2012年7月31日火曜日

evernoteにいろいろ入れる

私にはevernoteの活用方法がイマイチ分かってない。今、いろいろ試してみている。

気に入ったお店のショップカードをもらってくる癖がある。紙モノが好きなので、ショップカードそのものが欲しくて貰うわけだが、ものすごく溜まるし、整理もしないと、ただのゴミになってしまう。
(整理したところで、大抵の場合は実質ゴミだったりするのだが。)

SHOT NOTEにショップカードを乗せて、専用アプリで撮影したのを、evernoteにUPしてみた。
いい感じだ。

iPhoneのスキャナーアプリ(無料のやつ)で撮ってupするのも試してみた。
別にこれでもいいな。

ショップカードを捨てるための儀式みたいな感じだから、別にただ写真に撮るだけでもいいのかもしれない。その一段階を踏むことで、モノへの未練を断ち切れる。そういえば、儀式って元々そういうものだよね。

実際のお店の情報は、いまどき、公式のサイトやブログがあって、その都度ググって見るほうが、情報も最新だし間違いがない。
なのになんで私はショップカードを貰ってくるのか。妙な所有欲だと思うけど。でも、貰うと、その瞬間幸せなので、たぶん一生やめないんだろうな。

お店とか人への、賞賛のアピールなんだろうとは思うけど。
「この店が気に入りましたよ」「あなたの作品が好きですよ」という意思表示として、ショップカードや作家の名刺を貰ってくるんだと思うし、カードをもらっていいですかって聞くと、「どうぞ」というその瞬間、貰われるほうの人も嬉しそうなような気がする。
だから一種のコミュニケーションなんだろうね。

でも、それをずっと保管しておくには、今の世の中、モノも情報も溢れすぎてる。
昔々の恋人たちが、初めてデートしたバーのコースターを思い出に貰って帰って、一生とっておくというような情緒は素敵だが、それが物体として手元にあるべきかは、難しい。モノにもよるし、人にもよるし、時と場合にも、ライフスタイルにもよる。

うちの夫は昔々アップルストアでもらった林檎製品のパンフレットなども後生大事に保管しているが、それはバーチャルではダメなのか?
ムームー星人の縫いぐるみは本当に要るのか?
バーチャルボーイはもう捨てよう?
それがダメなら、せめてスペースバズーカを捨ててほしいのよ。
あの世にスペースバズーカを持っていくことはできないわ。
私たち、長生きしたって、あと3、40年で世を去る定めよ。人生の半分はもう使い終えたのよ。
自分が死んだ後、娘にスペースバズーカを処分する粗大ごみ費用400円を払わせるつもり?(京都市では粗大ごみは有料です)
自分で捨ててよ。

そう説得するのだけど、夫は永遠に生きるつもり。スペースバズーカとバーチャルボーイと、アップルの古いパッケージやチラシと共に。

と、人のことを言うのは簡単なんだけど、私も相当に無駄な廃棄物を後生大事に持ってるよ。私には宝物なんだけどさ。でも客観的にはゴミだよね。
その処分の手間を考えると、残していいのは思い出だけ。面倒な処分は本人がやっとけというのがあるなあ。

とはいえ、大好きな無駄なものに囲まれて生きる幸せって捨てがたいし、それだって人生の喜びなんだから、バーチャルでOKなものは、evernoteに突っ込んでおいて、満喫する方向が、手軽でいいよねえ。

もちろん、evernoteには実用的なメリットが沢山あるんでしょうが。非実用のメリットもあるな。

実用のメリットでは、手持ちの着物や帯や、気に入ったコーディネートを写真に撮って、evernoteに入れておいて、翌年の同じ季節に参考にしたりします。着る時にコーディネートに悩まないので時短できる。

活用しようと思えば、実に様々な用途があって、まさに外部脳なんだなって分かるけど、evernoteが消えたらどうなるんだろう?
クラウド時代、そんなことは愚問なのかな。ローカルにバックアップは不要なの?

