!
反省したので、第二シリーズの一回目はちゃんととれてた。

観てて、ふと思ったんだけども、イギリス人て、裸ネタ好きだよね?
エロじゃなく、一種のギャグとしての全裸シーンて、よくあるような。
多少のエロ要素もフレーバーとしては入ってんのだろうけど、基本的には出オチのギャグみたいなもんだよね、アレ。

登場人物のうちの誰が真っ裸になるかというのは、それはもう、裸だと嬉しい人なんだろうけど、キャラクター性によって、そういう人(キャラ)っているなあ、って、すごく真剣に考えながら観てる自分がいて、客観的に自分を見ると、ちょっと悲しかった。

カルテットの場合は、脱いでて一番嬉しいのって、やっぱシュレーかなと思う。だって一番ありえなさそうだし。
あとの三人は別にどうでもいいような気がする。場所にもよるけど。
アルミナだと洒落にならない気がする。ノースリーブの膝丈ワンピでもう限界な気がする。私の心が弱いのか。
同じ神殿種でも、ヴィジュレが全裸なのは、恥ずかしさのカケラも無いのに。やっぱキャラ性なのか。

三都の人たちは、ああいう話なだけに、いつ誰が全裸でも何のインパクトもない。
アキちゃんのオカンがたぶん脱いでるのに視点キャラの自主規制によって丸で見えないとか、大崎茂が四条河原で泥酔して野球拳して真っ裸で寝ていたことがあるというネタも書いたが、それはあの中で一番脱いだら困る人(オカン)とか、意外というか、正直どうでもいい人(茂ちゃん)だからネタになるんであって。
享なんか登場シーンの半分は裸な気がするし、水煙なんか100%全裸だが、それについては誰もいちいち喜びも驚きもしない。普通すぎて。
やっぱ、いかにも脱がなさそうな人が突然裸だから面白いんだよな、と思った。裸がタブーだから面白いんだ。

裸がタブーかどうかはキャラ性もあるけど、文化的なものもあるので、裸がタブー視されてない文化の中にいる人が脱いでても、特にこれといったインパクト(エロとか笑いとか)がないんだよね。

イルスなんか実家の近辺では上半身裸くらいは日常的にあっただろうし(暑いし海辺だから)、パンツ一丁で寝てても許せるが、シュレーがパンツ一丁で寝てたら、この世の終わりだみたいな気がするから不思議だ。
作者もいろいろと気をつかうなあ。

最近、京都も暑いので、ハト屋敷のはだか仙人は、絶賛トランクス一丁だけど、もう慣れすぎて普通に立ち話できるもん。慣れって凄いよね。
周囲の人たちも、実は私が当初思っていたほどには、はだか仙人を意識してないんじゃないかという気がしてきた。「そういう人」として普通に付き合ってそうな気がする。
最近、おじいちゃん、トランクスにベルト締めてるんだけど、それってファッション? いろいろと無茶なんだけど。
人間て、ほんと、なんにでも慣れるよね。

2012年7月23日月曜日

虹の角度

頭をよぎる事は多々あれど、どれも他愛もないので、わざわざ書くのを躊躇います。

ここ何ヶ月か、体調ヘロヘロだったせいで、ずっと書いていたアナログの日記も、筆が止まったままでしたが、それをまた書き始めました。
始めは、一行、二行から。それすら、しんどいと思っていたんですが、段々と慣れて、ほぼ日手帳カズンの一頁をびっしり埋めるまでになりました。よくも、しょーもない事ばかり書けるもんだと、我ながら感心します。
書くことというのは、慣れだというのは、本当かもしれません。毎日書く事で弾みのつくものです。

じゃあやっぱブログも原稿も、慣れだし、習慣だろうと思うので、再び書き慣れるところから。
ブランクが空いたせいで、どうも、不特定多数の人前で書くというのが、ピンとこなくなっています。
「書いてどうするの?」とポカーンてなってるんですが、別にどうもしなくていいですよね。ただ書けば。

