2012年3月12日月曜日

ロカノンの世界

本を読みました。

ロカノンの世界 (ハヤカワ文庫SF)
ロカノンの世界 (ハヤカワ文庫SF)

アーシュラ・ル=グウィンは、私には大好きな作家さんなんですが、全作品を読破しているわけではなく、むしろあんまり読んでいないほうかもしれません。
「ロカノンの世界」も初めて読みました。
要約すると、はだかのオッサンが異星をうろうろする話で、こんな話だったのかと、読みながらびっくりしていました。
ル・グウィン氏の、ハイニッシュ・ユニバースというシリーズの一作で、これと同シリーズの「闇の左手」という作品は、何年か前に読んだことがあり、確かに同じ世界観(宇宙観?)の作品なのだなあと思いました。
ル・グウィン氏の作風の面白いところは、SFで、いかにもSFっぽい説明がくどくど書いてあるようでいて、肝心のところは行間を読んで空想する仕様になっているところかな。
出身の星系が違うものどうしが連合した宇宙連邦的なものが存在しているふうに書いてあるけど、それが具体的にどういうものかは書かれていないし、主人公ロカノンが降り立った世界の人々が、かなり短命であるようだけど、平均寿命がどれくらいとか、そういうことも具体的には一切書かれていない。
種族的に全く交流のなさそうな異星に、人類そっくりな知的生命体がいることの謎も、特に触れられていないし。ハイニッシュ・ユニバース・シリーズの別作品には解説があったかもしれない。
「闇の左手」で、そういうヒューマノイドタイプの異星人は、かつて移民してきた地球人の末裔なのだというような設定があったような、なかったような?

闇の左手 (ハヤカワ文庫 SF (252))
闇の左手 (ハヤカワ文庫 SF (252))

「闇の左手」は、とにかく寒い星の話なんだという印象があり、その星の人は普段は性別がなく、繁殖期だけ性徴があらわれます。男になったり女になったりする。
そういう星に調査に来ていた地球人の黒人男性が、いろいろ巻き込まれて、厳寒の荒野を旅するハメになるという話だったと思う。
私は、彼の旅の道連れになる現地人の、エストラーベンという人物の、愛想がなくて、何となく常にムッとしているところが好きでした。
全部読み終えてから気づいたんだけど、エストラーベンてもしかして、この話のヒロインだった?(鈍い)
私はなぜかずっと、エストラーベンはオッサンだと思って読んでいたんです。地球人の若い兄ちゃんが異星のオッサンと厳寒の荒野を旅する話と思っていた。
エストラーベンは女性(というか主人公にとっての恋愛対象)なんだと思って読むと、また全然違った危うい話だったのかもしれません。私、もう一回読んだほうがいいよね……。
まあ、なんつか、性別が無い世界なんだから、そのへん気にしなくていいのか、なんというか、不思議な話を書く人だよ。

SFも面白いんですが、私にはアーシュラ・ル=グウィンは、「ファンタジーを書く人」であり、「ゲド戦記」の人、なのですが、このほど氏の新作シリーズ「西のはての年代記」を読み終えまして、自分の中ではこの「西のはての年代記」が、氏の最高傑作ではないかなと思えました。

ギフト (西のはての年代記 (1))ヴォイス (西のはての年代記 2)パワー (西のはての年代記 3)


齢八十にして、全く新しい異世界を創造し、その大長編を脱稿するというのは怪物的です。内容的にも、老衰を全く感じない筆致でしたし、それでいて年齢による円熟は感じられます。
平たく言うと、「ゲド戦記」より、「西のはての年代記」のほうが、綺麗にまとまっていて、上手い、と感じます。
それはスゴイことだなあ。八十歳になっても、成長する人は成長しています。

私なんてまだアラフォーですが、すでに長編ファンタジーはしんどいです。
新しい異世界を創ろうという活力が自分にあるかどうか全く自信はありません。
現実には、若いころに創ったものの貯金を切り崩して食ってる感じじゃないでしょうか。
まあ、そのへん、創作人としての格の違いというものかもしれません。
「西のはての年代記」を読むと、「アタシももうトシだから」っていう言い訳は通用せんなぁ、と、しみじみ思います。年月を重ねても、腐らず熟成する書き手というのはいるものですね。

何作か読むと、ル・グウィン氏の作風のパターンとして、「逃避行」があるのだなと気づきます。何かから逃げて、あるいは、何かを探して、ほぼ遭難したような命からがらの旅をする主人公が、繰り返し登場してきます。
氏のデビュー時代の作品である「ロカノンの世界」もそうですし、「闇の左手」も逃避行の物語でした。「西のはての年代記」の完結巻である「パワー」もそうです。
ファンタジーとは、旅を描く物語であるという考え方が、文学の一つの見方としてあるそうです。旅や冒険、逃避行は、人生を象徴するものだからです。そういう意味では、ファンタジーは登場人物の一生涯を描く分野であるという考え方もできます。

ファンタジーの書き方わかんない、書きあぐねている、という人がもし居たら、ある旅の始まりから終わりまでを書いてみたらいいのではないかと思います。
それがファンタジーの全てではないですが、わかりやすく、描きやすい物語構造であるのは確かです。そして、分かりやすいからといって、底の浅いものでは決してありません。ル・グウィン氏のようなSFファンタジーの大家でも、一生をかけて描いてきたのが、紀行ファンタジーというジャンルです。

私にとっては長年、小説を書くことは、空想の異世界に旅をすることでした。旅に出るのは億劫ですが、行けば確実に楽しいです。
「西のはての年代記」は完結しましたが、ル・グウィン氏はまた新しい旅に出るのでしょうか。ファンとしては、そうであってほしいものです。
私もまた旅に出ることができるでしょうか。そうであってほしいものです。私の残りの人生が、豊かなものになるように。

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