もっとも、自分が管理してる自宅のハードディスクより、プロが管理してるデータセンターのほうが、何倍も安全ていうのは、あるかもしれない。
他人に情報管理を依存するリスクとかいう以前に。データをロストするリスクは、自宅のハードディスクのほうが高いのかもしれない。

そういう意識になったのは、私の場合、東日本大震災で、自宅もデータも失ってしまった人が、たまたまオンラインストレージに置いていた子供の写真だけは残ったというようなエピソードを聞いたからだけども。

自宅のバックアップが案外あてにならないっていうのは、あるなあ。

2012年7月30日月曜日

ED!T(エディット)のことで、まだ悩んでいる

一個前の記事の続き。

MARK'sの手帳、ED!T(エディット)に乗り換えられないかと、試してみた。
紙がトモエリバーだし、大きさがちょうど好みだというので買ったのだが、使いこなせず。

行間が狭いので、小さい字で書けば良いんだわと、小さい字で試し書きしてみた。
頑張れば書けるが、やはり私が頑張らずに何気なく書く字のサイズよりも、若干小さくないと無理で、書くのにエネルギーがいる。

使用例をググってみたら、とりあえず公式で提供されてる記事しか見つからなかったが、皆さん、日記のような、すでに起きた出来事の記録というよりは、未来の予定を書き込んで使っているっぽい。
ぎっしり日記ではなく、ゆったりとスケジュール帳使用。時間刻みの詳しいスケジュールやチェックリストを、一日一ページ、ゆったりたっぷり書いて、場合によっては出先に携帯する使い方をする人向けかなあって印象があった。
「使い方はあなた次第」とは言え、やはりメーカー側で開発時に念頭に置いた用途ってあったのかなあ。
私には、そこまでたっぷりとしたスケジュール帳は必要ではないし、ED!Tを持ち歩くのは無理だ。
トモエリバーだっていうので思わず飛びついてしまったが、対象外ユーザーっぽい自分を感じるな。

レシートを貼り付けて家計簿使用という使用例も紹介されていて、その用途なら私にも使えるかなと思うが、自分の場合、そのためにわざわざED!Tを買おうというほどの相性は感じてないなー。

日記として、私にも使えないことはないが、同じ用途なら、ほぼ日手帳カズンのほうが記入時のストレスがないので、合ってるんだなという事を納得せざるをえない( ;´Д`)
でもデカすぎるのはどうすれば。
それを我慢すりゃいいのか!

ED!Tに日記っぽいものを書き込みしてて感じたけど、紙面の上下にけっこう広めの余白があって、ページも180度開くってほどでもないし、したがって左右もみっちり書くわけじゃない。
見た目よりも、書ける量が少ないような気がした。
それでも、ほぼ日手帳オリジナルよりは沢山書けるんだけど、罫線と相性良くない私としては、あともうちょっと書く内容を要約したり省いたりして、ほぼ日手帳オリジナルの方眼書くか、デカいカズンの紙面に思うさま無駄な事を走り書きするほうが、幸せなんじゃない? という悟りの時が近づいてきた実感があった。

カズンの使い道がなかったバーチカル・ウィークリーのページには、ED!T家計簿のネタをパクって、出納帳をつけてもいいな、と思った。
今は金銭関連は別のノートに書いてるが、カズンの余ってるウィークリーページに書きゃいいんだな。週ごとのお金の流れも見やすいし。今まで思いつかなかったが、それも一案だ。

で。
結局、ED!Tはどう使えばいいんだろう、私は。
「もうずっとカズンでいくんだ」って覚悟を決めるための踏み台みたいになった。ごめんよED!T……。


でも本音を言えば、ほぼ日手帳の方眼で、毎日のお言葉は無しで、B6ぐらいのサイズのトモエリバー紙の、一日一ページのノートを作ってくれれば、そのほうがいい。日付は日本語表記で。
年間計画とマンスリーぐらいは付いていると便利そう。
別冊で住所録とか追加ノートがあるといいな。地下鉄の路線図とかは要らないや。要る時は自分で印刷するし。スマホで随時、調べればいいし。
それでも、頻用するデータって人それぞれあるから、必要に応じて自分で追加した情報ページをとじられるように、クリアフォルダかスクラップブックのページまたは別冊オプションと、それを挟める、トラベラーズノートのゴムみたいなのがカバーについてるといいのに。
革のカバーかけたいので、ノート部分だけ毎年レフィルで出してくれるといいなあ。

要望多いな……。
いろんな手帳のいいとこどりみたいなの無いのかな。
特許とかあって無理なのかな。

使う人それぞれに、各人の詳しい要望はあるんだろうし、それの最大公約数を採ると、誰にとっても、痒いところを撫でさする程度の、「もうちょっと、こう……( ;´Д`)!」っていう、もどかしい何かになるんだろうなあ。
誰かのツボにジャストミートしてると、返って別の誰かには使いにくいってあるんだろうし。
それでも、私の好みにジャストミートしてほしい。それが皆の本音。

ほぼ日手帳カズンを来年も買うかで悩んでいる

大抵の人にとっては、どうでもいいことだろうに、毎年、「手帳どうする?」という件で悩んでいる。まだ7月なのに、もう悩んでいる。

本人はツラいのだが、傍目にはたぶん、好きで悩んでいるようにしか見えない。そして、たぶん、実際にも、好きで悩んでいる。しかし、精神的にツラいのも事実なのだ。だからたぶん、マゾヒスティックな喜びの一種と思う。

私が書きたいから書くけど、誰も興味ないのは知っています!