というわけで、日々頭をよぎる由なしごとをテキトーに書こうと思います。暇つぶしにでも読んでいただけると、私は楽しいです。

◆虹の角度
毎朝、娘と植木に水をやります。今は朝顔とかです。
シャワーノズルで水をまくと、天気の良い日には小さな虹が見えることがあります。
しかし、それにもコツがあり、ちょうどいい角度で散水しないと、虹が出ません。
ムスメは日々、虹の角度について研究しています。
私が割合に簡単に虹を作るのを見ると、娘は「大人ってすごい」とびっくりしたり、虹作りスキルの差に呆然としたりします。
自分でも成功すると、大変嬉しいようです。
私も、虹を出すのに成功すると、ちょっとは嬉しいんですが、ちょびっとだけです。うちの子供が感じているほどの驚嘆や狂喜は感じていません。
彼女が感じているものは、いわゆるセンス・オブ・ワンダーというもので、SFファンタジーの創作者にとって、もっとも必要不可欠と言われているものだと思います。
それが子供には潤沢にあり、私にはちょびっとしかないわけですが、すごいなと思います。
すごいなと思ったことを、その場で口に出すという性癖も、子供ならではのものと思いますが、すごいのだと思います。
子供が些細なことにいちいちびっくりするのに、私もいちいちびっくりしていますが、本人に面と向かってそれを褒めるって事は、あんまりしてないかもしれません。
大人って、ボーッとしてるんです。
虹の角度を瞬時に作れるスキルを獲得するのと引き換えに、何かを失っているのだろうと思いますが、それだと、せっかくのスキルも意味がありません。
日々、驚嘆する事について、子供からラーニングしています。

◆風鈴の価値について
自宅にあった古い雑誌を何気なく眺めたら、江戸時代の風鈴について書いてありました。
初期の風鈴は、魔除けや、福を呼び込むものとして作られ、使用されたので、夏だけでなく通年吊るしてあったとのこと。
しかし、当時は高価な代物で、お金持ちの家にしかなかったとのこと。今の経済観念に照らすと、だいたい400万円ぐらいするものだったんだって。
でもですよ。江戸の風物詩として、「風鈴売り」というのを描いてあるのを、見たことがある気がします。
天秤棒の両端に、棚のようなものを吊るして、風鈴をたくさんぶら下げたものを、担いで売り歩くというものです。
一個400万円相当もするものを、そんな様式で売ったりするでしょうか。考えられません。
江戸期というのは長いので、始めは400万円くらいする高価だったものが、技術革新か何かにより、庶民派アイテムとなっていったって事なんでしょうか。気になる割に調べていません。近いうちに調べてみようと思います。何の役にも立たない知識ですが。一度気になりだすと気になって仕方ないです。病気でしょうか。
今や風鈴は100均でも売ってますからね。それを思うと凄いです。

◆ブラコンについて考える
朝、歯を磨きながら、ブラコンについて考えました。
少女にとって、兄というのは、特に、現実には兄がいない少女にとっての空想上の兄というのは、一種の妖精のように、都合のいい生き物なんじゃないかと。
兄なので男であるが、血縁者なので原則、性交渉を強いない。それでいて同居の身内であり、何かあると頼れる、守ってくれる男である。
しかも、男であることは確かなので、ストーリー的な都合や萌えで、性交渉(もしくは恋愛)をする要求が高まれば、それも不可能ではない。
しかしそれは禁忌である。
つまり少女(読者または作者)の一方的な自己都合により、手綱を緩めたり締めたりして、「私がしたければするが、お前はしたくても我慢しろ」という扱いが可能な相手であり、女にとって最も都合のいいポジションに置ける。だから嬉しい、というような仕組みかと。
でも、それはあくまで少女向けのフィクションにおける流儀であって、現実に兄がいるブラコンではない少女に問えば、1秒間に100くらいの反論やツッコミや兄の悪口が言えるものであることも確かだと思われる。
現実というのは、誰にとっても常に都合が悪いものです。その鬱憤を晴らすためにフィクションがあるとすれば、少女にとって旨味のある話こそが正義と言えるでしょう。フェアである必要なんか全然ありませんね。
そういうことが突然、悟れました。歯磨き粉に何か特殊な成分でも入っていたんでしょうか。


