2012年7月30日月曜日

ほぼ日手帳カズンを来年も買うかで悩んでいる

大抵の人にとっては、どうでもいいことだろうに、毎年、「手帳どうする?」という件で悩んでいる。まだ7月なのに、もう悩んでいる。

本人はツラいのだが、傍目にはたぶん、好きで悩んでいるようにしか見えない。そして、たぶん、実際にも、好きで悩んでいる。しかし、精神的にツラいのも事実なのだ。だからたぶん、マゾヒスティックな喜びの一種と思う。

私が書きたいから書くけど、誰も興味ないのは知っています!

さて、私は今年、ほぼ日手帳カズンを日記帳として、ほぼ日手帳WEEKSを持ち歩き用のスケジュール帳として使用している。
WEEKSには未来の予定を書く。レフト式のウィークリー仕様なので、ウィークリー部分には当然、週の予定を。左側のノートページには、その週のToDoと、必要事項のメモを書く。
礼状を送るなら相手先の住所、子供が遠足に行くなら、持ち物のチェックリスト。備忘録としての覚え書きも書く。書き切れないボリュームの記事は巻末のノートに書き込み、その旨を注記するという感じ。
ここには基本、予定と事実のみを書き込み、日記的なことは書かない。

WEEKSは私にとって、持ち歩き用としては微妙にデカい。カバンの中で嵩張る。そして、「今週のお言葉」が邪魔。しかし今のところ、紙面の広さが自分の予定記入に最適であるし、これを超える使い勝手のものと出会えていない。だからもう諦めた。来年も再来年も、ほぼ日手帳WEEKSを買い続ける惰性の女になる。

しかし日記帳である。
ほぼ日手帳カズンはデカい。
デスクノートとして使っているので、デカくても差し障りはないのだが、自分にとっては愛せるサイズを微妙に外している。モレスキン・ラージくらいのサイズが気持ちいい。(だがモレスキンの紙が嫌いだ)
でも、そうは言いながら、カズンの紙面が広過ぎて余るかというと、余らない。むしろビッシリ書いてる。ものを書くのが好きなので、紙面がある限りビッシリ書いちゃうのだ。時間と気力と紙面が許す限り書いちゃう。
だから逆に紙面を狭くすれば、日記も手短かに纏めるようになる。制限文字数に収まるように要約する能力は一応あるみたいなのだ。
したがって、カズンのサイズが本当に必要なのかは自分でも分からない。

カズンの「要らないページ」問題も、私には気になる。マンスリーと、バーチカルウィークリーページを、私は使っていない。それがどれくらいのページ数なのか、試しに見てみたら、カズンの3分の1に及ぶ量だった。
もったいなくね?
そう思うのはケチすぎ?
でも、トモエリバーは比較的、高価な紙だし、書き心地がいい。使わずにおいておくのだと、もったいない感がある。

ググったら、バーチカルなウィークリーページに、一日の簡単なライフログを書いている人がいた。予定ではなく、日記として使っているということだ。
なるほど、そういう使い方もあるなと参考になった。
同じものを私は、一日一ページのほうに書いているのだが、それをウィークリーのほうに書いて、一日一ページのほうは、単純に記事だけ書くようにすればいいんだな。
同日の出来事が別々のページに分かれるのって、微妙に面倒くさいが、大量に余っていたページを使いこなしちゃった的な満足感と、「別ページ開いて書くのメンドクサ」というモノグサさと、どっちが自分の中で優先されるか、やってみりゃ分かる。(モノグサが勝ちそうな予感がする程度には怠け者なんだが…)

マンスリーが余るのは、気になるが、見開きで12ヶ月ぶん程度なら、見なかったことにできる程度には、私はいいかげんな女のはずだ。大丈夫、耐えられるわ、かおる!

