娘と用事で高島屋京都店に出かけていて、たまたま通りかかった催事スペースで、エコ100選というエコロジーのイベントが開催されていました。
そこで、使用済みペットボトルを加工して、プランターをつくる無料ワークショップがちょうど始まっていて、娘がやりたがったので、時間調整のためにも都合がよく、参加することに。
ペットボトルにシールを好きなだけ貼ってデコるという、女児にはパラダイスな内容だった上、ラベンダーの苗も貰えて、さらにアンケートに回答すると、KOKUYOのキャンパスノートと、スティック糊と、テディベアの縫いぐるみが貰えました。
なんか申し訳ない気がした……。スポンサー様すごいな。ありがとうございます。
そこのエコお化け屋敷ってコーナーで、比叡山お化け屋敷の妖怪も展示されてるとのことで、見たい気がしましたが、折悪しく、入る直前に幼児の泣き叫ぶ声が中から激しく聞こえ、人一倍臆病者の娘が「むりだね((((;゚Д゚)))))))!」と断言したので、無理ということに。
どんなだったのか、比叡山の妖怪。
そんなこんなで、我が子が生まれて初めて手に入れる事になった大学ノートが、KOKUYOのキャンパスノートです。
懐かしいなあ、これ。
懐かしいといっても、プリントを貼り付けやすいサイズとトンボ入りの新製品のやつで、とても新しいんですが、キャンパスノートって私が子供の頃からあるので、新しくても懐かしいです。
そういえば昔はこれに小説を書いてたんだよ。シャーペンでさ。漫画を描いてる子もいたよ。罫線なんて、ものともせずにだよ。書きたい盛りだったね……。
今思い出すと何だか恥ずかしいっちゅうか、「中2だった」感に目眩がします。
パソコンで書いてたって別に状況は同じなんですが。(そして今も心は中2なんだが)
今の中2の子も、ノートに小説を手書きなんてするのかな? しないのかなあ。
キャンパスノートって、いろいろ甘くほろ苦い、青春のノートです。私にとっては。
職場では、PC化が完全に浸透していて、ノートを仕事に使うって場面はなかったので、私にとってキャンパスノートは中学高校時代のイメージです。
大学の時は、先生の指定で、三穴タイプのルーズリーフかリーガルパッドという欧米文具しか使ってはいけないことになっていて、取り扱っている店まで買いにいかねばならず、手間もコストかかって迷惑だった……。なんだったんだろう、あれは一体。
でも、今でも、三穴ルーズリーフやリーガルパッドを見ると、学生時代を思い出して懐かしいです。それはそれで面白いことだよね。
三都・神戸編にリーガルパッドが出てくるシーンがありますが。(イエローパッドともいう。作中では黄色い紙だというのをイメージしてもらうために、リーガルパッドではなくイエローパッドと書いてた) あれも懐かしいから登場させただけで、深い意味はないんです。
カルテットに登場する紙は、羊皮紙ではなく、植物パルプの紙なんだけど、それについてもっと書き込んでもよかったよね。100人中99人には、どうでもいい無駄な描写だけど、私が書きたいのであれば。
紙は、あの世界では貴重品という設定で、輸入品でもあるので、実家が貿易で儲けているイルスが一番たくさん紙を持ってきているんです。
大昔、大学ノートに書いてた時代の原稿には、イルスの机に新品の紙がどさっと積んであるのを、スィグルがじーっと見ているシーンがあって、「お前の親父は商売がうまい云々」という話しをイルスにしていたんだけど、ネットで書くときに削ったんです。
スィグルは紙が高級品だということを知っているけど、イルスは知らないし、剣術がすごいと思っていた父親が、実は軍人というよりビジネスマンだという事実に、そのへんで初めて気づくわけ。イルスは親父が政敵の首を広間で撥ねるとか、もとは剣奴隷だったという部分だけを重く見ていて、強い男なんだというのに内心執着しているわけですが、現実にはヘンリックは経済政策の成功によって地位を保っている人物として描いていくキャラクターなのです。
初対面のスィグルに、お前の親父は商売が上手いよねという話をされると、イルスは自分が漠然と抱いてきた父親のイメージとのギャップに一瞬ポカンとするんだけど、無口だし何もコメントできず、ただじっと紙を見るだけという、ものすご地味すぎるシーンで。確かに面白くはないのかもしれないが、キャッチーでないという理由で昔の自分に削られてしまい少々悲しいです。
イルスは初対面のスィグルのことは、エキセントリックだけど頭は切れる奴、と思っているはず。年も一歳下だけど、自分より賢いんだと感じていて、実際そうなんだけど、イルスのほうが人間ができているし、日常生活の常識はあるんだよね。
