2012年3月14日水曜日

借りぐらしのアリエッティ

うちの娘が最近やっと、世の中に音楽CDというものがあることに気が付きました。
彼女は、生まれた時から家にiTunesがあり、音楽とは、Macかカーナビか携帯電話が演奏するものだと信じて生きてきました。もしくは楽器の生演奏です。

本人の談によれば、幼稚園に入った時に、「変だな」と思ったらしいです。
お昼寝やゴハンの時の音楽を、幼稚園の先生が、Macでもケータイでもない何かで鳴らしていたからです。

CDラジカセです。先生は、スピーカーにDVDみたいなのを入れて音楽を鳴らしいてるの、と娘は真面目な顔で話していました。うちの娘は、あの丸くて銀色のディスクには、動画か、写真のバックアップが入っているもので、映像媒体であり、音楽を収録してあるものだという認識が無かったようです。

物心ついた頃にはもう家にiPadがあり、NintendoDSの幼児ソフトで遊び、世の中のモニターは全てタッチパネルだと信じている世代です。
楽曲が、お金を払って買えるものだということを、つい先日まで知りませんでした。
親はiTMSで買っているんですが、その仕組は見ただけで幼児には分かりません。レジがあって現金を払っているわけではないので。「音楽はインターネットにいくらでもあるものだ」と娘は思っていたらしいです。

彼女が認識を新たにしたのは先日、オカンの用事につきあって、ツタヤに行った時でした。音楽CDが販売されている中に、彼女の好きなアニメ「借りぐらしのアリエッティ」のサントラCDがあったのです。

  借りぐらしのアリエッティ サウンドトラック
借りぐらしのアリエッティ サウンドトラック

「アリエッティのDVD売ってるけど、うちにあるのと形がちがうね……」と娘が物欲しそうに言うので、それは音楽CDだと教えたんです。そうしたら、それが物凄いカルチャーショックだったようです。

音楽って買えるの!?

と店で大音量で叫ばれました。
私が生まれて初めてiTMSでMP3データを買った時のような衝撃でしょうか。もしかすると、それ以上のものかもしれませんが。

「えっ、じゃあ、AKBの曲とか、売ってるの? 買ったら聴きたい時に聴けるの( ゚д゚)?」
と、娘はびっくりしていました。
そうさ、それが音楽産業さ。知らなかった……? そりゃそうだよな。教えてないもんな。

娘は、歌手やミュージシャンの人たちは、音楽はただで配り、コンサートやテレビ出演の仕事で生計を立てているのだと思っていたそうです。それフリーミアムじゃんかよ。時代を先取りしすぎ。
世代的に、インターネットには何でもあって、それを全て(一見)無料で使用できるというのに慣れすぎていて、データが販売されているという事実に思い当たらなかったらしいです。

夫にそれを話すと、それはそれでカルチャーショックだったようで、娘に教育的措置として、「借りぐらしのアリエッティ」のサントラCDを買い与えていました。

……Amazonで。

それ、店で現金払って買ったほうがよくない?
娘はAmazonの人はいつもただで本やDVDを送ってくれる親切なオッサンだと思っているような気がすんのよ。デジタルマネーを子供に理解させるのは難しいと思うよ。なにしろ娘は、パパは毎日会社で遊んでるんだと思ってんだからね?

しかもAmazonから届いたCDのデータは即座にiTunesに読み込んでiPadに入れて子供に渡してるしさ。それじゃ今までと何一つ変わらねえじゃんよ。
しかしうちにはCDプレイヤーが存在しないので仕方がないんです。いちいちDVDプレイヤーで聴くのも面倒くさいしiPadのほうが便利です。最近、AppleTVも導入されたので、子供の目には、一体何がデータを再生しているのか、いま鳴っている音楽データは一体どこに存在しているのか、ますます分からない状況になってきています。まさに、Music in the Air、音楽はどこともしれぬ天空から鳴っているのです。