他にも様々な、しょうもない事を書こうと思ったんですが、疲れたのでこの辺で。もう十分だろうという気がしなくもないです。

2012年7月20日金曜日

課題図書とkobo touch

某ゆうりさんが先だってkobo touchを注文なさったというので、羨ましすぎて、私も注文していました。
昨日、届いたのだけど、うちではまだ未開封です。初期設定を夜中に妖精さんがやっておいてくれたらいいのに。
近いうちにやります。

こういうデバイスで読みたい電子本は、私の場合は、漫画かもしれません。
長編の漫画をがっつり読みたいんだけど、コミック本は本棚で場所をとるし。私は基本、漫画は永久保存版にはしないので、読んだら処分します。したくなくても、置き場がなくなっちゃうので。
活字本は漫画ほどには場所をとらないけど、長い目で見ると、結局は置き場に困って処分してるから……。
みんな電子本になってしまえばいい!

紙の本が好きですが、背に腹はかえられない何かがある。(主に本棚の空き容量にある何か)

私が早急に本棚の空き容量を増やさねばならん理由は、子供にあります。
このところ、識字率を急激にUPさせた我が子が、読書するようになりました。
蔵書がジワジワ増えています。
「なつやすみのもくひょう」には昨日、「ほんをたくさんよみたい」と書いていました。
ムスメもそろそろ、自分用の書架をもっと割り当てられてもいい頃でしょう。
でも家が広くなるわけじゃないから。それに、うちの作り付けの本棚はもう満タンです。私の蔵書を処分するしかあるまい。

子供はなんとなく、アナログの本を読んだほうがいいような気がするので、現実の本棚は子供に回して、自分の本はもう読めりゃいいし電子本がいいなという割り切り方をしたいです。

問題は、それを日本の出版界が受け止めてくれるかだが。
よろしくお願いします。

この夏の課題図書と推薦図書(京都市)
http://www.kyotocitylib.jp/kadai.html

子供の頃、私は読書感想文て、大っ嫌いでした。嘘を書かないといけなかったからです。
読んで、感じたとおりのことを、ただストレートに書くと、いい評価がもらえないので、いつも模範回答みたいなのを創作してました。
そういうのって、あまり良いことじゃなかったですね。嘘だから。
でも子供だって、本音と建前があるんですよね。それを使い分けた時から、少しずつ、大人になっていくんだと思いますが、それでいくと多少なりと大人になった人間が書く文章としては、水増しや嘘偽りのないことが、面白みや値打ちになるのではという気がします。
だって嘘を書くほうが簡単だから。
嘘なら小学生だって書けるから。
でも、嘘だと、読んでもつまんないですよね。なんとなくね。どこかに本当の部分がないとね。

夏休み前に、学校で保護者と担任教師の個人面談があるんですが、そこで、うちのムスメの書く文章が独創的で良いと先生に褒められました。
その場では、「あらそうですか? 気づきませんでした。きっと先生のご指導がよかったんですね」などと営業スマイルで答えましたが、その日の夜に子供が寝てから一人で思い返して、ものすごニヤニヤしました。
親ってバカよね!
たぶん先生もお見通しなんだと思うよ。だって向こうはそういう親を何百人と相手にしてきたプロなんだもんね。
なにやら微笑ましいです。
先生もそのように保護者にリップサービスしたりして、こまめに頑張ってくださってますが、客っちゅうのは、そういうサービスはあって当然みたいに無頓着になりがちです。
本当は、そういうところもきちんと評価しないといけないよね。他人の努力はタダじゃないから。
おしなべて良い一学期でした。非常に満足しています。

ただひとつだけ、夏休みが私が小学生の時より短いのです。皆さんはご存知かもですが、8月の第3週ぐらいで終わっちゃうんです。
ムスメに「いまの子はお休み短くて可哀想ね」って何気に言ったら、「昔の人みたいに休んでばかりいると、頭がわるくなっちゃうから、それでいいんだよ」って気の毒そうに言われました。

ばっ、ばかじゃないもんΣ(゚д゚lll)!
昭和っ子だってちゃんと勉強してたもん! 土曜日だって学校に行ってたんやで! 学力の国際順位だってな、高かったんやで! 受験戦争とかな、大変やったんや!
だいたい夏休みはな、8がつ31にちまであるもんなんや……あるべきだ!
そんな一週間そこらでアホになったりしてたまるかい!!