そうやって来年もカズンを使うか。
それとも要約能力を「強」に設定して、ほぼ日手帳オリジナルに戻すか。
去年はオリジナルを日記&スケジュール帳として使用していたのだが、自分の話が長過ぎて、「こんなちっせーノートに書ききれるかっちゅうの!」とキレたことや、ジェットストリームで書き込んでページがゴワゴワしていく感じに快感を覚えたものの、ノート後半になると、ゴワゴワで膨らんだノートが書きにくくて若干キレ気味になる日があったり、持ち歩く時に邪魔過ぎたりと、どうもなんとなく、ほぼ日ワールドの住人になり切れない自分を感じたので、カズン&WEEKS併用に切り替えたのである。

それを思い返すと、オリジナルに戻るっていうのは、「バカなの?」という感じがしなくもないが、私の考え過ぎかもしれないので、身近にいた夫に事情を説明して意見を求めてみた。
すると「その話だと、お前が来年の夏頃にキレるのは確実だと思うから、アホなことはするな、かおる」とのことだったので、ムカっとした。
オリジナル版のほうが小さくて可愛いやん? いや、まあ、女子っぽい豆字とか書けない私がいけないんだけど。それでもアンタに言われたくないわ! などと八つ当たりをして発散したところで気を取り直し。

エディット(ED!T)はどうなの?
ほぼ日手帳と同じく、トモエリバー紙を使用した一日一ページの日記帳である。
本体サイズが、大きすぎず小さすぎずで美しいし好みだ。付属のカバーも綺麗だし好きだ。
ということで、脱・カズンを目指して購入したのだが、「罫線狭すぎ……」と歯ぎしりしたいような使用感だった。
豆字を書けない女子力のなさが、ここでも浮き彫りとなる。
では一行飛ばしで書けばいいのではないかと試した。
それだと行間があきすぎて気持ち良くない。
では罫線を無視すればいいのではないか?
それも試そうとしたが、添付写真のような、無視しやすいようにと塩梅されているに違いない薄味のドット罫線であるにも関わらず、世間の敷いたレールを無視できない弱い自分がいる。どうしても罫線が見える。罫線に沿って書いちゃう。書いちゃうんだよ!!

方眼罫なら無視できるんだよ。無地と認識することもできるし、必要に応じて、罫線として使用することもできる。
だから方眼罫が好きなのだが。それだと、ほぼ日手帳の思う壷なのだが。
悔しいと思うけど。
でも実際、思う壷なんだよ。

MARK'sさんは、どうしてED!Tを方眼紙にしてくれなかったんだろうなあ……。
世の中の人は、方眼よりは罫線が好きなのか。
それとも方眼紙だと、「ほぼ日手帳すぎるじゃない…」みたいなのがあるのか。
でも、そこは、利便性から割り出された結論ということで、サメとイルカの形が似てるようなものなんじゃないのか。ということじゃダメなのか。
私がそれを悩んでも、なんの意味もないが。

もう一度、ED!Tとやり直してみる気はないのか、私。
豆字を書けばええやないか、かおる!
慣れればできるはずだ。
使い慣れれば愛着が湧くはずだ。
そして、「デスクに置いてあるカズンがデカすぎる」というストレスから自分を解き放つことができるのだぞ!

そのように思うので、ED!Tと再び仲良くする人格改造を本日より試みてみることにした。

素直にカズンで妥協すればいいという気がしなくもない。
でも何となく、何故かは分からないけど、「スケジュール帳も日記帳も、ほぼ日手帳なんです。毎年リピートしています」というのが恥ずかしいのだ。何故!? 別にいいじゃん!
でもなぜか抵抗したいの。

それが「使うノートは全てモレスキンです(フッ)」というのなら耐えられるの。なんかいいな、ホワワワン♪みたいに思うの。(でもモレ紙には耐えられなくて轟沈)

でもそれがほぼ日手帳だと「結局俺が便利なんだろ、分かってるんだよ」みたいなノートな気がしてね。
「そうよ、結局、あなたしかいないの……!」(※雨の中、誰もいない石畳みにずぶ濡れでくずおれて泣き叫ぶ)って素直になるくらいなら、チラシの裏に予定を書いてやるみたいな気持ちが暴走するの。

夫には、「かおる、お前、めちゃめちゃ楽しそうやな」と言われました。
たぶん、ほめてるんじゃない。
でも楽しいです。

体力が回復したのか、記事内容が、バカ大爆発みたいになってきました。
大丈夫、それがいつものペースだ。

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