加齢により、記憶力が衰えてきたせいだ。
若いころの私は、記憶力が良いほうだった。十代から二十代中頃までの事である。自分のスケジュールも、授業で習ったことも、友達とした話も、いずれ書こうと思う創作のネタも、全て頭の中に入れておけたし、必要な時に随時思い出せた。
それが今や、昨日の晩ご飯に何を作ったか、とっさに思い出せないレベル。つい今しがた考えていたことを、ふっと忘れてしまう始末。ものをとりに三階へ行き、到着すると、何を取りに来たのか忘れている。
(それヤバくないか、と自分でも思うのだが、同世代の友達が「そんなの普通よ、アタシもそうよ!」と言うので、実は全員がヤバい)
そんな、いかにも頭悪そうな私だが、不思議と、創作のネタだけは忘れないのだ。創作にかける必死さが伺えるが、日常生活には何の役にも立たない。そして、そのうち創作のネタですら「なんだっけ」ってなる日が来そうな予感もする。
ヤバイ。カルテットなんだっけってなったらヤバイ。
それに創作のネタも無限に思いつくわけではないから、せっかく思いついたものは、忘れないようにしないとヤバい。こんな長編病で、ネタ切れってこともないだろうが(切れるのは寿命のほうだ)、でもやはり忘れるのは惜しい。
それよりも何よりもまず、予定あるの忘れててダブルブッキングとかいうのが絶対まずい。メールで連絡するわねって約束してた友だちにメールするの忘れちゃったとかいうのもまずい。
そんなこんなで、日々、私は己の忘却力と戦っている。
事始めに、とりあえず、ノートを常に携帯して、なんでもかんでも書くことにした。
なんでもかんでも一冊のノートに書けって言ってる人がいたんだもん。
人生は1冊のノートにまとめなさい―体験を自分化する「100円ノート」ライフログ
だけど、何事にも、向き不向きがあるのだろうなあ。
人それぞれに、ベストな方法論が違うというか。たかがノートに何か書くだけのことでも、自分に合った方法っていうのが、あるのだというか。
つまり合わなかった。
何もかも一冊に書くというのは、すごく洗練された方法であるし、なにしろノートを一冊持っていればいいので、持ち歩くにしても荷物が少なくていい。
そう思って、すごく共感したのに、なぜか全然うまくいかなかったのだ。
そこで、自分がノートに何を書いているのかを、凄く時間をかけて、じっくり考えてみた。(これっぽっちのことを考えるのに、何ヶ月もかかるというのが嘆かれる)
- 未来のこと(スケジュール)
- 役立つ情報(アドレス帳、作業覚書、振込口座、行き先までの地図、遠足の持ち物、贈答品の履歴)
- アイデア(創作ネタ帳、思いついた料理)
- 感想、気持ち、思ったこと
- すでに起きたことの記録(日記、ライフログ)
(3)アイデアも、後で使うために書いているので、それなりに読み返す。
(4)思ったこと(5)ライフログは基本、書いたら書きっぱなしだ。(5)は「○○さんと会ったのは何日だっけ?」とかいう時に、記録を読み返すことはあるが、そういう必要性がなければ書きっぱなしである。(4)に至ってはもう、役に立つかどうかより、自己満で書いている。書きたいから書いているだけで、書けたら捨てても全然困らない。(思い出にはなるだろう)
これらの情報は混在すると不便だ。私には不便だったのだ。
(5)ライフログを確認したいときに、(4)思ったこと、に該当する、「今日うちのオチビちゃんがダンスを踊っていて可愛かったキャッキャッ、思えばこの子が生まれてから早いもので云々」とかいうのがダラダラ書いてあると、我が事ながら超絶うざい。
何もかも一冊に書く場合のポイントは、一冊に書くことにではなく、後で読み返して情報を分類、タグ付(整理)、必要に応じてサルベージすることにあるようだ。つまりは、分類する作業を、書く時でなく、後で行う。とりあえず何もかも一冊に書いておいて、残すか、それともエバーノートなどに移植して管理保存するか、etc.を、後で決めるという方法論だ。
それだと二度手間じゃないのか。