などと、いろいろ思いましたが、大人なので我慢しました。
時代の移り変わりですよね(棒)


2012年7月17日火曜日

手抜きアルバム

子供のアルバム作るの大変なんです。
親ばかすぎて、アホほど写真を撮ってしまいます。
デジカメですから、撮ったデータを全部、アルバムにするということはなく、記録メディアに保存したりするだけですが、見てニヤニヤする用のアルバムも作るんです。
それが楽しいけど、作るのは面倒くさい。何より時間がかかります。このところサボってばかりだよ。

でも最近、それもiPhoneのアプリでできるって気づきました。いろんな写真加工アプリがあるんですね。

写真はFrameUrLifeっていうアプリで作ったサンプルです。あっという間にできたよ。
写ってるのは、先斗町にいた自由猫。
もうずいぶん前に撮ったものなので、とっくに成猫になっているでしょう。
あり合わせですが、他に無難な画像がなかったもんで。

こういうふうなアルバムを、アナログで作ってたんですが、デジタルらくだな~。
これいいね~ってムスメに見せたら、「そうだねー! でも紙のやつのほうが楽しいね!」って、やんわり牽制球を投げられました。

やっぱ子供はアナログのほうが好きか。

でもこれ手軽で楽しいです。
ブログやSNSにアップロードする用の写真を、こういうアプリで盛り盛りデコる人もいるんだってね。
そういう用途ならスマホがあれば足りるなあ。Photoshop起動したところでスキルがない私のような人には特に。

便利な時代になったものです。

でも、子供が成長して独立する時に、アルバムがevernoteの中だよっていう場合、どないすんのやろ。
オカンのアカウントと共有設定するの?
それとも子供の写真ていうのは、本人所有のデータではなく、親の持ち物ですかね?
私も自分のアルバムは実家に置いていったものなあ。
持っていく人もいるでしょうけども。皆さんはどうですか?

とにかく、このデジタルデバイス全盛の時代、子供の写真や動画は、ものすごい量あります。大人の人だって、携帯やデジカメで日々大量のデータを撮ってますよね。
それを皆さんはどうしてるんだろう。
オンラインストレージに全文突っ込んでおく?

難しいところだなあ。

今、うちの荷物を片付けていて、自分がリアルに中二だったころの原稿とかの始末に困っているので、サクッと消せるデジタルデータはいいよね……と、視線が遠いです。
アナログのものの実在感てすごいね。逃げられない感じがするね。
とにかくこれを自分の死後に遺すのはまずい、非常にまずいっていう思いを噛みしめています。
人間五十年。そろそろ証拠隠滅を図るべき時期にきてるよね、あたくし。
ドリームは脳内とサイトとevernoteにあれば十分だよ。

いろいろメモ

■ノートアプリ
このiPad用のアプリはイメージワークしたりする時に紙のノートの代わりにならないだろうか。
「Penultimateってこんな感じのアプリ」
http://rashita.net/blog/?p=7933

うーん。でもやっぱ紙に手書きに優るものはないような気もするので、SHOT NOTEに手書きしたものを、iPhoneのカメラで撮って、evernoteに保管しておく方が便利かな?

■みんなのうた
ムスメがテレビで「みんなのうた」を見て、「ムーンフェスタ」という歌を気に入って歌い踊っていたので、よく見ると、梶浦由記さんの作詞作曲だった。
http://cgi2.nhk.or.jp/minna/search/index.cgi?id=MIN201206_03
曲も素敵ですし、アニメーションも素敵です。
子供の頃に好きだった「みんなのうた」の曲って、大人になってもずっと心に残っているように思います。うちのムスメにとってはそれが梶浦さんの曲か。なんだか凄いことだな。

■snapspeed
新しくしたTEAR DROP.トップページの写真は、iPhoneのカメラで撮ったのを、snapspeedというアプリで加工したものです。
iPhoneだけで、いろいろできちゃうんだなあ。便利です。

ドアだけ開けました

本館TEAR DROP.のドアだけ開けてみました。
でも結局、「休止中」って書いてあるし。
更新した意味があるのでしょうか。
もう今さらか……。

カルテットの習作BL番外は、今後は乙女堂のほうに置こうと思って、txt版のリンクを外しました。
たぶんもうBL修行する余裕はないと思ったので。

昔から、BL向いてるんじゃないかというお話は折にふれて人から言われ、自分でも「そうかも! 練習したら書けるかも!」なんて思ってきたけど、実は全然向いてはいなかったのではないかと最近では思います。
だって書けてないよね? なんかちがうよね?