さて、私は今年、ほぼ日手帳カズンを日記帳として、ほぼ日手帳WEEKSを持ち歩き用のスケジュール帳として使用している。
WEEKSには未来の予定を書く。レフト式のウィークリー仕様なので、ウィークリー部分には当然、週の予定を。左側のノートページには、その週のToDoと、必要事項のメモを書く。
礼状を送るなら相手先の住所、子供が遠足に行くなら、持ち物のチェックリスト。備忘録としての覚え書きも書く。書き切れないボリュームの記事は巻末のノートに書き込み、その旨を注記するという感じ。
ここには基本、予定と事実のみを書き込み、日記的なことは書かない。

WEEKSは私にとって、持ち歩き用としては微妙にデカい。カバンの中で嵩張る。そして、「今週のお言葉」が邪魔。しかし今のところ、紙面の広さが自分の予定記入に最適であるし、これを超える使い勝手のものと出会えていない。だからもう諦めた。来年も再来年も、ほぼ日手帳WEEKSを買い続ける惰性の女になる。

しかし日記帳である。
ほぼ日手帳カズンはデカい。
デスクノートとして使っているので、デカくても差し障りはないのだが、自分にとっては愛せるサイズを微妙に外している。モレスキン・ラージくらいのサイズが気持ちいい。(だがモレスキンの紙が嫌いだ)
でも、そうは言いながら、カズンの紙面が広過ぎて余るかというと、余らない。むしろビッシリ書いてる。ものを書くのが好きなので、紙面がある限りビッシリ書いちゃうのだ。時間と気力と紙面が許す限り書いちゃう。
だから逆に紙面を狭くすれば、日記も手短かに纏めるようになる。制限文字数に収まるように要約する能力は一応あるみたいなのだ。
したがって、カズンのサイズが本当に必要なのかは自分でも分からない。

カズンの「要らないページ」問題も、私には気になる。マンスリーと、バーチカルウィークリーページを、私は使っていない。それがどれくらいのページ数なのか、試しに見てみたら、カズンの3分の1に及ぶ量だった。
もったいなくね?
そう思うのはケチすぎ?
でも、トモエリバーは比較的、高価な紙だし、書き心地がいい。使わずにおいておくのだと、もったいない感がある。

ググったら、バーチカルなウィークリーページに、一日の簡単なライフログを書いている人がいた。予定ではなく、日記として使っているということだ。
なるほど、そういう使い方もあるなと参考になった。
同じものを私は、一日一ページのほうに書いているのだが、それをウィークリーのほうに書いて、一日一ページのほうは、単純に記事だけ書くようにすればいいんだな。
同日の出来事が別々のページに分かれるのって、微妙に面倒くさいが、大量に余っていたページを使いこなしちゃった的な満足感と、「別ページ開いて書くのメンドクサ」というモノグサさと、どっちが自分の中で優先されるか、やってみりゃ分かる。(モノグサが勝ちそうな予感がする程度には怠け者なんだが…)

マンスリーが余るのは、気になるが、見開きで12ヶ月ぶん程度なら、見なかったことにできる程度には、私はいいかげんな女のはずだ。大丈夫、耐えられるわ、かおる!

そうやって来年もカズンを使うか。
それとも要約能力を「強」に設定して、ほぼ日手帳オリジナルに戻すか。
去年はオリジナルを日記&スケジュール帳として使用していたのだが、自分の話が長過ぎて、「こんなちっせーノートに書ききれるかっちゅうの!」とキレたことや、ジェットストリームで書き込んでページがゴワゴワしていく感じに快感を覚えたものの、ノート後半になると、ゴワゴワで膨らんだノートが書きにくくて若干キレ気味になる日があったり、持ち歩く時に邪魔過ぎたりと、どうもなんとなく、ほぼ日ワールドの住人になり切れない自分を感じたので、カズン&WEEKS併用に切り替えたのである。