まあそうなんだけど。一冊方式は、速記性を損なわない、書く時にどこに書くかためらって面倒になって書かない、とかいうのを避けられるという、優れた点がある。
しかし大丈夫。私は書くのを面倒がったりはしない。何もかもが面倒くさい人だが、書くのだけは面倒だと思わない。三度の飯より好きなのだ。(だから長文なのだ)
むしろ、後で情報を分類する作業が面倒だ。確認したい情報は、すぐに見つからないとイラッとする。
何が面倒で、何が平気かは、人によって違うということだろう。
何もかも一冊のノートに書くっていっても、一冊ノートの人だって、スケジュールはスケジュール帳に書くであろう。
未来のこと(予定)を書くノートと、過去のこと(既存の事実)を書くノートが、一緒になっているのは、極めて不便だ。用途が違いすぎる。
だから私が何もかも一冊にまとめてみた時も、スケジュール以外の(2)〜(4)を一冊に突っ込んだに過ぎない。
そしたら、それでも何故か不便だったのだ。レビュー(後から見返す作業)をしないからだ。確か、上記の本の人も、「ノートを活かせないという人は、レビューをしないからだ」と書いていたような気がする。うろ覚えだが。
だったらレビューをすればよさそうなものだが、先述したように、面倒くさくて無理だ。
結論。私には、一冊ノート方式は使えないということだ。
そこで、自分なりの方法論を模索して、今のところ落ち着いているのは、用途・目的に併せてノートを分けることである。分類方法は主に「見返し度」だと思う。レビュー時の利便性を上げて効率化を図るための分類である。
- ノートA……(1)スケジュール(2)役立つ情報
- ノートB……(3)アイデア(4)思ったこと
- ノートC……(5)ライフログ、日記
Aには、Bに書くようなことは一切書かない。スケジュール帳である。
大事な事は全てノートAが知っている。頼れる執事セバスチャンみたいなものだ。
Bには、何でもかんでも書く。思考用のノートだ。書いているうちに、いいことを思いつくこともあるし、少なくとも気が晴れる。ムダ話につきあってくれる親友みたいなものか。
本当は、(3)アイデアと、(4)思ったこと、は、別のノートに分けたいところだが、そう何冊もノートばかり持ち歩けない。重いし。
しかし、せっかくのアイデアが、しょうもないウダウダに埋もれて流れ去るのも勿体ないので、このノートに情報カードを挟んで持ち歩き、日々の記録に埋もれないようにしたいネタをそこに書く。
Cはデスクノートである。一日の最後に日報として書く。私にとっては、このノートは、「エア上司」である。書くと、一日の時間の使い方とか、いろいろ反省する。金銭出納帳も兼ねている。うちのラダックみたいなものだ。(※「新星の金庫番」)
今のところ、ノートAは、ほぼ日手帳WEEKS。
ノートBは、スマイソンのパナマノート。以前はモレスキンXSだったり、無印野帳であったりした。マイベストなノートを探して、ものすごく彷徨っている。
情報カードは、コレクトのセクション(方眼)の、5×3インチのもので、パナマノートにはさむと、縦横の比率がほぼ同じで、一回り小さいという、ぴったりのサイズ。
ノートCは、ほぼ日手帳カズンを使用中。一日のタイムラインが書けるのがいい。
ほぼ日手帳に使われている、トモエリバーという紙が好きである。そして方眼の罫が好きだ。ほぼ日がノートBとして使える綴じ手帳を作ってくれたら、もー、身も心もほぼ日帝国の奴隷になってもいいと思っているくらいだ。(だが、本日のお言葉はなくていい)
ところで、こんな愚にもつかない記事をなぜわざわざ書くのかというと、書きながら考えているからだと思う。どなたのお役にも立たない情報だし、読んで面白いわけでもないが、自分のブログだし許してほしい。
最後まで我慢して読んじゃった人はごめんなさいでした……。
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