イルスは自分が知らない世間のことを、スィグルから学ぶんだけど、スィグルもここで初めて知る当たり前のことをいろいろイルスの言動から学んで、カルチャーショックを受けてるはずです。
シュレーやシェルは文化が違うなりに、生活環境がアレなので、予想できる範囲だろうけど、イルスは六畳くらいの部屋で寝起きして、自炊してたような庶民だからね、スィグルには唖然とするようなことも本当はあっただろうと思うよ。学院編の序盤はイルスの視点から「スィグルが変だ」という話が語られるけど、スィグルも十分「イルスは変だ」と思ってたんじゃないかな。いきなりタメ口の本音トークとか、宮廷育ちのレイラス殿下にはドン引きだよね。でもその裏表の無さや、ストレートさが、新鮮で良かったというか、いい奴だなと思ったんでしょう。
シュレーやシェルがイルスを初対面から気に入っているのも、たぶんイルスが正直者でアホだからだと思うんだけど。性格のシンプルさとかに度肝を抜かれるし、癒されるんじゃないのかな。
特に猊下はあんな怪物だらけみたいなところから来てるんだし、イルスに会うと、こんな生き物がこの世にいるの!? ぐらいにカルチャーショックだったかもしれない。
「お前、いい奴だな」ということに皆が驚く学院編の序盤。イルスは実家から持たされたノートをアホほど持っているけど、筆まめなシュレーは実は貧乏なのでノートも買えないような境遇なんです。それでも嫁に手紙を描いてるんだから、彼もちょっと崖っぷちだよね。そういう人がいる横で、ノートをアホほど持っているイルス。
必要があれば、イルスは紙くらい、いくらでも分けてくれるでしょうが、そういうことには鈍いから気がつかないだろうし、彼はそもそも字を書かないんです。読み書きはできるけど、する習慣がないのね。授業中もイルスはノートをとらないんだよ。
シュレーはそういうのにビックリするんだけど、そのへんの他愛もない話が延々と続くカルテットでよかったのかもしれないなという気が最近ではします。むしろその方が良かったか。模擬戦闘も悪くはないけど。もうちょっと後でも良かったな。
若いといろいろ書き急ぐものです。
話のバランスが悪いとか、そういうのも気になったのだろうし。「上手く」書きたかったんだろうな。見栄とかで。
大学ノートに書いていたころには、友達がその眠い内容の話を根気よく読んでくれていて、この話は面白いよって言ってくれたんです。
登場人物が延々と飯食いながら雑談してるだけみたいなのでもさ。
私は一体なにを書きたかったんだろう。
胸踊る戦闘シーンも、ごはん食いながらシェルがチーズの話をするのも、自分の中では同じ比重だったかもしれません。人に読ませるんだと思わなければ、私はスィグルが「蛇が脱皮するときって、どういう気分なんだろう」って暖炉前でイルスと話してるシーンを延々何ページにもわたって書いたり平気でやるんですが、そういうのはやっぱダルイなと思って、決定稿には入れちゃいかんのだと思っているんです。
でも、そもそもそれが間違ってんのじゃないかと、カルテットについては思う。よくわからないですが。
また大学ノートと向き合ってみるほうがいいのかもなあ。ネットで手軽に人に読んでもらえるので、「読まれる」ことに特化しすぎて、自分はどう書きたいのかっていうのが、あまり掘り下げられてないような反省もあります。
迷走してるなあ。
人のために書いている、みたいになると、なんだかつまらないですよね。
無責任というか。
「あなたが読みたいものを書いているんです」とか作者に言われても、「じゃあ、あなたの書きたいものはどこにあるの?」って読者さんは思うんじゃないかな。それだと主体性がない作品だ。
聞いてくれる人がいるから語る、んではなく、語るから聞いてもらえる、というのが、ストーリーテリングの本当のところだよなあと思うので。
まず語るのが先にないと。
でも近年の私は、読んでくれる人がいるから書きたいと思っている気がします。それじゃだめなんじゃないかなあ。だから意欲が薄いのでは。
書きたいものがあって、書いてある作品は、拙くても、誰かが読んでくれるものですよね。昔、ノートに手書きしたのを読んでくれた友達がいたみたいに。
そういうものだと信じる勇気が必要な気がするね。書く人には。
ま、それで結果ダメだったとしても、仕方ないのだし。
いろいろ考えて頑張ります。
(いつもより多めに意味不明の記事でした。すんません)
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