そしてその、「借りぐらしのアリエッティ」ですが。
巷での評判はどうだったのでしょうか。あまり良い評価を聞いたことがないんですが。
うちの子には好評でした。神戸で開催された、アリエッティ展を見に行った効果もあったかもしれません。アリエッティの世界の実物大セットが組まれ、自分自身が床下の小人になったような気分が味わえる面白い展示でした。

ジブリ版のストーリーは、なんとなく、要約すると「だから何」みたいな、どれがオチなの、みたいな、雰囲気重視の内容でしたが、私には、いい作品だったような気がします。
結論があるようで無い、というか、無いようで、あるというか。見る人それぞれが何かてきとうに自分なりの結論を考えればいいような作品でした。それでいて、何がしかの情動を観る人の心に強く喚起する内容でした。言葉ではうまく説明できない種類の感情です。理屈で解説しようとすると、逃散ってしまうような何かが、行間にある作品になっていたんではないでしょうか。

DVDを一生懸命見て、スタッフロールが尽きた後、うちの娘は「アリエッティって、どろぼうじゃない?」と真面目な顔で悩んでいました。「あれ、借りてないよね。盗んでいるんだよね。それとも誰も見ていないところでお金を払ったり、借りたものを返したりしているの?」と。

それはとても難しい話やなと思いました。

アリエッティは人間ではありません。位置づけとしては野生動物です。
小鳥がどこかから飛んできて、テーブルの上のパンをつついて食べたり、少し巣に持ち帰っても、おまわりさんは小鳥を牢屋に入れません。
小鳥は人間じゃないから。
でももしアリエッティの家族を、我々と同じ社会の構成員とみなすのであれば、あれは泥棒でしょうね。

ちょっとだけなら盗んでもいいという事には、親として、教育上できません。
そういう、親が子供に質問されて言いよどむような内容であったのが、それはそれで良かったのではないかと、私は思いました。
答えは、子供が自分で考えりゃいいのです。私は親なので、親としての立場からの意見を言いますが、(たとえば「人のものを盗むのはいけないわ」とか) そういう、人から与えられる考え方ではなく、自分で考えた自分の考えを持つキッカケをくれるというのも、フィクションの重要な役割であろうと思います。

人んちのクッキーを勝手に持って帰って良いか。
それは幼児にとっては非常に卑近で深刻な問題であり、よい題材でした。
娘は、「アリエッティは勝手にとらないで、男の子やおばさんに、もらっていっていいですかってきけばよかった」と、ちょっと怒っていました。
それは六歳という年齢からすると、正しい答えでした。

また人生の折々にこの物語を反芻して、その時々なりの答えを出すとよかろうと思います。


最後に、ママ、妖精はいるの? と娘が聞くので、

妖精はアヴァロンにいる、と答えておきました。

不思議な話ですが、うちの娘がやっと人語を話しだした頃に、まだ新しい人なので、自分が生まれた時のことを覚えているとかいう説もあることだし、試しに聞いてみようと思い、「お前は生まれる前はどこにいたんだ」と聞いてみました。
その時、うちの娘は、「ようせいのしまにいた」と即答しました。

というわけで、人間は生まれる前、アヴァロンにいるようです。
何がどうなって、そういう答えになったのか、今もって分かりませんが、それは素敵な話だったので、「なるほど、そうか」と答えておきました。
娘は今、その事を覚えていないそうです。そのような会話をしたことも、そう答えたことも、全く記憶にないといいます。
彼女もやっと、この世の人間として生きていくことが決まったようです。
昔の人は、七歳までは神のうち、つまり今の満年齢でいう六歳ごろまでは、子供はまだ完全にはこの世の人間ではないというふうに考えたらしいですが、まさに、こういうこと?

ようこそ、この世へ。
妖精の島に比べると、これといって面白くもない、しんどいばかりの浮世ですが、素敵な音楽や物語があれば、そこそこ楽しく生きていけるものと思います。
少なくとも音楽は、我が家では今日も天空から鳴り響いています。
次はヘビーローテーションがヘビーローテーションする事になるかもしれませんが、娘をお店につれていって、現金でCDを買ってみせようと思いました。

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