それを思い返すと、オリジナルに戻るっていうのは、「バカなの?」という感じがしなくもないが、私の考え過ぎかもしれないので、身近にいた夫に事情を説明して意見を求めてみた。
すると「その話だと、お前が来年の夏頃にキレるのは確実だと思うから、アホなことはするな、かおる」とのことだったので、ムカっとした。
オリジナル版のほうが小さくて可愛いやん? いや、まあ、女子っぽい豆字とか書けない私がいけないんだけど。それでもアンタに言われたくないわ! などと八つ当たりをして発散したところで気を取り直し。

エディット(ED!T)はどうなの?
ほぼ日手帳と同じく、トモエリバー紙を使用した一日一ページの日記帳である。
本体サイズが、大きすぎず小さすぎずで美しいし好みだ。付属のカバーも綺麗だし好きだ。
ということで、脱・カズンを目指して購入したのだが、「罫線狭すぎ……」と歯ぎしりしたいような使用感だった。
豆字を書けない女子力のなさが、ここでも浮き彫りとなる。
では一行飛ばしで書けばいいのではないかと試した。
それだと行間があきすぎて気持ち良くない。
では罫線を無視すればいいのではないか?
それも試そうとしたが、添付写真のような、無視しやすいようにと塩梅されているに違いない薄味のドット罫線であるにも関わらず、世間の敷いたレールを無視できない弱い自分がいる。どうしても罫線が見える。罫線に沿って書いちゃう。書いちゃうんだよ!!

方眼罫なら無視できるんだよ。無地と認識することもできるし、必要に応じて、罫線として使用することもできる。
だから方眼罫が好きなのだが。それだと、ほぼ日手帳の思う壷なのだが。
悔しいと思うけど。
でも実際、思う壷なんだよ。

MARK'sさんは、どうしてED!Tを方眼紙にしてくれなかったんだろうなあ……。
世の中の人は、方眼よりは罫線が好きなのか。
それとも方眼紙だと、「ほぼ日手帳すぎるじゃない…」みたいなのがあるのか。
でも、そこは、利便性から割り出された結論ということで、サメとイルカの形が似てるようなものなんじゃないのか。ということじゃダメなのか。
私がそれを悩んでも、なんの意味もないが。

もう一度、ED!Tとやり直してみる気はないのか、私。
豆字を書けばええやないか、かおる!
慣れればできるはずだ。
使い慣れれば愛着が湧くはずだ。
そして、「デスクに置いてあるカズンがデカすぎる」というストレスから自分を解き放つことができるのだぞ!

そのように思うので、ED!Tと再び仲良くする人格改造を本日より試みてみることにした。

素直にカズンで妥協すればいいという気がしなくもない。
でも何となく、何故かは分からないけど、「スケジュール帳も日記帳も、ほぼ日手帳なんです。毎年リピートしています」というのが恥ずかしいのだ。何故!? 別にいいじゃん!
でもなぜか抵抗したいの。

それが「使うノートは全てモレスキンです(フッ)」というのなら耐えられるの。なんかいいな、ホワワワン♪みたいに思うの。(でもモレ紙には耐えられなくて轟沈)

でもそれがほぼ日手帳だと「結局俺が便利なんだろ、分かってるんだよ」みたいなノートな気がしてね。
「そうよ、結局、あなたしかいないの……!」(※雨の中、誰もいない石畳みにずぶ濡れでくずおれて泣き叫ぶ)って素直になるくらいなら、チラシの裏に予定を書いてやるみたいな気持ちが暴走するの。

夫には、「かおる、お前、めちゃめちゃ楽しそうやな」と言われました。
たぶん、ほめてるんじゃない。
でも楽しいです。

体力が回復したのか、記事内容が、バカ大爆発みたいになってきました。
大丈夫、それがいつものペースだ。

2012年7月28日土曜日

忘れられない一日になりそう

ロンドン・オリンピックが開幕しました。
そんな早朝、我が家のダイニングキッチンのクーラーが壊れました。排水にトラブルがあって水漏れします。
うちのオカン様がさ、オリンピック観ようと思って早起きしたら、床が水浸しだったんだって。
おいら、激怒したオカンに叩き起こされたよ。
私、なにも落ち度はなくないですか?
なんかちょっとイルスの気持ちが分かる。というか、あれも私の中で作られたものだったんだなって実感する。
「起きろよイルス、なに呑気に寝てるんだよ! 一階のエアコンが壊れてて床が水浸しだよ! オリンピック観られないじゃないか。僕が溺れ死ぬ前になんとかしろよ!」とかいう人が早朝バーンて部屋に踏み込んできても、「わかったなんとかするから喚くのはやめてくれ」程度しか言えないんだもんな。

