2012年7月31日火曜日

evernoteにいろいろ入れる

私にはevernoteの活用方法がイマイチ分かってない。今、いろいろ試してみている。

気に入ったお店のショップカードをもらってくる癖がある。紙モノが好きなので、ショップカードそのものが欲しくて貰うわけだが、ものすごく溜まるし、整理もしないと、ただのゴミになってしまう。
(整理したところで、大抵の場合は実質ゴミだったりするのだが。)

SHOT NOTEにショップカードを乗せて、専用アプリで撮影したのを、evernoteにUPしてみた。
いい感じだ。

iPhoneのスキャナーアプリ(無料のやつ)で撮ってupするのも試してみた。
別にこれでもいいな。

ショップカードを捨てるための儀式みたいな感じだから、別にただ写真に撮るだけでもいいのかもしれない。その一段階を踏むことで、モノへの未練を断ち切れる。そういえば、儀式って元々そういうものだよね。

実際のお店の情報は、いまどき、公式のサイトやブログがあって、その都度ググって見るほうが、情報も最新だし間違いがない。
なのになんで私はショップカードを貰ってくるのか。妙な所有欲だと思うけど。でも、貰うと、その瞬間幸せなので、たぶん一生やめないんだろうな。

お店とか人への、賞賛のアピールなんだろうとは思うけど。
「この店が気に入りましたよ」「あなたの作品が好きですよ」という意思表示として、ショップカードや作家の名刺を貰ってくるんだと思うし、カードをもらっていいですかって聞くと、「どうぞ」というその瞬間、貰われるほうの人も嬉しそうなような気がする。
だから一種のコミュニケーションなんだろうね。

でも、それをずっと保管しておくには、今の世の中、モノも情報も溢れすぎてる。
昔々の恋人たちが、初めてデートしたバーのコースターを思い出に貰って帰って、一生とっておくというような情緒は素敵だが、それが物体として手元にあるべきかは、難しい。モノにもよるし、人にもよるし、時と場合にも、ライフスタイルにもよる。

うちの夫は昔々アップルストアでもらった林檎製品のパンフレットなども後生大事に保管しているが、それはバーチャルではダメなのか?
ムームー星人の縫いぐるみは本当に要るのか?
バーチャルボーイはもう捨てよう?
それがダメなら、せめてスペースバズーカを捨ててほしいのよ。
あの世にスペースバズーカを持っていくことはできないわ。
私たち、長生きしたって、あと3、40年で世を去る定めよ。人生の半分はもう使い終えたのよ。
自分が死んだ後、娘にスペースバズーカを処分する粗大ごみ費用400円を払わせるつもり?(京都市では粗大ごみは有料です)
自分で捨ててよ。

そう説得するのだけど、夫は永遠に生きるつもり。スペースバズーカとバーチャルボーイと、アップルの古いパッケージやチラシと共に。

と、人のことを言うのは簡単なんだけど、私も相当に無駄な廃棄物を後生大事に持ってるよ。私には宝物なんだけどさ。でも客観的にはゴミだよね。
その処分の手間を考えると、残していいのは思い出だけ。面倒な処分は本人がやっとけというのがあるなあ。

とはいえ、大好きな無駄なものに囲まれて生きる幸せって捨てがたいし、それだって人生の喜びなんだから、バーチャルでOKなものは、evernoteに突っ込んでおいて、満喫する方向が、手軽でいいよねえ。

もちろん、evernoteには実用的なメリットが沢山あるんでしょうが。非実用のメリットもあるな。

実用のメリットでは、手持ちの着物や帯や、気に入ったコーディネートを写真に撮って、evernoteに入れておいて、翌年の同じ季節に参考にしたりします。着る時にコーディネートに悩まないので時短できる。

活用しようと思えば、実に様々な用途があって、まさに外部脳なんだなって分かるけど、evernoteが消えたらどうなるんだろう?
クラウド時代、そんなことは愚問なのかな。ローカルにバックアップは不要なの?

もっとも、自分が管理してる自宅のハードディスクより、プロが管理してるデータセンターのほうが、何倍も安全ていうのは、あるかもしれない。
他人に情報管理を依存するリスクとかいう以前に。データをロストするリスクは、自宅のハードディスクのほうが高いのかもしれない。

そういう意識になったのは、私の場合、東日本大震災で、自宅もデータも失ってしまった人が、たまたまオンラインストレージに置いていた子供の写真だけは残ったというようなエピソードを聞いたからだけども。

自宅のバックアップが案外あてにならないっていうのは、あるなあ。

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