中学ぐらいのとき、思春期だからか、私は今よりずっと恥ずかしがり屋さんで、自分が書いた小説の原稿を人に見せるなんて、恥ずかしくて無理と思っていたが、「人に読んでもらわないと上手くならないよ」と友達に言われ、上手くはなりたかったので、書いたら必ず誰かに頼んで読んでもらっていた。
当時は今みたいにインターネットで不特定多数の読者のお目にかけるなどという便利な方法はなかったので、身近な友人に頼むしかない。
中学生の友人なのだから、全員が中学生だったが、私には皆の意見や感想がとても参考になったと思う。
ある時、さほど親しくはないクラスメイトが、私の書いたものに興味を持って、読んでみたいというので読んでもらった。
その友人の感想は、「小説みたいじゃないの。こんなの書けるってすごいね。でも恥ずかしくないの?」というものだった。
恥ずかしいに決まっとるやろ!!
というのが私の感想だったが、あの時なんて返事したんだっけ? 忘れてしまった。でも、その時のことを今でも憶えているんだから、相当に恥ずかしかったんだろう。
当時の私の「読者」はそれについて「小説を書くような人間が、恥かしいなどと思っていてどうする。誰でも書くものじゃないし、人が書かないようなものを書かなきゃいけないのだから、むしろ恥かしいと思うようなものを堂々と書け、自分を追い込め!」と激励してくれたのだが、ほんまにそれは正解なのか、人として。
その人とは別の人物も、むしろ人に見せるのが恥かしいものを書けと言っていた。この人は大人になってから会った人物で、中学生ではない。
恥かしいものというのは、別にエロとかそういう事ではなく、萌えにしろ何にしろ、オノレをさらけ出せということだ。小説は自己表現でもある。個性で書くものだし、望むと望まざるとに関わらず、書いたものを見れば作者の人格がバレる。それを覚悟の上で人に見せるのだから、恥かしいのは当たり前で、オノレのバカとか萌えとか、全てセキララにバレると覚悟の上で書くものだ、むしろアホ丸出しくらいセキララでなければ、自己表現とは言えない。
恥ずかしくない程度のソツのないものを出してきても、面白くはない。嫌なら書くなっちゅう話だった。
確かにそういう面はあるかもしれない。普通の人間は慎ましいので、自己表現などしない。萌えも苦しみも悲しみも愛も、じっと自分の胸に秘めている。秘め事だ。
それを代弁してくれるから、物語は感動するのだし、感情移入してもらえるのだし、面白いのだ。
物語は読者の欲望を満たす。
素敵な恋がしたい。強いヒーローになりたい。大金持ちになって豪邸に住みたい。幼なじみの美少女と同棲したい。ここではない何処かに行きたい。大泥棒になってみたい。血も凍るような恐怖を体験してみたい。
現実には無理だから、あるいは現実だとちょっと困るから、無難な仮想現実で。
読者その人が望む面白さより、さらに先のセンセーションを含んだ内容であることが望ましい。期待通りの、そして期待を上回るものでないと、面白くはないのだから、その内容を考えて書いて人に見せる作業は、普通の神経の人には恥かしいものなのだ。
普通の人間は小説なんか書かない。
残念ながらそうだ。
書くということは、非・普通ということだ。恥かしい。
でも書きたいんだからしょうがないよね。恥ずかしくても。
それでなくても人生は、恥かしいことばかりだよ。
就職面接で自己PRとかするのだって恥ずかしいよ。営業で外回りするのも恥ずかしいよ。接客だって恥ずかしいよ。会議でプレゼンテーションするのも恥ずかしいよ。
生きるっちゅうのは、多かれ少なかれ恥ずかしいよ。怯んでは負けだ。恥ずかしくても頑張ってやるから、仕事になるのだし、金になるんだよ。頑張るというのなら、むしろ恥かしいことをしろ。
なんかそういうのが、何人かの人々からもらったアドバイスの総合で、なるほどと思い、人生の指標ともしてきたのだが、そうやって、普通の神経を擦り減らしてきて本当に良かったのか。
私はもうとっくに思春期は脱したはずだし、その頃に恥ずかしかったことの多くが恥ずかしくはない。初対面の人と話すとか、初対面の人に自分の書いたものを読まれるとかいうのも平気だ。平気というか、鈍い。たぶん今も恥ずかしいが、耐えられる。耐え方をマスターした。
だが、それも慣れなので、ひさかたぶりだと恥ずかしさがまた台頭する。
最近、「書いたものを人に見せるって、恥ずかしくない?」と、唐突に思う時がある。小説はもちろんだが、ブログとかも。
今さらなに言ってんの! と自分でも焦る。常識的感覚だとは思うが、そんなのいらんから。恥ずかしいことをしろ! と小声で自分に鋭くアドバイスしたいような気がする。
そういうのって、自分でも書く方々には、きっと分かってもらえるんでしょうね。恥ずかしいよね?
でも、我にかえっちゃお終いなんだよ。
そういうことを、丑三つ時に見た夢でびっくりして起きて思いました。
ものすごく久々に、夢に自分の小説のキャラクターが出てきたよ。
リューズとイェズラムだったよ。
別にストーリー性はなく、ただ出てきただけで、日常生活の話と混線していたよ。
子供をプールに連れて行く約束になっているんですが、その準備をしないとなーと思いながら寝たのがアレだったのか、ヒラパーのザ・ブーンみたいなプールで、イェズラム様に「スイミング・キャップを荷物に入れ忘れるな」と指摘されたよ。
そうだよ忘れてた! ありがとう教えてくれて!
でも、なんでデンデンがヒラパーに( ;´Д`)?
ヒラパーのプールに行くわけではないんですが、ヒラパー兄さんを探すCMが気になるせいでしょうか。あれはヒラパー兄さん本当に何処かにいるの?
リューズ様は、流れるプールで浮き輪に乗って流れてました。水着だったかどうかは夢だからわかんない。あの人、泳げるの? 泳げないんじゃないの? でもすごくご機嫌そうでした。
私は基本、自分の作品の夢って見ないのですが、稀には見ることがあります。普通は、右脳先生がノリノリの時なんだけど、今はノリノリじゃないのに不思議だね。恥かしい話だよ。
びっくりして目が覚めました。(そしてスイミング・キャップを荷物に入れたあと、眠れないので寝床でこれを書いている)
小説って、自分の空想や、見た夢を、他人と共有する手段という側面があると思うけど。
共有することに意味があんのかわからないけど。
書くと共有できることもあるから、楽しいね。フィクションて、楽しいなということは、思い出しました。今夜の夢で。
「イェズラム、焼きそば買ってこいよ!」って、浮き輪に乗って流れてる人が笑いながら言ってた。少し夢が壊れた。これも恥ずかしさへの挑戦なのだろうか、右脳先生。
方向性間違ってないか。
かっこ良いものでいいんですよ先生。
でもとにかく、脳みそに妄想する余力が戻ってきたのは嬉しいことです。
あとは背景セットをさ、ザ・ブーンじゃないのに変えようか。ね。
リハビリでヒラパーの箱庭時空書くかと思ったけど、恥ずかしくて無理なような。
弱い子になった、かおる!
そんなことでどうするの!!
とりあえず寝ます。これブログに書くのやめてよって思うけど、恥かしいので書きました。
でもそういう自分の追い込み方で本当に合ってるの?
まあいいか……( ;´Д`)
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