イルスは優しいんじゃなくて、「言っても無駄だと知っている」んだということが今朝わかりました。私は自分の消耗を最小限にしたいだけでした。

ビルトインのエアコンなので、少々ややこしいです。
メーカーの24時間サポート窓口に電話したら、「修理依頼が混み合っておりますので、修理は最短でも月曜日になりますが、よろしいですか?」と言われたので、きっぱりと「いいえ」と答えてみました。
ぜひ今日お会いしたい。
駄目もとで頼んだら、修理の担当者さんが、夕方ごろに来てくれました。
言ってみるものだな……。
そういうことをやりながら、見るともなくオリンピック中継を観ました。
今後、ロンドン・オリンピックのことを思い出すたびに、天井から水が落ちてきたことも思い出すんだろうな。

ムスメは、たったの2ページしかない夏休みの絵日記(宿題)に、天井から漏水して修理のお兄さんが来たことを書くと言っていました。オリンピックのことを書いたらどうや……(かすれ声)
でも子供には、四年に一度のスポーツの祭典よりも、天井から水が降ってくることのほうが、センセーショナルだったんでしょうね。わかるんだけどね。
私としては、絵日記の題材に取り上げてもらおうと、あちこち連れていったり、家でお菓子作りをしてみたり(普段はしません)、「これはブログのネタになりそうですよね!」みたいなことを色々やってるんですが、それが全部スルーされて、まさかのエアコン漏水ネタ採用。

まあ、そんなもんですよね、人生は……。

そんなこんなも書き留める、私の手帳なんですが、ものすごく彷徨った挙句、結局「ほぼ日手帳」で落ち着きそうです。
そこに落ち着くと、糸井重里さんの思う壷みたいで、なんだか嫌というのもあり、機能上ちょっと満足できない点もあったり、毎日のお言葉コーナーがとにかく要らなかったりで、私も苦悩したんですが、結局なんだかんだでさ、ほぼ日手帳が一番使い勝手が良かったんだわ。
くやしい。
スケジュール手帳には、ほぼ日手帳WEEKSを使っています。デカくて嫌だなって思ってたのに、紙面が広くて書きやすいし、巻末のノートページが豊富なのが便利すぎるよ。
トモエリバー紙を使った他社のスケジュール手帳に替えた時期があったんですが、自分の予定と子供の予定と旦那の予定と、って書き込んでいったら、スペースが足りなくて諦めるしかなかったです。

日記は、ほぼ日手帳カズンに書いているんですが、その用途だと、マンスリーとか、バーチカルな週間予定とかのページが全然いらない。
だったら、そのページを使わなければいいだけのことなのに、どういう性格なのか、要らないページがたっぷりあることに、なんだかイライラッとします。心が狭すぎるの。
もっと日記帳っぽい製品に替えればいいんだわと思って、こてまたトモエリバー紙を使った他社の製品、ED!T(エディット)に替えた時期があったんですが、エディットの行間が自分に合わなくて気持ち悪い( ;´Д`)! 書いててストレス! 悔しい、なんで合わないの!!

そんなこんなで、ほぼ日手帳に戻っちゃったんだよ。

素直に、ほぼ日帝国の軍門に下れば、来年からラクになれると思います。

信者になるならモレスキン教のほうが自分に合いそうと最初は思ったのに、モレ紙に耐えられず。
ノートに関しては、まだ彷徨っている感じがしますが、たぶん、ほぼ日手帳WEEKSのノートページか拡張ノートで足りるんだって、悟りがひらけてきました。
ほぼ日手帳信者への道はもうゴール間近です( ;´Д`) ←なぜかツラい

あと結局便利だなって納得したのが、evernoteです。iPhoneにposteverっていうアプリ入れて、タイムスタンプ付きでポイポイ書き込みを投稿できるのが、とても便利。
デジタルのノートなんて嫌だ、紙に手書きがいいんだい! って思ってきたのに、なんでevernoteやねんて自分でもすごく思う……orz
どういう使い分けをしたらいいのか、自分でもまだ分かりませんが、紙に書いたほうが便利なことと、デジタルが便利なことがあって、併用するのがいいみたい。というのが結論みたい。
デジタルは写真を添付できたりが便利ですよね。