今後は、ジャンルとか方向性とか深く考えず、書けるものを適当に書いていきます。(振り出しに戻る)
なんか難しいですよねBL。よく分からんです。

そもそも、本当に向いてたら、誰かに言われるまでもなく、最初から自分で好んで書いてるんじゃないかという気がしなくもなく。今の時点で「よく分からない」とかいうのは、結局よく分かってないからじゃないのかな。

また思い出したように「わかった! きっとこうだよね!」みたいなのを発作的に書いて出してくるかもしれませんが(たぶん乙女堂で)、読んで下さった方は、「そうだよ!」とか「それじゃない!」とか教えてやってください。きっとまた「えっ? えっ?」って目が泳いでいる椎堂さんが見られます。
基本的にスイカ割り状態です。

それはともかく。本館の運営だけでも全然できていない有様なので。
当面はTEAR DROP.です。
Web拍手も、時々押してくださる方もいらして、励みになるので、置いておきたいのだけど、お礼画面を作ってから設置させてもらおうかと思います。

小説掲載ページのHTMLも、白紙に文章だけのやつでいいから作りたいなあ。
やはりWeb版てあったほうが読みやすいですよね。
そうでもないのかな。スマホで読む人には、いっそtxt版のほうが便利かもしれないとは思うのですが。
とりあえずはtxt版のままで敢行。不便で済みません。

2012年7月16日月曜日

祇園祭です

元気になったつもりが、期待したほど元気でなく、日常生活だけで一杯一杯になっています。前回の記事から、あれよあれよという間に、ずいぶん日数が経ってしまいました。

京都では祇園祭真っ盛りです。
例年なら、宵山には嬉しげに出かけていくんですが、人混みが苦手なので、今年はやめておきました。明日はテレビで山鉾巡行を見ようかなと思います。

サイトのドアだけでも開けようかと、データを作ったりしていたんですが、公開しそびれました。
今の調子ですと、結局、当分は活動休止じゃないのかなと、自分で自分にがっかりしています。
どうしたもんでしょうか。悩みますが。
やめたいとは思わないので、マイペースでのろのろやっていくしかありません。

拍手や励ましのメッセージを送ってくださった方々、ありがとうございました。とても嬉しく拝見しています。
あまりにもご期待に添えないので、申し訳ないです。

今はとりあえず日常生活を頑張ろうかと思います。ブログで近況報告がてら、しょうもない記事はちらほら書くと思います。「俺、生きてるぜ」みたいなのを。すごくしょうもないので自分でも引くんじゃないかと躊躇しますが、心が折れない程度にやります。

近頃、Twitter離れが激しいです。
TL酔いみたいなのがあるのか、見るのに案外と体力がいるようで、流れを追うのが無理になってしまい、すっかりご無沙汰です。
しばらくは引きこもりで。

手書きの日記というか雑記を書くのも、しんどくて筆が重くなりました。スマイソン買った割に、ノートの持ち腐れです。どんだけヘタレてんのか。

iPhoneでプチプチ打つのは比較的、平気のようなので、evernoteを使ってみています。
ずいぶん前にアカウントを取って、どう使うのかピンとこなくて放置でしたが、雑記帳として使おうと思いたち、iPhoneのPostEverというアプリを導入しました。
このアプリだと、ひとりっきりのTwitterみたいな感じでevernoteに投稿できるので、日常の記録や思いつきをプチプチ書き残しています。備忘録にいいですね。
iPhoneだと、ごろ寝してても書けるので。ヘタレてても何とかなるようです。
iPhoneというか、スマホすごいなと、つくづく思います。すごさが私にも段々わかってきた。