作品のネタとかも、ちょっとした思いつきのアイデアメモを残すには、デジタルのほうが利便性は高いのかもしれない予感。
SHOT NOTEのようなメモ帳にメモったのを、iPhoneのカメラで取り込んで、作品別のタグつけてevernoteに保存ていうのが、一番便利なのかも、って……そんなの最初からノート術の人とかが提唱してたじゃん。
自分の腑に落ちるまでに時間がかかりすぎ。
とりあえず、三都の原稿の断片や、取材記録みたいなのをevernoteに放り込んでみましたが、めっちゃ便利です、涙が出そう。
それにこれ、いざとなったら労力をかけずにバルスできるよね。紙の中2記録をバルスするのは凄く大変ですが。
いろんな方面から便利なんだな。


2012年7月27日金曜日

ラムセス

私は掃除が大嫌い。
生まれつき怠け者なのだ。
なので家を建てるとき、フローリングの床材は、黒い木にしてもらった。厳密には焦げ茶色。
ダークな床にはホコリがよく目立つ。
白い床なら「まだ平気」と目をそらす事ができても、黒い床だと無理な場合がある。
だいたい毎日ある。
朝に掃除機をかけても、夕方にはもうホコリが目立つ。ホコリは一体どこからやって来るんだろう。
きっと宇宙からよと娘はマジな目で言っていた。たぶん違うと思うが、否定するだけの証拠もない。
掃除機が重くて面倒くさいので、ダスキンのモジャモジャのフロアモップを日に何度も使う。現代版の箒みたいなもんか。そして集めたゴミは、これまたダスキンの、ゴミを吸い取る専用の電動塵取り(据え置き型)みたいなので回収する。ダスキンの人に勧められて、開発中の頃からモニターをやっていたのだが、私のようなモノグサな人には、神アイテムであった。
ラグマットだけは掃除機でないと掃除できないので、やむをえず使うが、基本的には、「掃除機を出したら負けだ」と思っている。フロアモップと、それで足りない時は、雑巾がけするんだが、母に「掃除機のほうが早いしラクじゃない?」と言われる。
そんなような気もするが、認めたら負けだと思っている。
私は掃除機が嫌いなのだ。排気が臭いしウルサイ。
娘がまだ赤ん坊だった頃に、なぜか掃除機が大嫌いで、たぶん音が怖いのだろうと思うが、掃除機のスイッチを入れると号泣しはじめる傾向があった。お互い疲れるので、脱・掃除機を選択することにした。雑巾がけするほうが案外らくだ。
それでも、二度のオイルショックを乗り越えてきた、うちのオカン様が、掃除機への信仰を決して捨てず、自分の部屋だけは掃除機で御身ずから掃除しなさるので、掃除機を処分するという無茶はできない。第一、自分自身も、ラグマット部分で困難に直面する。
それを思うと、畳っていうのは凄い。ラグマット並のクッション性能がありながら、水拭きができる。箒でもいいし、掃除機でもいい。お外でぶっ叩いてホコリを出したい場合には、ふにゃふにゃのラグマットと違って自立までする。
畳いいよね畳。
京都にはまだまだ畳の職人さんが現役でたくさんいるので、規格外のサイズでも作ってもらえそう。
でも、板張りの部屋に、部分的に畳って、平安時代とか戦国時代みたいじゃないか?
あれの合理性が、生まれて始めて実感できたな。

ところで、私は朝、まず洗濯機をスタートさせてから、同時進行で掃除をするのだが、掃除が一段落して、ちょっと休憩したいな、洗濯機が止まるまで休もう、とか思った瞬間に、洗濯機が狙い澄ましたようにピーピーピーと終了音を鳴らすので、洗濯機のことも少し憎んでいる。
バスタオルみたいなのを頭にかぶった、腰布一丁の古代エジプトの奴隷監督官みたいなオッサンが、「休むな、働けぇ!!」(鞭ビシビシ)みたいなのが脳裏をよぎる。
ムカつくので、洗濯機をラムセスと名付けた。
あたしも休みたいのよラムセス。
心でそう話しかけるが、ラムセスは「シワになる前に干せぇ奴隷どもぉ!!」(鞭ビシビシ)みたいな人である。仕方がないので、シワになる前に干す。

そして、はためく洗濯物を見ながら、これを書いているのだった。

新築する前に、うちに遊びに来て、「ダークな床ってイイね!」って参考にした友人から、ときおり、「掃除が大変なので恨んでいる」という、怨嗟のメールが来るのだが、私が悪いんじゃない。